Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Perth Glory vs Central Coast Mariners

2006-09-07 | Aussie & Kiwi
Perth Glory が本拠地とする Members Equity Stadium, Perth Oval とも呼ばれているらしい。街の中心街からも徒歩15分くらいの所に位置するが、南のフリーマントル方向に行けば Subiaco Oval と言う立派な競技場があり、Aussie Football 等がよく行われる。そして Members Equity Stadium からさほど遠くないところにも立派な球戯場があり、ここではラグビーの試合がよく開催されるらしい。この Members Equity Stadium, スタジアムのサイズもさることながら、いまだに持ち主が前のオーナーであるニック=ターナー氏ものであるとの事。そのせいか、ワールドカップ熱にもかかわらず、 Perth Glory はシーズンチケットの販売は始まったばかり。競技場内でシーズンチケットの受付をしていた。前日よりも気温が上がり、天気も快晴。絶好の観戦日和となった。スタジアムのサイズは小さめだがピッチが手の届きそうなところにあり、選手達の迫力がよく伝わってくる。 Glory はシーズン初戦の Queensland Roar に 0-3 と破れ、一方の対戦相手 Central Coast Mariners も昨シーズンの Grand Final と同じカードとなった Sydney FC 戦を 0-1 と落とし共に黒星スタートで負けられないシーズン第2戦だ。 昨シーズンの Grand Finalist であるMarinersは中心選手でオーストラリア代表としてワールドカップにも出場した ミカエル・ボゥチャンプ、そしてディーン・フェッファーナンがブンデスリーガの FC Nuremberg に移籍し戦力ダウンは免れない。だが最多オーストラリア代表数を誇り、Scotland の Glasgow Rangers でも中心選手であったトニー・ヴィドマーがピッチに戻ってきた。昨年11月シドニーでのウルグアイとのプレーオフではPK戦でもキッカーを務め32年ぶり悲願達成の立役者の1人となったディフェンダーだがワールドカップ前に不整脈が発覚し代表を辞退。MCG, 2001年のモンテビデオと悔し涙を流しようやく世界の舞台に立てる前の直前の悲劇であった。 ここで入手したSOCCEROOS CAMPAIGN と言う題名の“ワールドカップ特集号”では、代表選手にならんでヴィドマーも写真付きで“ヴィドマーも功労者の一人”と紹介されている。 
さて試合が始まったがGlory は初戦と同じメンバーだが、Mariners は3人スタメンを入れ替えて来た。開始2分、お目当て選手の1人ラザリデスのヘディングシュートで始まるが、お互いにボールが繋がらない展開が続く。15分にはスコットランド人FWで昨シーズンのシーズン最多タイゴール数を蹴り出したスゥティワート=ペトリィが倒されて立ち上がらなくてもプレーを止めなかった主審に Mariners ベンチが怒りを露にする。しかし、Mariners はもう1人倒れている選手が。32歳のベテランDFアンドリュー・クラークが倒れて動けず、早くもMFダミアン・ブラウンと交替する。右サイドバックにはアダム=ウィルキンスが左サイドから廻り、MFのノウェル・スペンサー主将が左サイドバックに下がった。ウィルキンスはワールドカップ後、代表候補に名を連ねているが、9月6日のクウェート戦には選ばれなかった。両チームとも相手の出方を見ているのか、シーズン初めで調子が上がらないのか?これといった見せ場が演出できない。パスが足元にばかり来ており、1、2本は繋がるのだがそれ以上が行かない。それでも Glory はFWバートス、ストウアート・ヤングそしてラザリデスがボールを持てるのでそこからチャンスを作る。ヤングもかつては Wollongong Wolves でプレーをしたイングランド生まれのベテランFW。一方の Mariners は起点になる選手がいないのでシュートに持ち込めない。20~21分にかけて Glory がチャンスを掴むがいずれもバートスのドリブル突破から。そして26分には右から左にドリブルで持ち込んで32分には逆に左から右に流れて惜しいシュートを放つ。観客も12番のバートスがボールを持つと歓声が湧き上がる。劣勢だったMariners は30分に最初のチャンスらしいチャンスを迎えた。MF スペンサーからボールを受けたベテランFWペトレィがドリブルで持ち込みMFオスマンにはたきそのままシュート。そのこぼれ球をブラウンが撃つが Glory DF がクリアし、先制点はならなかった。こちらもやはり打開は個人技頼りだ。39分にはウィルキンスが個人技から連続してチャンスを作る。ドリブルで持ち込みフリーのペトリィにボールが渡すがシュートはジャストミートせず、その直後に絶妙のロングフィードがFWクワァンスニックに渡るがそのシュートは18歳のGKアレクス・ヴィルテスキが好セーブ。ヴィルテスキは A League 最年少選手でU-17代表GKで U-20 でも候補選手だ。北京五輪予選にも出て来るかも。しかし、Mariners の時間帯は此処まで、後は Glory の攻勢が続く41分には右からバートス、42分には左からジェミー=コイネのクロスを連続してヤングが頭で捕らえるがゴールが割れない。43分には波状攻撃からフリーでいたバートスの前にボールがこぼれるが足元に入りすぎてシュートが撃てない。そしてロスタイムにはラザリデスの素晴らしいクロスにトップ下に位置するMFノーム・セクロフスキーが頭で合わせるがGKダニー・ヴコヴィッチが弾く。そのこぼれ球を拾ったラザリデスが角度の無い所から放ったシュートはゴールラインと平行に地を這う、そしてそれに再び追いついたセクロフスキーが押し込もうとするがポストの右側に外してしまい、大きな溜息と共に前半が終わった。  Glory が圧倒的に押すのだがオートマティズムに欠けており本当に個人技頼りだ。こういう展開でもし Mariners がカウンターから先制点を奪えば焦りを引き起こし、更にカウンターで追加点を失うと言う良く見る試合展開に陥りそうだったが....

パースにて サッカー専門ショップで....

2006-09-07 | Aussie & Kiwi
パース入りした当日は少し肌寒さと言うか秋の始まりの様だった。しかし、地元の人から言わせれば“この2~3日で随分暖かくなったのですよ。”との事。 Western Australia の州都パースは一年を通して穏やかな気候で定評があり、ここに移り住んでくる人が近年増えている。その傾向は私が始めて訪れた8年前から顕著に現れており最近は更に拍車が掛かっている。従って最近の不動産の急騰は半端じゃないらしい。シドニー等の東海岸側で多く見かける韓国系の移民もここでは少ないが、シンガポールやマレーシア、ヴェトナムといった東南アジア系移民が目に付く。シンガポールからパースまで僅か5時間のフライト。シドニーから来るのと変らない。東海岸も彼らからすれば海外の感覚か? いつもの投宿しているホテルの近くにオーストラリアでは珍しいサッカーグッズの店がある。ここに立ち寄ってみた。6月にワールドカップ観戦に行ったとき、多くの Socceroo サポーター達が Johnny Warren の顔写真の入った黄色のTシャツを着ていた。それと同じものが無いかと訊ねてみるが、残念ながらもう置いていないとの事。そこには若い男性と初老の男性との2人の店員がいた。その2人とサッカー談義に花が咲く。 “ Johnny Warren を知っているのかい?彼が生きていればどんなに喜んだか…” 老人は優しく微笑む。あの時代はサッカーなんて誰も見なかった、とも語った。若い男性とは地元のクラブチーム Perth Glory の話で盛り上がった。折角だからワールドカップ記念のTシャツを1着買うことに。オーストラリア代表選手のユニフォーム色が基調とされている黄色で Socceroos のメンバーとドイツでの試合の結果がプリントされており当然だが12 Jun Kaiserslautrun Australia vs Japan 3-1 とプリントされている。 彼が“1着でいいかい?”と聞くので“1着で充分。日本が勝っていたら3着は買ったよ。”と答えたら2人とも笑ってくれた。少しばかりの無念さとドイツでのあの雰囲気の懐かしさが甦ってきた……

ここをホームにする Perth Glory。私が最初に見たのは2000年の Grand Final だ。当時は国内リーグは NSL ( National Soccer League ) と命名されていた。商用で訪れたシドニーでテレビをつけると偶然シーズンの最後を飾る Grand Final の試合が中継されていた。場所は Perth の Subiaco Oval. 地元の声援を受けて優位に進める Perth Glory の攻撃を必死に凌ぐのはシドニーから200km 程度離れた Wollongong をホームにする Woollongong Wolves 。試合はPK 戦にもつれ込み、最後は Wolves のGKがファインプレーを連発し、 Wolves がこの年の覇者となった。テレビ中継では同時に Wolves の地元Wollongong での様子が映し出され、優勝の瞬間はお祭り騒ぎだったのを思い出す。翌日の朝刊には Dance with Wolves の見出しで殊勲のGKの写真が大きく載せられていた。その時は丁度ベルギーとオランダで共同開催された EURO2000 の真っ只中。その報道はあまりされずに結果を知るためにインターネットカフェ通いを続たが、それよりもサッカーはどこの国でもあるのだという事が再認識させられたときでもあった。

時は流れて今や堂々と国民の市民権を得たサッカー。その起爆剤にもなった昨年から発足した A-League。Perth Glory の2シーズン目は不安のスタートだった。昨シーズンは5位に終わり上位4チームが進出する Final Stage には進めなかった。昨シーズン、ここでプレーした日本人選手、石田ヒロユキがヴァンフォーレ甲府に移り、計8人の選手がチームを去った。だが戦力的に最も影響を受けたのは昨シーズンの Young Player of the Year である Nick Ward が English Championship ( Premier の1つ下。2部にあたる ) QPR に移籍してしまったとの事。彼の移籍引止め工作に National Team Manager ( 監督のことかな?) まで経験を積むためにも Perth に残ったほうが良いとアドヴァイスのコメントまで出したくらいだ。 だが彼は結局 England に去ってしまった。それよりも問題だったのが長年オーナーを務めたNick Tanner と昨シーズン指揮を取った Steve MaMahon の蜜月関係だったらしい。 Tanner はチームの経営を破綻に追い込み、 McMahon はシーズン途中に地元では“西オーストラリア州のローカルチームの誰よりも劣る”と言われた自分の息子を入れる始末。この二人がチームを去り、Glory は協会の監視下におかれたが、オーナーと監督がいなくなったことが最大の強化とも言われている。アルゼンチンの英雄あのバティストゥータがパースに移住し、彼にチームオーナーの打診したが、今は Michelle Phillips 氏(女性です)が CEO を務める。
今シーズンは7人の新戦力がいるが、何と言ってもオーストラリア代表のベテラン スタン=ラザリデスの加入が Glory と言うよりも A League最大のトピックの1つだ。ドイツでは出番が無かったが私は1997年のあのMCG の悲劇でもプレーしたこの選手は好きな Socceroo の1人だ。当時は West ham United に所属し
昨シーズンは Birmingham City でプレーをした。ラザリデスは“今後欧州での活動をベースにしたSocceroo 達が A-Leauge でキャリアを終える事を考えている。それは若い選手達に受継いでもらいたいものが多いからだ”とコメント。それに加えて3名のニュージーランド選手を加えた。一人は England の3部リーグ Rochdale でプレーしていた レオ=バートス。A-League New Zealand Knights から ジェレミー・クリスティ、そしてニュージーランド代表 All Whites のアドリアン・ウェブスターと契約。バートスはブラジル代表がワールドカップ直前にニュージーランドと行った“調整試合”に出場。相手が調整運転だったとは言えドリブルでセレソンDF陣を突破するシーンも見せた。また2000年の Grand Final で Perth Glory と Wolves の選手の一員として戦った マーク=ロバートソンが加入。彼のパフォーマンスを記憶する地元サポーターは何人いるかな? 監督にはFederation Football Australia (オーストラリアサッカー連盟) でテクニカルマネージャーを務めるロン・スミスが就任する事となった。さて試合の方はどうなるだろう.... 

西の端パースに移動 

2006-09-03 | Aussie & Kiwi
9月3日、我が日本代表はジッダに乗り込みアジアカップ予選A組最大の難敵と言うよりもアジアで最強とも言えるサウジアラビア代表と戦う。だがサウジはエースのYasaar Al Qahtani が怪我で出場できない見通し。
アル・カタニ は先日、UAEとの親善試合に出場したがその時に負傷。大事をとって2週間の休養がメディカルテストの結果が出ているとファハド・アル・ムサビ監督は語っている。アル・カタニは先のインド戦でチームの得点全て、3ゴールを挙げているが、彼の欠場で2トップは同じ所属クラブ、アル・ヒラルでプレーするアーメッド・アル・スワイリとUAE戦でゴールを挙げたサラ・バシールと見られている。アル・スワイリはイエメン戦で2ゴールを上げている。日本戦で結果を出して代表に定着した旨のコメントも残している。またブラジル人のマルコ・パケータ コーチにとってMFのオマール・アル・ガンビ、アブドラス・アル・カタランの復帰も大きいとの事。そして日本代表には今回欧州でプレーする選手とナビスコ杯に出場する選手が召集されていない。オシム監督は” Key となる9人の選手を招集できなかったと漏らしているとか?“ 両国の対戦は確か2000年のアジアカップ決勝戦以来ではなかったか?その時はGK川口がサウジの猛攻を防ぎきって優勝を手にしたのだった。 サウジアラビアの最大の武器は、この国の偵察が不可能に近いことだ。大概の国は観光ビザを申請すれば入国が出来るのだが、この国には観光ビザそのものが存在しなくて容易に入国できない。思い出すのは1993年ワールドカップアメリカ大会予選前、当時代表チームの清雲コーチのビザが発給されずに入国出来なかった事だ。しかし、とは言えっても各組上位2カ国ずつが来年の本大会に出場できるので、他の国々、イエメン、インドとの力量を考えればそうナーバスになる事も…と思う。同じ思いはサウジも一緒だろう。
そういう意味では9月6日水曜日にクウェートシティに乗り込んでクウェート代表と戦うオーストラリア代表も同じだろう。レバノンの大会辞退で既に2勝を挙げており本大会出場を決めてしまっている。しかし、ワールドカップ効果か?新聞には Socceroo の話題が出て来る。CARETAKER Socceroos coach ( 暫定代表監督) Graham Arnold 氏の発表したメンバーにはキューウェル、ヴィドゥーカ、ケーヒル達は含まれていないが9人のワールドカップメンバーが含まれているとの事。 
John Aloisi (Alaves, Spain), Michael Beauchamp (FC Nurnberg, Germany), Jacob Burns (TS Wisla Krakow, Poland), Scott Chipperfield (FC Basel, Switzerland), Ante Covic (Hammarby, Sweden), Jason Culina (PSV Eindhoven, Holland), Ahmad Elrich (Fulham, England), Ryan Griffiths (AFC Rapid Bucuresti, Romania), Brett Holman (NEC Nijmegen, Holland), Patrick Kisnorbo (Leicester City, England), Scott McDonald (Motherwell, Scotland), Jonathan McKain (FC Politechnica AEK Timisoara, Romania), Ljubo Milicevic (BSC Young Boys, Switzerland), Mark Schwarzer (Middlesbrough, England), Josip Skoko (Wigan Athletic, England), Mile Sterjovski (FC Basel, Switzerland), Nick Ward (Queens Park Rangers, England), Luke Wilkshire (FC Twente, Holland).

日本戦で逆転ゴールを挙げたJohn Aloisi だが彼にとっての脅威はAhmad Elrich, Ljubo Milicevic そしてJon McKain の代表返り咲きだ。この3人は最後の最後でワールドカップメンバーから漏れてしまったのでアジアカップに賭ける意気込みも並々ならない。またワールドカップで出場機会の無かった Josip Skoko が主将に任命される。ワールドカップ前のバーレーン戦でのパフォーマンスとキャプテンシーが評価されたのだとの事。 ただアーノルド監督はこれがオーストラリア代表監督最後の指揮となるとの見通しが。後任は誰だろう? この試合クウェートの方が必死になるだろう。この試合の後クウェートは当面の敵、バーレーンとのアウェーゲームしか残らない。バーレーンがホームでオーストラリアに破れているので少なくとも引分けたい所だろう。 でもどうしてレバノンは大会辞退したのだろう?世界バスケにはきちんと代表を派遣してフランス、ベネズエラから勝利を挙げてたのに?でもこの試合がある時私はニュージーランドに渡っているのです。あぁ残念、テレビ観戦が出来ないわ…..

Australia 入りしました。

2006-09-03 | Aussie & Kiwi
8月30日、重たい気持ちでシドニー行きのカンタス航空 QF22便に乗った。ワールドカップが終わって初めてのオーストラリア、ニュージーランド商用の旅が始まる。世界バスケは Tall Blacks に無念の惜敗。女子サッカーはマチルダスに返り討ち。そして6月のワールドカップは Socceroo に痛恨の逆転負け。オーストラリアの顧客の間では私のサッカー狂は有名で、1997年の“MCGの悲劇”以来、サッカー人気が今一だったオーストラリア大陸で彼らの間に Socceroo を むしろ“ Promote “ したくらいだった。ワールドカップでのSocceroo の快進撃振りを聞かされると思うと…しかもそれが初戦の日本戦の勝利から始まった事を考えると…..
機内は大変空いていた。エコノミークラスの乗客率は10%程度じゃなかったか?ほぼ全員が一列を好きに使っている。私の列も他に乗客がいない。カンタス航空は国内ではライバル会社が無く寡占状態に近い。単に豪州往復だけだとシンガポール航空の方が快適で安価だが、どうしても国内やニュージーランドに渡らねばならないので経費的にカンタスを使わざるを得ない。カンタス航空の料金の高騰ぶりとサービスの低下ぶりはオーストラリア国内でも問題になっており人気も急低下。何とか顧客獲得と観光客誘致の為に往復プラス4都市キャンペーンを張ったものの今度は折からの燃料価格高騰がおさまらず Fuel Surcharge に4万円以上も掛かっている。
“ブッシュ政権が終われば原油価格は急降下しますよ。”と自虐的なコメントも。 8時間半のフライトは機内食を摂った後にすぐに寝入ってしまったのであっという間だった。 シドニー到着は現地時間早朝の6時半頃。いつもの通り大変な混雑の税関。長陀の列に並んでいると一人の係官が私を連れ出して荷物を開けろだの何しに来たとの尋問を始める。しかし、通り一遍等の質疑と携行品検査をしただけで終わってくれたので半時間は得をしたかな?すぐに外に出られた。市内に移動しホテルにチェックインを済ませても幸運にもまだ9時前。顧客とのアポの時間にはまだ数時間あったので近所の News Agencyに行くと。あったあった、Four Four Two Australia Verion にならんで SOCCEROOS CAMPAIGN と言う題名の“ワールドカップ特集号”が。あのカイザースラウテルンでの悪夢が甦り、無念さが込み上げてくる。 先週に始まったばかりの A-League もワールドカップ効果から昨年以上の話題を呼んでいるらしい。しかし、9月1日の新聞にショッキングなニュースが。トリニダードドバコ代表の Dwight York が Ireland の元英雄Roy Kean が監督就任した Sunderland に移籍が決ったとの事。Sydney FC での年棒が AS$900,000 ( 約8100万円) 。Sunderland は AS$150万(約1億2千万)だすとの事らしいが、おそらく給料だけでなく、 Manchester United 時代の僚友関係が大きかったのではないかな? York は Sydney FC だけで無く A-League のスター。彼を見たいからスタジアムに足を運ぶファンも多かった。 Sydney FC の Chief Executive, Tim Parker 氏は”リーグの為にも彼の後任をはやく探さねば“とコメント。しかし、代わりになる選手はすぐには見つかりそうにも無く、昨年の KAZU の様な Guest Player を求める事も示唆している。もう一度 KAZU を誘うか?韓国代表のアンジョンファンでも誘えばどうかな?ここには韓国系移民も多いし。 
その一方で4年後のワールドカップ振替開催地として急にスポットライトが当りだした。 やはり南アフリカは厳しいのか?Sydney Morinig Herald 紙によると南アフリカでのワールドカップ開催に向けての遅れ具合は Hopelessly (希望が無い)ほどらしい。そこで必要とあらば2018年に大会誘致を目標にしていたオーストラリアがニュージーランドと共催で2010年の振替開催に名乗りを挙げられるとの事。その背景には既にオーストラリアはワールドカップクラスの競技場がメルボルン、シドニーに2つずつ、ブリスベンに1つそれからパースにもワールドカップとは別に6万人収容の競技場の建設が予定されていたので、施設には問題が無いと。それから2011年に日本を抑えてラグビーのワールドカップ開催地に決ったニュージーランドにもAuckland, Wellington, Christchurch そして Dunedinとワールドカップクラスの競技場がある。ただ西の果てパースはシドニーから飛行機で約5時間。ここ数大会のワールドカップの予定表を見るとグループリーグを1つの街で集中開催する事が無いのでパースに移る試合を組み込まれたら溜まったものではない。その為にも丁度その中間地点にあるアデレードでの開催も必要となるだろう。アデレードは8月に行われた女子のワールドカップアジア地区予選が行われた。そして各大都市にはオージーフットボールやラグビー( Union & League ) のチームがあるので、大会後でも施設を活用出来る。 その上まだ私は言った事は無いが南アフリカに比べるとインフラに安全性が断然違う。
南アフリカ政府は4年後の大会に向けて新しく3つの競技場の建設と既存の7つの競技場の改築の為に$US7億5千万(約900億円)予算を取っており、期間中35万人が訪れる事を予想し空港を始めインフラ整備に16億豪ドル(約1440億円)の予算を計上しているが、8月初めに遂に南アフリカ政府は大会開催にこぎつける為のspecial measures bill (特別法案?)を認めた。スポーツ省大臣のMakhenkesi Stofile 氏は“ワールドカップは我々に何が出来るかを世界に示す絶好の機会。そしてAfro-pessimisum ( アフリカに対する悲観的な考え?)を一掃するチャンス”とコメントするが、先のワールドカップ期間中から次の大会開催が危惧されていた。アフリカでワールドカップを開催するのは現FIFA会長のブラッター氏の悲願でもあり、彼の後押しが大きかったが,次の会長選挙を終えて(恐らく)再任されても“かばいきれないほど”悲惨な準備状態であればブラッター氏でも擁護しきれないと言うのが大方の見方。私個人はオーストラリア、ニュージーランド共同開催には大賛成だ。南アフリカを訪問した人に聞いたが、治安の悪さは“聞きしに優る、想像通り”だそうだ。予約したホテルがダブル、トリプルブッキングで金だけ取られて外で寝てくださいと言われかねない。その点オーストラリア、ニュージーランドなら私の“ホームグラウンド”宿泊地に動き方それに裏技、今から想像するだけでもわくわくする。楽しむ為には日本のワールドカップ予選突破が大前提だが、オーストリアが自動的に出てくれると日本も助かる。それにアフリカ枠増加の為にアジア枠が減らされる事は無いだろうに。また同 Sydney Morning Herald の“ World Cup Rescue Mission tempt’s O’Neil :ワールドカップを救助する為の Mr.O’Neil:オーストラリアサッカー協会会長の任務”と題された社説に対し南アフリカ当局から抗議の e-mail が届けられたらしい。この社説はあたかもワールドカップがオーストラリアで開催される事がふさわしいと言わんばかりにと。でも1986年大会のコロンビアの事もあるので早い目に決めたほうが良いかも知れない。でもアテネ五輪も施設の完成が大変不安視されたが結局は問題なく完成仕上げたのだけれど。そして私はシドニーにはわずか1泊の滞在で更に飛行時間5時間かけて西の端の大都市パースに向った。  

私女子サッカーのファンです なでしこ達よ次は勝て!!

2006-09-02 | Women's Football
選手層が厚いのか?それとも日本戦だと発奮するのか?
その北朝鮮。3選手の不在を感じさせない立ち上がり。ロングパス主体のオーストラリアと異なりショートパスを多用し、1対1では、準決勝のオーストラリア戦では優位だったなでしこ達も北朝鮮DFのしつこさに手間取っているのがよく判る。
日本は16分にはオーストラリア戦では途中出場だったこの日スタメン出場の酒井がミドルを放つが正面に。しかし序盤に相手GKに飛んだボールはこれくらい。北朝鮮は運動量も豊富でなでしこ達の動く先に行くのでスペースに出すパスが出せず、足元へのパスばかり。悪い流れの中23分に先制を許してしまう。ヨ・ユン・ミンがスローインをFWリ・クム・スクに送る所を下子鶴が詰めるとヨ・スン・ミンは絶妙のタイミングで後ろにスルー。そこには矢野のマークを外れたリ・ウン・スクがフリーでおり、難なくゴールを割られた。ゴール前のこのコンビネーションは流石だった。準決勝のマチルダスでは披露できない攻撃でやられてしまった。観客席から歓声が上がる。同胞がオーストラリアにいる訳無いのにと思うとそれは韓国人が応援していた。そうか。韓国も同胞か。ここオーストラリアに在住する韓国系移民は在留邦人の2倍いや3倍以上だ。そういえば準決勝の中国戦を終えて朝鮮日報を初め韓国のマスコミは試合終了間際の判定に退場になった北朝鮮の選手達を擁護するコメントのオンパレードだった。スタンドからも“オ~ピルスン(必勝)コレア!!” の合唱が始まる。どうせなら”チョ~ソンミンシュシュィ!!” とも言ってやれよ。それとも“イギョラ!! チョ~ソンッ”とかそれとも“シュグンッ マンセェー”とか。それが出来なきゃ”テーハミングック“でも言ってやれよ。と思っていたら追加点を入れられてしまった。33分クリアーボールを拾われ、MFキム=タンシル, イ・クム・スクと繋がれ最後はMFイ・ウン・ギョンのシュートにゴールネットを揺らされた。先制点のスローインと言い、北朝鮮のチーム主将イ・クム・スクがボールに絡むとどうもピンチを招いてしまう。北朝鮮はワンタッチ、ツータッチでボールを回すので日本のプレスが掛からない。そしてエース沢になかなかボールが廻らず、ようやく沢にボールが渡っても2人、3人ですぐ囲まれてしまう。また北朝鮮DF陣もハイボールの競り合いには平気で肘を出してくる。39分にはクリアーボールを拾われて逆襲からシュートに持ち込まれる。一旦はGK福本が弾くがこぼれ球をイ・ウン・ギョンに拾われてそのままこの試合2点目のゴールを決められ、あっという間に3点差を付けられてしまった。中継していた放送席まで静まり返ってしまう。しかし、ここからなでしこ達が奮起したのか北朝鮮がペースダウンしたのか、日本の攻勢がはじまる。41分には宮間、大野と繋ぎ永里がヤン・オク・キョンとリ・スン・ボクの間に割って入りシュートを放つ。この北朝鮮DF2人は準決勝の中国戦には起用されていなかった。43分にはCKから一旦はクリアされたがそのクリアボールを酒井が拾い磯崎に繋ぐ。磯崎はゴールマウスにロブを入れそれを沢が安藤に落とす。安藤はリ・スン・ボク、ヨ・ユン・ミンの2人に挟まれながら粘って北朝鮮ゴールに流し込み1点を返した。3点差を付けられてもいや付けられたからDF安藤が攻撃参加をしたのか。う~ん。女子の方が積極的だ。前半終了間際に1点を返し、まだ2点差があるとは言え後半に向けて期待を抱かせるゴールであった。

なでしこ主導権を奪うが…..
後半、なでしこ大橋監督は得点者ではあったがDF安藤とMF大野を下げて荒川と大谷のFWを投入する。兎に角前線の数を増やして相手DFにプレッシャーを掛ける作戦か? 48分には永里が粘ってファールを貰いそのFKは沢が直接狙うがGK正面に。GKプ・ウン・フイはやはり安定感に欠けるか?51分には柳田の絶妙のクロスが荒川にわたるが惜しくも得点にならない。52分は沢がボレーを放つ等立ち上りから日本が攻勢を続ける。しかし、北朝鮮も特にエース沢には厳しいチャージで止めにかかる。60分にはキム・サン・シルのファールで沢が倒され立ち上がれず外に出されるがそれ以上はお咎めなし。だがその前に磯崎がリ・クム・スクへのタックルに対してイエローが出されるがスロービデオを見ると磯崎の足はしっかりとボールに入っていたのに。この日の主審はオーストラリア人だけど、線審は中国と韓国。日本にとって政治的には不利な組み合わせだが… 67分には沢の縦への突破から新川、宮間と繋ぎそこから大谷にクロスが送られるが僅かに合わない。その直後にはベンチから“大谷開け”と指示が飛ぶ。 北朝鮮は前半飛ばしすぎたか動きががっくりと落ちている。ここで1点差にすれば試合に勝つチャンスは断然大きくなる。しかし、ここでなでしこ達の前に立ちはだかるのが170cmのゲーム主将、キム・クム・スク。体格だけでなく、テクニックも高くスピードもあり、ここぞと言う場面ではピンチでもチャンスでも出て来る。そしてなでしこ達も77分あたりから動きが落ちてきて北朝鮮にボールを回される。ここで日本ベンチはFW大谷に替えてMF坂口を入れるが、大谷は後半から入った選手。中盤のもっと疲弊している選手を替えてやったほうが良かったのではと疑問に思う。北朝鮮は前線に2、3人残し、残りの7,8人でゴールマウスの周りを固める。新川、沢がペナルティーエリアに近づいても2がかりでマークをしかける。それでも89分、柳田からのクロスに永里がドンピシャのタイミングであわせてゴールを割る。これで1点差だ。ロスタイムは….3分と表示される。まだチャンスはある。北朝鮮も長身のFWヨン・ポク・シムを入れるがこれは攻撃と言うより日本のハイクロス封じだろう。新川のロブに永里とヤン・オク・キョンが競るがそこにGKが出て来てキャッチ。そして同点ゴールが生まれることなくタイムアップ。世界ランク7位の北朝鮮がアジア地区からワールドカップ行き3枚目の切符をものにした。 日本はまたもや日本以外で北朝鮮に勝つことが出来なかった。

8月27日。10年ぶりに女子リーグのオールスターが行われ、All West が勝った事が新聞の片隅に掲載された。
女子サッカーの取り巻く厳しい環境の表れか?いや商業主義のジャーナリズムの無い日本スポーツ界の現状だろう。
それだけにワールドカップへの最後の切符を賭けたプレーオフには頑張って欲しい。 私、女子サッカーのファンです。 なぜなら彼女達のほうが先にワールドカップへ我々を導いてくれたから。 それにしても俺は話題がずれてるなぁ。どうも時間と体力が続かず睡魔にも襲われUp Date な話題を掲載できていないなぁ。でも誰も期待していないか??? ブログ思いのままなり..

私女子サッカーのファンです 女子サッカーへの思い

2006-09-02 | Women's Football
私の生まれ育った、大阪府の北部にある京都に近い街高槻市。子供の時、1970年代からサッカーの盛んな街だ。私が通っていた中学校はサッカー部が大変強く、1級上の先輩と同級生達は何と2年連続で全国大会に出場してた。そして2級上には1979年日本で開催されたワールドユース大会の日本代表候補に選ばれ、後に日本リーグでもプレーした先輩がいた。後輩の中にはJリーグ入りした選手もいるらしい。残念ながら私はサッカー部員ではなく水泳部員だった。水泳部も弱くはなく、私が3年生の時には高槻市大会で団体2位に入った。もちろん私も出場し、準優勝に貢献した(つもりだ)。市で2位になるなんて当時はサッカー部以外には柔道部くらいだったのに、サッカー部の快進撃の前に水泳部の戦績もかすんでしまい、女の子の人気度は練習試合を入れて私が3年生の時は一度も勝った事が無い野球部の部員にもかなわなかった。だから私はサッカー部の快進撃に大変な嫉妬心を擁いており、“サッカーなんかなんじゃい”と公言してはばからなかった。そんな私が後にワールドカップ観戦に精を出しているのを当時の同級生が知って唖然とするのは当たり前だろう。
高槻には当時から高槻FCと言うクラブチームが存在している。特に有名だったのは女子部で、1988年の全国女子選手権では読売FCを準決勝で破って決勝に進出。国立競技場で行われた決勝戦は惜しくも鈴与清水に敗れたが準優勝を収めた。そして翌年、西が丘競技場での決勝で清水を破って優勝を収めている。この決勝戦を私は2年連続競技場観戦した。当時婚約中の家内は“女の子がサッカーなんてするの?何でそんなの観に行くの?”といぶかしげに訊くので、“地元の高槻が出ているんだ。”と言うと“前に付き合っていた女性でもそこにいるのか?” としばらく疑っていた。残念ながらサッカー少女と恋に落ちた事は無かったが、高校の時同じ通学沿線上に西山女子高校というのがあって、当時女子のサッカー部があったので有名でテレビ取材もされた事があった。今でこそ男子サッカーは五輪、ワールドカップにも連続出場をし、連日日本代表を初めサッカーの話題を聞かない日は無いくらいだ。だがサッカーで、最初に世界への扉を開いたのは女子だ。1991年中国で行われた第一回女子ワールドカップにアジア地区予選を勝ち抜いて出場している。その前年、同じ北京で開催されたアジア大会の男子サッカーの準々決勝の日本対イラン戦。NHKの中継から“ニッポン!! ニッポン!!” との声援が漏れ聞こえてきた。解説をしていた松本育夫氏が”女子のサッカー代表選手が応援をしてくれていますよ。無様な試合はできませんねぇ“てな事を言ったのを憶えている。1996年3月、日本はマレーシアでサウジアラビアを 2-1 で破り28年ぶりの五輪出場を決めたが女子も前にアトランタ行きを決めていた。アテネ五輪で女子日本代表を”なでしこジャパン“と名付けられ、女子の国内リーグ戦も”なでしこリーグ“と命名されたがここに今の女子サッカーのおかれている現状が映し出される。長引く不況による企業スポンサーの撤退から存続出来るクラブが減りリーグそのものの存在が危ういらしい。だがこれは他国も同じで女子サッカーでは列強であるアメリカも同じ現状だ。確かに筋骨隆々の女性がボールを必死の形相で追いかけるよりも、わずか数センチの布きれのみを付けてダイナマイトボディをくねらせる女性に世間一般の人は魅力を感じるのだろう。
もう1ヶ月以上前に終わってしまったがオーストラリアの南部の大都市アデレードで開催された女子ワールドカップアジア地区予選で日本は出場権を手に入れられず、北中米地区からの代表とのプレーオフに望みを掛ける事となった。

北朝鮮にまたも勝てず
準決勝で地元オーストラリア・マチルダスに破れた日本は3位決定戦の北朝鮮戦に臨んだ。この北朝鮮は同じく準決勝では中国に 0-1 と惜敗したが試合終了直前、北朝鮮のチャンスに中国ゴール前で中国DFにハンドがあったとか無かったとかの微妙な判定の激怒したハン・ヘヨンが主審に蹴りを入れる等審判団に襲い掛かる。 尚も野次を飛ばす中国人サポーターにペットボトルなどを投げたと言う事で DF スン・キョン・スン, ソン・ヨン・スンが出場停止となった。思い出すのは1982年アジア大会の準決勝戦。延長戦でクウェートに破れた北朝鮮のコーチ達が判定に不服として審判団に襲い掛かり、最後は警官隊が事態を収拾するはめに。これで北朝鮮代表は続く3決定戦はおろか、全てのカテゴリー(当時は U-20 くらいだったか?)で2年間の国際試合禁止を言い渡された。今回も同じ様な裁定が下されるか?そうなればなでしこが自動的に来年北京で開催される女子ワールドカップに自動的に出場となるが、今大会は3選手の出場停止以上はお咎めが無かった。昨年のワールドカップ予選での処置が無ければどうなっていただろう? 試合の模様に続く