歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

⑥ 東漸寺 木鼻の彫刻に自然の祠

2010年10月25日 | お寺・神社
先週の続きです。

先週は、参道、仁王門、大銀杏、観音堂、の何故か?何故か?問題が解決しましたので、これより、じっくり、落ち着いて、境内の観察です。

先ずは、大銀杏舐めで観音堂の景色を味わいます。やっぱり「目隠し銀杏」は目隠しの効果はなさそうです。

観音堂の脇にも大木、前には石灯籠が二対、手前の方が古いようです。


景色を味わった後はお参りです。頭を下げた後は、頭を持ち上げ「室町時代末期から江戸時代初期の雰囲気を止めている」向拝の“木鼻”を観察します。


それとなく、どことなく、室町末期から江戸初期の雰囲気が漂っているような、いないような。


横組みの先端が、何となく、そのままでは、寂しいような、味気ないような、そんな処から始まったのでしょう。木の端が、木の鼻で、飾り端。

それにしても、横組みの端に、わざわざ別の木を継ぎ足して彫刻を施しています。始めは横組みの木に彫刻していたのが、段々と凝り始めて表現が複雑になり、別の木を足してまで装飾を施す、判りますその気持ち。

こちらの大木の枝振りもなかなかのものです。何か、手を広げ、足を広げ大向こうに見得を切っているような・・・。


幹には空洞があり、


仏様が居ります。何か、こういう自然の空間が祠の始まりの様な気がします。ふつう祠に祀られるのは神様ですが、仏様が居られても、まったく問題ありません。

小さくて可愛い仏様、とても自然に、手を合わせたくなります。


こちらは古い方の石灯籠です。


“明和六年”とあり、下に“陰陽五行説”表記で“巳丑の歳”とあります。明和六年は1769年で241年前です。“巳丑の歳”も1769年であっていました。間違える分けないか。
         

制作者は、“石工 江戸八丁堀 和泉屋”とあります。


こういうものは、江戸で造って石屋が運んで来るのか? 地元の運送屋さんが江戸に取りに行くのか? それとも、石屋が出張して来て彫るのでしょうか? 

こちらにも、小さなお堂が。


東漸寺、まだ、まだ、いろいろありそうです。


それでは、また明日。


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