歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

牛久を歩く “理想的工場”を鑑賞します。

2009年02月13日 | 牛久市の風景
一昨日の続きです。

“牛久を歩くシリーズ”は、たぶん、今回が最終回になります。

常磐線の踏切を渡って水戸街道側に行きます。この踏切、車は片側交互通行なのです。道路は広くなったのですが、踏切は昔のままなのです。

踏切が好き、そして、踏切のある風景が好き、なのですが、ここは、どうも、周囲の風景と踏切とが、旨くと云うか、未だと云うか、馴染んでいません。

どうも、鉄筋コンクリートのマンションが邪魔しているようです。この只四角いだけの固まりは、いつまで経っても“風景”には、成れないかも・・・・・・。


渡った先は住宅地です。


この普通の住宅が建ち並ぶ、何でもない普通の風景、


人影も、人の気配も、動きも、音も無く、時間が止まり、そして、ゆっくり、静かに、遠い昔の、匂いが、音が、身体に感じてくるのです。

この風景に、東京の下町をちょっとだけ感じました。もう少し歳月が経てば、すべてが馴染んでくるのです。

屋根も、フェンスも、外壁も、アスファルトの道路も、側溝も、標識も、町名表示板も、消火器も、電信柱も、変圧器も、看板も・・・・・・。

平日の午後、東京郊外の住宅地は、とても、とても、静かなのです。

静かな住宅地を抜けると、“ピーポ・ピーポ”と救急車が向かってきました。


救急車が通り過ぎ、ゆっくり右手を見ると、実に素晴らしい“理想的工場”を発見。わたくし、踏切も好き、空き地も好き、工事現場も好き、そして工場も大好きなのです。

クロネコヤマトの配送車がちよっと邪魔。

何と云っても、灰色のブロック塀、門から真っ直ぐ伸びるメインストリートを挟んで、左に渋い事務所棟、右に工場棟、突き当たりに危険物の倉庫。


敷地の広さと云い、建物の配置と云い、“鑑賞”するには、ホントに理想的な工場です。“ゴム屋さん”のようです。


ここで、ちょっと用事が出来たので、まことに、中途半端ですが、今日の処は終わりにさせて貰います。

“ハナキゴム”さん、とても面白そう!なんで、ホントに残念!


それでは、また来週。



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何となく眠い

2009年02月12日 | 雑談
昨日は法事で、臨時休業をしてしまいました。

今朝は、今朝で、7時過ぎに姉から電話があり、旦那の、お姉さんの、ご主人が明け方に亡くなられたとの連絡がありました。

昨日、法事の後の食事の席で、住職が「昨日は春の陽気で、今日は真冬に戻ったような寒さだから、亡くなられる方が・・・・・・」何て云っていたのです。

身近かで起きると、住職の予言?、予想?、予測?は見事に的中と思ってしまうのです。これは、もしかして、職業的な勘? 

そんな、こんなで、“牛久を歩くシリーズ”は、ほぼ終盤にかかり、後2~3回で終わりそうなのですが、何となく、やる気が湧かず今日は雑談です。

そうでした。昨日は臨時休業でしたが、アクセスが「270」もあったのです。先週の「だんだんブレーク」の余波が続いているのです。「朝の連ドラ“段々慣れてきました”」のページビューが「120」でした。

それにしても、最近アクセス数は「200」を越えているのですが、過去のページを見ている比率が約70%なのです。

過去の遺産でアクセス数が増えているのは、何となく複雑な思いが・・・・・・なのです。

それで、冒頭の件ですが、確かに急激な気温変化は、生き物を、生命の危機に晒す度合いを、かなり高めるのです。

そして、急激な経済変化も、企業生命を危機に晒す度合いを、かなり高めるのです。

“急激”は、やっぱり、とても、“いけない”ことなのです。

かなり、急激な“こじつけ”を感じさせる、話の展開ですが、本日は雑談なので、軽く受け流して下さい。

で、ここで、景気の話に、そして貧困の話へと、話は展開させ・・・・・・と、思うのですが、話はここで止まってしまうのです。、

何となく、これを書いているいま、かなり眠たいのです。眠たければ、“寝ればァ!”とお思いでしょう。

が、そこが、それ、ブログを午前中に書いて、午後は運動のパターンなので、つい、何となく、しっくり、しなくなって、ダラダラでも、書いているのです。


ブログと云えば、そろそろ、ご近所ネタも飽きてきたので、そろそろ、東京でも歩きたいと思うのですが、まだ、インフルエンザが・・・・・・・と思う訳です。

ホント、東京を歩きたくなりました。候補地の一つは“西武新宿線の新井薬師周辺”と、・・・・・・・。

そうでした! それに、“下山事件”関連で、湯島天神の傍にある“旧岩崎邸”です。どちらにしても、3月に入ってからになると思います。湯島天神の梅も終わっています。

外は良い天気で、とても暖かいです。でも、これを書き終わったら、炬燵で一眠りします。

さぁ、これで、雑談はお終い。

少し寝ることにします。

それでは、また明日。




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本瓦、白漆喰、白梅、そして“槙の生垣”

2009年02月11日 | 季節の風景
カラフルな新興住宅街の路地を曲がると、この風景が現れます。一瞬の驚きを感じました。

この一画だけに、昔の農村風景が残っています。




突然現れた純ニッポンの風景です。この先も、道は狭く、くねくねと曲がり、昔のまま、道の両側は“槙の生け垣”が続くきます。

槙の生け垣は、何とも、落ち着きがあり、豊かです。



電柱、電線、カーブミラーを避けると、こんな感じ・・・・・・。




本瓦の屋根、白漆喰の壁、梅に、槙の生け垣、とても、とても、良い風景です。

撮影技術と、撮影センスと、高級一眼レフと、陽射しの最適条件を待つ時間があれば、かなりイイ写真が撮れそうですよ。


場所はちょっと秘密にしておきます。



※カレンダーの空白が気になり、穴埋めをしました。この記事は17日に書いたものです。

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暫くは浮き世で“彷徨い漂います”

2009年02月10日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

まだ、まだ、牛久を彷徨っています。

どうですか? この看板は? “一万十七石”です。どういうこと? 店の名前?

“手製”ですよ。聞いたことあります? 見たことあります? 


何で一万十七石なの? 十七石が半端で気持ち悪いのですが、きっと、この十七石に何やら、意味ありげに思えるのです。

それに、蕎麦はふつう“手打ち”でしょ、確かに“手製”と云う表現でも、間違いではありませんが、しっくり蕎麦に馴染まないのです。


“十七石と手製”・・・・・・なんか? かなり引っ掛かります。思わず、店の引き戸を開けて、

『エッ! いったい! ぜんたい! どうなってんだァ!あの看板わァ!?』と叫びたくなる衝動に駆られたのです。

しかし、ここは冷静に、落ち着いて、看板をじっくり眺めたのです。一万十七石の上に、小さく“牛久藩”の文字を見つけました。

そうか、そうか、牛久藩の禄高が、もしかして、いゃ、たぶん、一万十七石だったのでは?閃いたのです。

後で調べたところ、牛久藩の禄高は1万石となっていました。十七石はいったいどこから? 謎はいつの日か、必ず蕎麦屋に入って“手製”と併せて、店主に確かめたいと思うのです。

それにしても、手製にしろ、一万十七石にしろ、蕎麦屋の名前にしては、かなり、“へェ~ンナノォ!”であります。

変な蕎麦屋を後に、広い通りを外れます。


こちら独特のデザイン建物、周りには広い駐車場。都会を離れた町で、よく見かける“葬祭場”です。


葬祭場と介護施設は遠くからでも、何故か?建物の雰囲気から判るのです。


牛久駅から歩いても十分ぐらいでしょうか。


日本だけなのでしょうか? こういう“葬儀産業”があるのは、ここ十数年で、こんな葬祭センターとか、セレモ何とか、メモリアル何とかが眼に付くようになりました。

地方でも、家庭内で葬儀をしなくなったようです。病院で亡くなり、葬祭場で葬儀をすませる。

死を日常から切り離すことになり、その事で日常にどんな影響がでるのでしょうか? 

本来、死を意識してこそ、生を意識する・・・・・・何~て事なんだと思うのですが。

先日、以前勤めていた会社の専務が亡くなったとの知らせを受けました。葬儀場を聞いたところ、何と、彼が生前に建設反対運動をしていた葬祭センターだったのです。

反対の理由は、葬祭センターとは云え、実態は“死体置き場”であり、日常生活の場に接近し過ぎているとの事でした。

楽しく、明るい、日常生活の場に、不快で、暗い、死を意識するような施設の存在は、許す事ができなかったようです。

ちなみに、専務の家と葬祭センターとの距離は歩いて7~8分ぐらいで、家からは施設も見える訳ではありません。

でも、駅に近く、毎朝、毎晩、通勤の行き帰りに、死体置き場の前を通過する訳です。これが、耐え難い苦痛になると思ってのことでしょう。

わたくしとしては、他人事ですので、その時、慣れれば、まぁ、“どうって事ないんじゃないの”と、思っていました。

この葬祭センターも住宅地に近く、建設反対運動があったのでしょうか、でも、しかし、彼ら業者も、そこは手慣れているのでしょう。

何たって、法律や、条例に違反していなければ、特に問題は無いのですから、住民の片手間の反対運動など、想定内のいつもの事なのです。

近隣の住民には、“特別ご優待半額割引券”なんて配って懐柔したりして? そんな訳ないですネェ。

それにしても、先ほど専務ですが、自分が反対していた施設での葬儀、さぞかし、複雑だったと思うのです。

まぁ、死者に感想は聞けませんが、案外、“近くて便利だ”と、思ったかも知れません。人間は立場が変わると、思いも変わるのが“浮き世”の常。

専務は浮き世ではなく、“あの世”に行ってしまいましたけれど、兎に角、必ず、いつかは、浮き世とおさらばするのですから・・・・・・。

案外、家族は“ご近所割引券”を持っていたりして・・・・・・。

まぁ、そんな、こんな、を考えつつ、葬祭センターの周りを一巡りしたのです。そういえば、大晦日に亡くなった親戚の納骨が、今週の11日ですから、明日です。

ホントに、最近は、親戚に会うのは、葬祭センターに、火葬場に、お寺に、墓場に、こんな処ばかりになってしまいました。

わたくしも、そのうち、いつかは・・・・・・なのです。

それまでは、ぶらぶらと、いい加減に、のんびり、気楽に、浮き世を彷徨い漂いたいと思うのです。

それでは、また明日。








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牛久を歩く “移ろってふつうの風景”

2009年02月09日 | 牛久市の風景
先週続きです。

今週も、まだ、まだ、牛久を歩いています。

先週は“牛久観光ナンバーワンスポット”でしたが、今週は、ごく、ごく、普通の町並みを歩きます。

これまでは、龍ヶ崎の町はずれから、牛久の駅前を目指して歩いて来ましたが、これからは、行き当たりばったり方式で、そこらウロキョロと歩き回ります。

先ずは、ここは、やはり、牛久市を訪れたのですから、市庁舎を拝見いたします。


外壁がピンク色です。とても、何か、少し、こんなんで?と、思う色です。

これは、市の“スローガン”と云うのか?、標語と云うのか?、市長の方針と云うのか?


“潤い・親しみ・暮らし易さ・市民主体”です。確かに、ピンク庁舎は、威圧的でなく、“したしみ”を感じます。

“本場所中”なので庁舎前には、牛久出身“稀勢の里”の幟が立っています。

“みんな応援してんだからァ、頼むぞォ! 稀勢の里!”

市庁舎の隣は、牛久郵便局てす。交通整理?のおじさんが、カメラを構える私に警戒の視線を送っています。


“お年玉年賀はがき”の幟が1月半ばを過ぎても立っています。“日本郵政株式会社”は相当に忙しいようです。


辺りをウロキョロすると、市庁舎の裏手はこんな風景になっていました。


“遊水地”を兼ねた公園のようです。何か、とっても、寂しい風景です。灰色のコンクリートが視界の大半を占める為でしょうか。

冬の季節、芝生は枯れ、木は葉が落ち、潤いがありません。潤いと云えば、やはり、“水と緑”です。

遊水“地”ではなく、普段もそれなりに水を張って、遊水“池”にした方が・・・・・・、何て、思いつつ、おじさんは灰色のコンクリートを見つめるのでした。

灰色の公園を後に、何となく、水戸街道方面に向かって歩き出しました。

ピカピカに輝く“ヘアーライン仕上げ”の“ステンレス看板”。


“自治労茨城県南会館”、自治労茨城、連合茨城、茨教組稲北支部が入っているのです。


なかなか、新しくて、立派です。

労働組合は当然、組合員の利益を守る為にあるのですが、組合員の“為だけ”を優先すると、周りが見えなくなり、保守的傾向を強めるのでは・・・・・・・ナンチャッテねェ。

“建物に相応しく、新しく、立派な運動”を期待しつつ、前を通過します。


広い通りに出ます。

閉店した量販店。白のペンキで上塗りされた看板をじっと眺めると、“SHOES”の文字。


靴流通センターとか、靴卸売りセンターとか、昔は流行ったものです。

いろいろな業種で、何とか流通センター、何とか卸売りセンター、何て看板を、郊外の幹線道路脇で見かけたものです。


3、40年前は、“卸売り”とか“流通”の言葉は新鮮だったのです。いまでは、もう、手垢がこびりついてしまいました。

自然素材は、風雨に晒され、手垢が付くと、それなりの味わい、趣がでてくるのですが、鉱物を化学変化させた素材は、年月を経ると単なるゴミとなります。

この店、白いペンキで下地を施し、新しい化粧を待っています。

こういうご時世に、こういう立地で、こういう建物に、どんな業種のお店が入るのでしょうか?

まぁ、わたしには・・・・・・何ですが、それなりに、世の移ろいを眺めるのは・・・・・・。


不動産屋にしてみれば、それなりに、新たなテナント探しは大変なのでしょう。まぁ、頑張って下さい。

広い通りを横断して、水戸街道を目指します。


それでは、また明日。



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梅を探して龍ヶ崎

2009年02月08日 | 龍ヶ崎の風景
本日は休日ですが、臨時の営業です。

昨日は天気も良く、そろそろ、“梅でも”と思い、龍ヶ崎に行って来ました。

こちら、郊外の大型量販店が並ぶ一画に隣接した公園です。

陽当たり最高の梅。


陽当たり、中位の梅。


甘~い香りは、漂わせていません、香りはもう少し先?


こちら、陽当たりがかなり悪い梅。



市内に入り、般若院です。


枝垂れ桜越しの梅を狙ったのですが、陽射しと梅と桜、位置関係が難しく、なかなか良いアングルがありませんでした。


よいアングルを探し、周囲を歩き廻ったのですが、諦めました。桜のシーズンにまた来ます。

次は、“夏目雅子地蔵”のある“大統寺”に向かいます。今回、般若院から大統寺に向かう直線の路地を見つけました。

到着して、梅を探したのですが、陽当たりが“良さそう”に見えたのですが、境内の梅は、まだ、まだ、蕾状態でした。


探し回って、やっと一輪。


“梅一輪 一輪ほどの 暖かさ” 何て句を想い出したりして・・・・・・。

一輪だけ咲いた梅の花をじーっと眺め、う~ん。これぞ!“風流”でげす! ナァ~ンテ、ひとり風流を味わっていたら・・・・・・。

ウグイスがァ! 枝の間を横切ったのです。

ウグイス色の小鳥を見ると、反射的に“ウグイス!”と思うのは普通です。梅にウグイスですから。

ウグイス色で、目の回りが“白”、直ぐに、そうだァ! あれは“メジロだった”と、頭の中で訂正。

一枚撮ってやろうと、2羽のメジロを追いかけました。


この木の中に居るのを写したのですが、拡大して、じっくり、念入りに、探したのですが、葉の色に紛れてまったく判りません。

まぁ、兎に角、梅を眺め、ウグイスではなく、メジロの可愛い姿に出会い、なかなかけっこうな半日でした。


桜の花も、もうすぐです。


これで、臨時営業を終わります。


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牛久を歩く “何故か?イタリアでした”

2009年02月06日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

展示室の見学を終え階段を降ります。

薄暗いと云うよりも、かなり暗い階段、壁は煉瓦、階段は木製、古い煉瓦の匂い、古い木の匂い、音を立てずに階段を一段、一段、下って行きます。


踊り場のランプ。百年前から灯っているような匂いが・・・・・・。


それで、煉瓦造りの建物何ですが、外壁、床、階段、屋根組は“木造”が普通です。

床も階段も屋根も“煉瓦造り”の建物は見た事が有りません。二階の床を煉瓦で造るのは、これはホントに、相当に大変だと思います。

でも、お城や、宮殿等の“石造り”の建物には、床も、階段も、屋根も、みんな石造りと“見える”ものがあります。

実際にこの眼で見た訳ではなく、NHKの“世界遺産”とか、その手のテレビで見かけるのですが、映像では、その辺の細かい造り方、構造は解らないのです。

いったい、床や、階段や、屋根は、どうなっていて?、どうやって石で組み上げて行ったの?、ずっと、ずっと、とても不思議に思っているのです。

二階の石造りの床は、一階から見上げると天井になるわけですが、いったい、ぜんたい、どうなってるの? と思うのです。

そんな、こんなを考えてかなり暗い通路を歩いていると、突然、アルミサッシにカラス張り、ワインの醸造場が現れるのです。


二階の展示室から、一階を通り越し、地下一階に降りていたのです。いまでも、ここで、ワインを醸造していたのです。

内部は何故か湯気で霞んでよく見えません。人の気配もありません。ガラスの前を通り過ぎます。


明るい階段を上がると、ワインの販売所に出るのです。巧いこと造ってあるのです。


ワイン、


ワイン、


ワイン、


世界中の、普通のワインから、ちょっと高いワインから、かなり高いワインまで、いろいろ、取り揃えてあります。


折角ですから、見学記念に、普通のイタリアワインを一本買いました。
         

家に帰って、配偶者と二人、味わったのですが、その時に云われたのです「何で? シャトーカミヤに行って、イタリアワインなの?」

そうなんです、何でシャトーカミヤのワインを買わなかったのか? 自分でも、何で? と思ってしまいました。

敢えて、云うならば、シャトーカミヤのワインが、まったく眼に入らなかったからだと思うのです。

並んでいたのは、あっちも、こっちも、イタリア、フランス、ドイツ、スペイン、チリ、南アフリカ、カリフォルニア、オーストラリア・・・・・・、だったのです。

ワインはヨーロッパとかの外国産の方が、やっぱり・・・・・・との、密かな想いが陳列方法に現れてしまっている、と思ってみたりしています。

確かに、自社ワインを積極的に売る気配は感じませんでした。



“プチプチシート”に包まれたワインをしっかりと持ち、シャトーを後にします。

帰り際に見つけました。


とても食べたかったのですが、髭面のおじさん一人で、ソフトを舐める勇気がどうしても湧きませんでした。

今度、二人で来たときには“きっと頂きます”と、堅い、堅い、決意の表明を密かに行い、静かに前を通り過ぎるのでした。

外に出ました。道路の向かい側、広い駐車場からシャトーを望みます。


昔は、こんな葡萄畑でした。

【シャトーカミヤHPより転載】

シャトーカミヤ、じっくり、しっかり、見学して、おみやげも買いました。

今度は、二人で訪れ、レストラン“キャノン”で二千円のランチを食べ、シャトーを見ながら、ソフトクリームを舐めたいと思います。


牛久歩きは、まだ、少し続きます。


それでは、また来週。



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シャトーカミヤで“ロスチャイルド”でした。

2009年02月05日 | 牛久市の風景
一昨日の続きになります。

ま~だ、“シャトーカミヤ”の“記念館”の二階入り口付近をウロキョロしているのです。これからなのです見学は。

え~と、最初に目に付いたのが、このショーケースに並んだ“高級そう”なワインの瓶です。

この中身なんですが、封を切っていないのでホンモノがそのまま入っているのでしょう。こんな状態で保管していたら中のワインは飲めるのでしょうか?心配です。
       
“Ch,Mouton Rothschild”と表示されています。


知りませんでした! ワイン好きには、もう、とても、有名な“シャトームートンロスチャイルド”なのだ、そうです。

こんな処にも、大富豪ロスチャイルドの手が及んでいたのです。金が貯まると良い酒が飲みたくなるのです。

ロスチャイルドさんは、単に飲むだけではなく、旨い酒を造るシャトーも所有してしまったのです。大したもんだァ。

でも、何で?「シャトーカミヤ」に「シャトームートンロスチャイルド」なの? やっばり、これがあると箔が付くんですかね?

こちらの写真、前列右から二人目が“松方正義”左隣が奥さん。


あの“松方”です。明治15年(1882年)に日本銀行を設立。第4代、第6代の内閣総理大臣です。

後ろの中央が神谷さんです。偉い人達とお付き合いをしていたのです。企業はある程度の大きさになると、政治家との繋がりが不可欠なようです。

いつの時代も、何処の国でも、政治家と企業家とは“持ちつ持たれつ”なのです。

こちらの写真も、持ちつ持たれつの仲間なのです。


そうでした、ここはワインの記念館です。

懐かしい!? たぶんむかし見た記憶があります。あの“赤玉ポートワイン”と一緒の、甘~い、甘~い、やつです。


葡萄の栽培、醸造等の資料です。


この資料を集め、勉強し、研究し、実際に葡萄の栽培や醸造をやっていたのは、神谷傳兵衛さんではなく、婿養子の「伝蔵さん」だったそうです。

傳兵衛さんは経営者であり資本家で、出来上がった物に“いろいろ混ぜ合わせる事”はできても、最初から造り出すことはなかったのです。

「香竄葡萄酒」が売れに売れ、偽物が多数出回ったそうで、これらが偽物のラベルそうです。


こちらも懐かしい“ブルーコメッツ”です。ブルコメと云えば、ブルーシャトーです。


「シャトー」繋がりで歌ったのでしょう。でも、しかし、「ハチハニーの歌」は、まったく覚えていません。聴けば思い出すでしょうねぇ。

こんなの酒屋さんに飾ってありました。


葡萄を搾る機械に、


瓶詰め機械。


いろいろあった、二階の陳列室を振り返ります。


これで、やっと、記念館の見学はお終いです。


これから、階段を下に降ります。上がって来た階段の反対側になります。


それでは、また明日。

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雑談 “軽い話が重くなり” そして 神様! 仏様!

2009年02月04日 | 雑談

今日は、昨日の続きではありません。

外は曇り、気温も低く寒いです。わたくしは、炬燵に入って渋茶を啜りつつ、コレを書いています。冬は炬燵が一番。

また発覚しました、相撲界の大麻事件。もう、イイです。十両の誰でしたっけ? 名前も思い出せません。

どうしたら良いのか? “ぶったるんでる”と云えば、そういう事何ですが、何で?こんなに弛んでしまったのでしょうか?

いゃ、もしかして、体質的には以前からこんなモンだったのかも、今の親方よりも、むかしの親方が特段優れていたとは思えません。

八百長問題、朝青龍問題、大麻問題、これらは、相撲界の体質とグローバル化との間に起きた、矛盾の現れのような気がしています。

異文化を取り入れ、それにみあった体質に作り変える、それとも、異文化の受け入れを拒否して、伝統的な体質を維持するのか、どっちにする?

たぶん、興行的な側面を考えると、世の中の流れには逆らえないでしょう。異文化を受け入れ、体質を変えて行く方向に・・・・・・なるんだろうねぇ。

薬物検査の定例化とか、外国人力士の教育を、部屋の親方任せではなく協会の責任でやるとか、協会理事の外部枠を決めるとか、横綱審議会の権限を強化するとか、そんな・・・・・・とこ、かなぁ。

何か、相撲の話が長くなってしまった。他に何か、あったような、気がしているのですが、・・・・・・思い出せない。

まぁ、今日は、何となく雑談なんで、兎に角、軽~く、軽~く、と思いつつ、綴っているので・・・・・・・。

そうでした。思い出して来ました。最近、気になるのは、失業問題で風向きが変化してきた事です。

仕事は選ばなければ有る。きつくても、臭くても、汚くても、辛くても、大変でも、辺鄙な山奥でも、低賃金でも、兎に角、仕事を選ぶな、そんな状況ではない・・・・・・、そんな空気が、テレビ、新聞に流れ始めました。

失業者には、もう仕事を選ぶ権利は無くなったようです。兎に角。何でもいいから働いて、屋根の下で寝起きして、三度の食事にありつければ・・・・・・。

日本も、こんな国になってしまったのでしょうか、飯喰って、寝られるだけで、満足する世の中、確かに、世界では、路上で飢え死にする国があり、それを思えば・・・・・・と。

戦後の“一億総中流意識社会”は、一時的、例外的、あだ花だったのでしょうか?

貧困で、病気で、戦争で、命を亡くす事について、“ある定程度は仕方がない”と、面と向かって云う人は居ません。

でも、しかし、“ある程度は”と思っている人が、少なからず居るように思います。

“絶対に無くさなければ”と思って行動するのと、“有る程度は”と思って行動するのとでは、結果は大きく異なると思います。

地獄の沙汰も金次第、金が無ければ地獄の世の中・・・・・・。そのためには、手段を選ばず、稼ぎまくる。それが普通の人間かも・・・・・・。

サブプライム問題から、金融恐慌へ、そして世界同時不況へ、そして世界恐慌、そして、また・・・・・・。

システムに問題があるのか? 人間に問題があるのか? たぶん、両方に問題があるのでしょう。

人間の欲望が経済を発展させ、経済を破滅させる、欲望を制御する、規制する、監視する、これも欲望を抱く人間の仕事。

ここは、やはり、神様、仏様の出番? でも、しかし、神様も仏様も、人間の創造物だし・・・・・・。

もし、そうで無ければ、世の中、ホントに、とっくに、暮らしやすくなっても、いい筈では? と、そんな気がするのです。

まぁ、いろいろあって、そこが面白くて、いろいろな芸術が生まれたりして、なかなか、一筋縄ではいかない、そんなところが・・・・・・・なんですねェ。 

しかし、それでも、頑張っている人達が、いっばい居るのです。私も炬燵の中から応援したいと思います。


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牛久を歩く “何でも混ぜる神谷さん”

2009年02月03日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

ワインの上に“キャノン”が付くのは、シャトーカミヤのワインだけでは無いようです。他のメーカーでも一部のワインにはキャノンが付いています。

ワインに付く“キャノン”には称号的意味合いがあるのでしょうか? 

カメラの“キヤノン・・・聖典、規範、標準”と、語源的には同一と思いますが、ワインとしての意味合いとか、それなりの謂われとかがありそうです。

まぁ、この件は、これぐらいにして話しを進めます。

それで、“合同酒精”の方は、

【1880年 創業者・初代神谷傳兵衛が東京・浅草に「みかはや銘酒店」を開業(後の「神谷バー」)。

1900年 日本酒類製造株式会社(後の神谷酒造旭川工場)を設立。

1924年 神谷酒造旭川工場を中心に北海道の焼酎製造会社4社が合併して合同酒精を設立。本社を北海道旭川市に置く。

2003年 合同酒精株式会社をオエノンホールディングス株式会社に社名変更し、事業部門を(新)合同酒精株式会社として分割。富久娘酒造を買収し子会社化。】

まぁ、こんな、ことでした。
     
     


香竄葡萄酒も、電気ブランも、合同酒精も、いろいろ、混ぜ合わせて出来たのでした。混ぜ合わせが好きな会社のようです。

     

そうでした! 忘れていたことがありました。蜂印香竄葡萄酒の“香竄”の「竄」の字はあまり良い意味に使われないと書きました。

     

“香竄”の謂われを調べてみたら、HPに、

・・・「香竄」とは、父 兵助の俳句の雅号であり、親のご恩を忘れないためと、この言葉の中に「かくしてもかくしきれない、豊かなかぐわしい香り(まるで樽の中の卓越したワインのように)」という意味があることにちなみます・・・。

     


と、ありました。何となく、そうなのかァ? 輸入ワインにいろいろ混ぜ合わせて、味、香り、色合い、を変えたからの方が・・・・・・・と思うのです。

何か出来過ぎている気はするのですが、本家本元がそう言うのですから、きっと間違い無くそうなのでしょう。



昨日に続いて、何となく興味がわかず、だんだんやる気が失せてきてしまいました。

書いている方が、面白くないのですから、読む方は、もっと、もっと、面白くなかったことでしょう。

こんな、やる気の無い日もあるのです。やる気の無い日は、それなりに正直に、やる気の無い内容を、それなりのブログに残すのも、・・・・・・・。

兎に角! 終わり!

さぁ、昼飯を喰って、午後は近所を走り廻ってくるぞ!

それでは、また明日。



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