9月4日、パースからシドニーを経て計8時間のフライトでニュージーランド南方の都市クライストチャーチに入った。
出発前、現地の方から“まだ少し寒いですから、セーターを準備してください。”と言われていた。パースが結構温暖な気温になっていたので、気温差を少し危惧したのだがパース同様晴天で、気温もさほど低くは無かった。
“一昨日前から暖かくなりました”とは出迎えに来て頂いた地元在留邦人の方のコメント。 2年間にほぼ同時期にここに来た時は雪が降ったりした。 その当日の夜、テレビを見ていたら驚くニュースが。 Crocodile Hunter で有名な Steve Irvin 氏が事故で亡くなったと。 この報道は地元ニュージーランドの地元テレビ局、そしてCNNでも大きく取り上げられた。日本ではあまりなじみが無いが、オーストラリアでは結構な人気で、彼のドキュメンタリーがカンタス航空の機内上映されたり入国税関の前にオーストラリア政府の“食べ物持込入国禁止”のポスターにも登場していた。 Crocodile Hunter の名前の通り、当地のワニの一種クロコダイルをこよなく愛し?何度も野生のクロコダイルを捕獲するシーンを何度も見た。それに大蛇や毒蛇を手で掴んだり、4日のCNNではかつてニシキヘビと一緒に同テレビ局出演したシーンを映し出した。また、アーウィン氏は野生動物や昆虫を広くあつかうテレビ局 Discovery Channel や Animal Planet によく登場し50以上のドキュメンタリー番組が放映され欧米でも名が知られていた。 爬虫類の大嫌いな私でもアーウィン氏とクロコダイルを始め爬虫類とのからみは非常に興味を持って観ていた。アメリカ人のテリー夫人も彼についてクロコダイル狩りに出かけるテレビ番組を良く見た。そして2人はハネムーンでもクロコダイルを捕獲しに行きそれがテレビ番組として放映されたりした。しかし、2年前1歳になる息子を腕に抱えたままワニに餌を与えたり、ドキュメンタリーの撮影でザトウクジラに近づきすぎたとの非難を浴びるというマイナスイメージの一方で、オーストラリアで企画されていたクロコダイルの狩猟ツアーに抗議し、中止させるなど野生動物保護活動に熱心な人物だった。そしてブリスベンの北部、 Sunshine Coast には自ら経営する Irwin’s Australian Zoo と言う動物園を持ち、そこには夫婦の人形まであった。子宝にも“一姫二太郎”に恵まれ、テリー婦人は3人目も欲しいと考えていた。アーウィン氏は“自分はもう(44歳)若くないのでこれ以上は..” と The Australian Woman’s Weekly のインタビューで漏らしていたが、二人に近い人は”テリーが勝った(説得した)だろう。彼女は強い女性だ。“と語っていたらしい。
また彼がクロコダイルと同じワニでもアメリカに生息するアリゲータとの違いを熱心に説いていたのを思い出す。事故があった場所は野生の熱帯魚で有名なグレートバリアーリーフ。ここに生息する魚をそのまま大阪の水族館、海遊館に持ってきてその大水槽を“グレートバリアーリーフ”と名付けている。 そこで8歳になるBindi お嬢ちゃんの為のシリーズものの撮影中に悲劇がおこった。水深2mの所をテレビ撮影していると そこにはStingray ( アカエイ ) がゆっくりと泳いでおり、アーウィン氏の前に泳いできたが何の前触れも無くそのアカエイは方向を変えてそのまま尻尾で彼の左胸を一突きした。事故の直後にアーウィン氏はポートダグラスからヘリコプターで救急病院に運ばれたが既に琴切れていたらしい。死因はアカエイの毒か出血多量かは不明だが、専門家は“アカエイの毒で死んだ例は少なくともオーストラリア沿岸では報告された事はほとんどない。”との事。アカエイは普段は大変おとなしいのでこういう事故自体が少ないらしい。 ここ数日オーストラリアの新聞を初め地元メディアは生前の爬虫類と戯れる彼の姿を映し出す。ここで思い出すのが、私が子供の時から憧れていた日本の冒険家、堀江謙一氏と植村直巳氏だ。彼らの様な冒険家は当然、定職につけない。しかし、ヨットで世界一周をしたり、大陸最高峰を征服するには莫大な費用がかかる。だから例えば植村直巳氏には新聞社(朝日新聞だったとおもう)がスポンサーになり、その冒険記の報道独占権を得ていた。 しかし、その冒険もエベレストを制覇するくらいでは記事の価値が無くなって来ていた。同じ事は堀江謙一氏にも言えていた。そこでスポンサー側からはより“魅力的な”即ち“より危険に満ちた”冒険を求めるようになる。1984年にマッキンリー登山中に帰らぬ人となってしまった植村直巳さんについて“あの時期(2月だったと思う)にマッキンリーに挑むなんて….”と言うある専門家のコメントを読んだ事がある。 堀江謙一さんは存命だが、命を落とした著名な登山家を初め、冒険家の事を聞かされる度にスポンサーとの関係を思い出してしまう。アーウィン氏はどうだったのだろう?大蛇や毒蛇、毒グモを素手で掴む事、もしくは今回の事故がスポンサーとの関係から生じたものでなければよいのだが….オーストラリアのジョン=ハワード首相が“彼の死は国の大きな損失”とコメントを出し、専門家は“おそらく彼は痛みを感じることなく亡くなっただろう。(即死であっただろう) 一番好きな事をしている最中に亡くなった。”と新聞にコメントを残している。もうあの “ Crickey !! “ と言う肉声が聞けないとなると残念でない。
出発前、現地の方から“まだ少し寒いですから、セーターを準備してください。”と言われていた。パースが結構温暖な気温になっていたので、気温差を少し危惧したのだがパース同様晴天で、気温もさほど低くは無かった。
“一昨日前から暖かくなりました”とは出迎えに来て頂いた地元在留邦人の方のコメント。 2年間にほぼ同時期にここに来た時は雪が降ったりした。 その当日の夜、テレビを見ていたら驚くニュースが。 Crocodile Hunter で有名な Steve Irvin 氏が事故で亡くなったと。 この報道は地元ニュージーランドの地元テレビ局、そしてCNNでも大きく取り上げられた。日本ではあまりなじみが無いが、オーストラリアでは結構な人気で、彼のドキュメンタリーがカンタス航空の機内上映されたり入国税関の前にオーストラリア政府の“食べ物持込入国禁止”のポスターにも登場していた。 Crocodile Hunter の名前の通り、当地のワニの一種クロコダイルをこよなく愛し?何度も野生のクロコダイルを捕獲するシーンを何度も見た。それに大蛇や毒蛇を手で掴んだり、4日のCNNではかつてニシキヘビと一緒に同テレビ局出演したシーンを映し出した。また、アーウィン氏は野生動物や昆虫を広くあつかうテレビ局 Discovery Channel や Animal Planet によく登場し50以上のドキュメンタリー番組が放映され欧米でも名が知られていた。 爬虫類の大嫌いな私でもアーウィン氏とクロコダイルを始め爬虫類とのからみは非常に興味を持って観ていた。アメリカ人のテリー夫人も彼についてクロコダイル狩りに出かけるテレビ番組を良く見た。そして2人はハネムーンでもクロコダイルを捕獲しに行きそれがテレビ番組として放映されたりした。しかし、2年前1歳になる息子を腕に抱えたままワニに餌を与えたり、ドキュメンタリーの撮影でザトウクジラに近づきすぎたとの非難を浴びるというマイナスイメージの一方で、オーストラリアで企画されていたクロコダイルの狩猟ツアーに抗議し、中止させるなど野生動物保護活動に熱心な人物だった。そしてブリスベンの北部、 Sunshine Coast には自ら経営する Irwin’s Australian Zoo と言う動物園を持ち、そこには夫婦の人形まであった。子宝にも“一姫二太郎”に恵まれ、テリー婦人は3人目も欲しいと考えていた。アーウィン氏は“自分はもう(44歳)若くないのでこれ以上は..” と The Australian Woman’s Weekly のインタビューで漏らしていたが、二人に近い人は”テリーが勝った(説得した)だろう。彼女は強い女性だ。“と語っていたらしい。
また彼がクロコダイルと同じワニでもアメリカに生息するアリゲータとの違いを熱心に説いていたのを思い出す。事故があった場所は野生の熱帯魚で有名なグレートバリアーリーフ。ここに生息する魚をそのまま大阪の水族館、海遊館に持ってきてその大水槽を“グレートバリアーリーフ”と名付けている。 そこで8歳になるBindi お嬢ちゃんの為のシリーズものの撮影中に悲劇がおこった。水深2mの所をテレビ撮影していると そこにはStingray ( アカエイ ) がゆっくりと泳いでおり、アーウィン氏の前に泳いできたが何の前触れも無くそのアカエイは方向を変えてそのまま尻尾で彼の左胸を一突きした。事故の直後にアーウィン氏はポートダグラスからヘリコプターで救急病院に運ばれたが既に琴切れていたらしい。死因はアカエイの毒か出血多量かは不明だが、専門家は“アカエイの毒で死んだ例は少なくともオーストラリア沿岸では報告された事はほとんどない。”との事。アカエイは普段は大変おとなしいのでこういう事故自体が少ないらしい。 ここ数日オーストラリアの新聞を初め地元メディアは生前の爬虫類と戯れる彼の姿を映し出す。ここで思い出すのが、私が子供の時から憧れていた日本の冒険家、堀江謙一氏と植村直巳氏だ。彼らの様な冒険家は当然、定職につけない。しかし、ヨットで世界一周をしたり、大陸最高峰を征服するには莫大な費用がかかる。だから例えば植村直巳氏には新聞社(朝日新聞だったとおもう)がスポンサーになり、その冒険記の報道独占権を得ていた。 しかし、その冒険もエベレストを制覇するくらいでは記事の価値が無くなって来ていた。同じ事は堀江謙一氏にも言えていた。そこでスポンサー側からはより“魅力的な”即ち“より危険に満ちた”冒険を求めるようになる。1984年にマッキンリー登山中に帰らぬ人となってしまった植村直巳さんについて“あの時期(2月だったと思う)にマッキンリーに挑むなんて….”と言うある専門家のコメントを読んだ事がある。 堀江謙一さんは存命だが、命を落とした著名な登山家を初め、冒険家の事を聞かされる度にスポンサーとの関係を思い出してしまう。アーウィン氏はどうだったのだろう?大蛇や毒蛇、毒グモを素手で掴む事、もしくは今回の事故がスポンサーとの関係から生じたものでなければよいのだが….オーストラリアのジョン=ハワード首相が“彼の死は国の大きな損失”とコメントを出し、専門家は“おそらく彼は痛みを感じることなく亡くなっただろう。(即死であっただろう) 一番好きな事をしている最中に亡くなった。”と新聞にコメントを残している。もうあの “ Crickey !! “ と言う肉声が聞けないとなると残念でない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます