昨日の続きです。
昨日は、“あの頃みんな老けていた”と書きましたが、老けていたのは成長期を過ぎだ大人達で、20頃までの成長期は、今よりも、“身体的”には“みんな若く”見えました。
これも栄養の問題、所得の問題だと思うのです。
高度経済成長後のいまでは、栄養が良いので身体的成長は早くなったのですが、精神的成長は栄養摂取とは無関係な為に、身体的成長に追いつかず、心と身体にズレが生じているようです。
それで、この時“小百合ちゃん”は17歳でした。貧乏でも前向きに、一生懸命に生きる中学生を初々しく演じています。あの頃、小百合ちゃんは“アイドル女優”だったのです。
小百合ちゃん演じる中3の“ジュン”は、今見ると、外見はとても幼く見えますが、とてもしっかりした中学三年生なのです。
作品の中で“ジュン”の作文シーンがあり、吉永小百合のナレーションで、
『私には判らないことが多すぎる。
第一に、貧乏な者が高校に行けないこと、いまの日本では、中学だけでは下積み
で一生うだつがあがらないのが現実。
下積みで、貧乏で、酒を飲んでケンカしたり、博打を打ったり、気短で、気が小
さく、その日暮らしの考え方しかもっていない。
みんな弱い人間だ。
もともと弱い人間だから貧乏に落ち込んでしまうのか。
それとも、貧乏だから弱い人間なってしまうのか、私にはわからない・・・・・・』
ジュンの家は“かなり貧乏”で、お父さんは飲んだくれで、その日暮らしの弱い人間なのです。毎日、毎日、貧乏を意識し、少しずつ社会の矛盾に気が付きはじめてきたのです。
この作品は1962年の制作ですから、60年の安保改定反対闘争が終息し、世の中は政治の季節から、経済の季節に変わりつつあった時代です。岸内閣から池田内閣に変わり、所得倍増、高度経済成長が始まりました。
作品のなかで“ビンボー”の言葉が頻繁に出てきますが、ビンボーの自覚は周囲にお金持ちと云うか、それほどビンボーでない人達がいて、はじめて自分のビンボーに気付くのです。
ジュンは同じクラスの町工場の経営者の娘に勉強を教えていました。彼女には自分の部屋があり、おやつはショーケーキと紅茶、お父さんは優しくて理解があり、その日暮らしではありません。
そんな立派なお父さんに、ラーメン屋で一皿50円のシューマイを弟とごちそうになり、ジュンはいろいろと励まされるのです。
ジュンが作文で『第一に、貧乏な者が高校に行けないこと、いまの日本では、中学だけでは下積みで一生うだつがあがらないのが現実』と書いていますが、何かちょっと違和感があります。
あの頃、わたしの暮らしも「ジュン」とあまり変わらなかったのですが、私は自分がビンボー人だと気が付きませんでした。都営住宅で周りがみんな同じようにビンボーだったのです。
それでも、クラスで高校に進学しなかったのはほんの数人だったと思います。世間は“いまどき高校くらいは出ていなければ”と云った“風潮”でした。
“ジュン”の時代に遅れること数年、それほど時代は急激に変化したのか、それとも、社会派映画として、貧乏の社会的矛盾をより強調したかったのか・・・・・・。
時代は貧乏から所得倍増で、世間では中流意識が芽ばえ始めた時代だったと思います。
まあ、兎に角、今回、時代背景も、単なる懐かしい風景のひとつでした。
まあ、それで、最近の(拉致問題発覚以降ですか?)巷での作品評価として、北朝鮮を、社会主義を、過大に賛美していたとか、云われたりしているようです。
私としては、まぁ、それほど、そんな風には感じませんでしたし、時代がそんな風潮だったので、そんなもんだと思って観ました。
まだ、もうすこし、「キューポラのある街」で思いを巡らします。
それでは、また明日。
昨日は、“あの頃みんな老けていた”と書きましたが、老けていたのは成長期を過ぎだ大人達で、20頃までの成長期は、今よりも、“身体的”には“みんな若く”見えました。
これも栄養の問題、所得の問題だと思うのです。
高度経済成長後のいまでは、栄養が良いので身体的成長は早くなったのですが、精神的成長は栄養摂取とは無関係な為に、身体的成長に追いつかず、心と身体にズレが生じているようです。
それで、この時“小百合ちゃん”は17歳でした。貧乏でも前向きに、一生懸命に生きる中学生を初々しく演じています。あの頃、小百合ちゃんは“アイドル女優”だったのです。
小百合ちゃん演じる中3の“ジュン”は、今見ると、外見はとても幼く見えますが、とてもしっかりした中学三年生なのです。
作品の中で“ジュン”の作文シーンがあり、吉永小百合のナレーションで、
『私には判らないことが多すぎる。
第一に、貧乏な者が高校に行けないこと、いまの日本では、中学だけでは下積み
で一生うだつがあがらないのが現実。
下積みで、貧乏で、酒を飲んでケンカしたり、博打を打ったり、気短で、気が小
さく、その日暮らしの考え方しかもっていない。
みんな弱い人間だ。
もともと弱い人間だから貧乏に落ち込んでしまうのか。
それとも、貧乏だから弱い人間なってしまうのか、私にはわからない・・・・・・』
ジュンの家は“かなり貧乏”で、お父さんは飲んだくれで、その日暮らしの弱い人間なのです。毎日、毎日、貧乏を意識し、少しずつ社会の矛盾に気が付きはじめてきたのです。
この作品は1962年の制作ですから、60年の安保改定反対闘争が終息し、世の中は政治の季節から、経済の季節に変わりつつあった時代です。岸内閣から池田内閣に変わり、所得倍増、高度経済成長が始まりました。
作品のなかで“ビンボー”の言葉が頻繁に出てきますが、ビンボーの自覚は周囲にお金持ちと云うか、それほどビンボーでない人達がいて、はじめて自分のビンボーに気付くのです。
ジュンは同じクラスの町工場の経営者の娘に勉強を教えていました。彼女には自分の部屋があり、おやつはショーケーキと紅茶、お父さんは優しくて理解があり、その日暮らしではありません。
そんな立派なお父さんに、ラーメン屋で一皿50円のシューマイを弟とごちそうになり、ジュンはいろいろと励まされるのです。
ジュンが作文で『第一に、貧乏な者が高校に行けないこと、いまの日本では、中学だけでは下積みで一生うだつがあがらないのが現実』と書いていますが、何かちょっと違和感があります。
あの頃、わたしの暮らしも「ジュン」とあまり変わらなかったのですが、私は自分がビンボー人だと気が付きませんでした。都営住宅で周りがみんな同じようにビンボーだったのです。
それでも、クラスで高校に進学しなかったのはほんの数人だったと思います。世間は“いまどき高校くらいは出ていなければ”と云った“風潮”でした。
“ジュン”の時代に遅れること数年、それほど時代は急激に変化したのか、それとも、社会派映画として、貧乏の社会的矛盾をより強調したかったのか・・・・・・。
時代は貧乏から所得倍増で、世間では中流意識が芽ばえ始めた時代だったと思います。
まあ、兎に角、今回、時代背景も、単なる懐かしい風景のひとつでした。
まあ、それで、最近の(拉致問題発覚以降ですか?)巷での作品評価として、北朝鮮を、社会主義を、過大に賛美していたとか、云われたりしているようです。
私としては、まぁ、それほど、そんな風には感じませんでしたし、時代がそんな風潮だったので、そんなもんだと思って観ました。
まだ、もうすこし、「キューポラのある街」で思いを巡らします。
それでは、また明日。