本日より、かの有名な、自分が如何にも、歩いているよな、旅番組、NHKの“世界ふれあい街歩き”で、さも、自分で行った気になって綴ります。
これぞ、“他人のフンドシで相撲を取る”と云ったところです。
この例え何ですが、ある時、ある人が、“他人の相撲でフンドシを取る”と云った事を思い出すのです。これは、これで、それなりに面白いと思います。
それでは、“他人のフンドシシリーズ”は、今回、ハンガリーの首都“ブタペスト”を歩きます。
ブタペストはドナウ河を挟んでブタとペストに分かれているのでした。両岸を繋ぐ吊り橋“くさり橋”は1849年にできたそうです。
全長380㍍は、まぁ、丁度良い長さです。吊り橋と云っても吊っているのは、ワイヤーロープではなく、鋼材を連結したものです。
その上を男が歩いて来ます。
この人は、当然、“不審者”ではなく、橋の点検作業を行っている作業員です。それにしても、私服でヘルメットも被らず、安全ベルトもなし、作業靴でも安全靴でもない普通の靴を履いています。
日本では、とても考えられません。ハンガリーは“そう云う国”のようです。人口は一千万ちょっとですから、東京都ぐらいでしょうか。
この方、毎日橋の点検をしているようですが、ここに一人で常駐しているのでしょうか、所謂“橋番”のブタペスト版と云ったところ。
あまり、忙しい仕事ではなさそうです。
公務員なの?、通いなの?、何処に住んでるの?、歳は?、奥さんは?、子供は? 給料は?、暮らし向きはどう?・・・・・・、何て、いろいろ聞いて見たくなります。
ハンガリーは旧社会主義国家です、そして、現在、所得の格差は相当に大きいようなのです。所得の単純平均としては、日本の半分程度みたいです。
旧社会主義国は体制が変わっても、人を“働かす側”の“顔ぶれ”と、“働かされる側”の“顔ぶれ”は特に変わらなかったようです。
橋を渡り終え、見上げる“ブダの丘”には、
大きくて、高くて、立派な、“王宮”が河を見下ろしています。
王宮の屋上?で、観光客相手に絵を売っている絵描きのおじさん。
この方、風景画はまったく描かないようです。こんな、訳の分からない、寓意画?のようなものを売っているのです。
観光客としては、この景色です。
風景画を望むと思うのです。
でも、しかし、彼は、観光客に媚びず、
自己の芸術的な信念を曲げず、断固、風景画を描くことを拒否しているのです。彼は、見下ろす風景が美しすぎて、絵にできないと云ってました。
そうか、そうか、なるほど、と思ったのですが、実は、ホントは、この方、風景画は専門外では?、と思うのです。
ここでは、絶対に!風景画を望む筈です、売れる筈です。でも、彼は描けない、それでも、ここには観光客が集まるのです。
ここで商売をした方が、他の街角で売るよりも、稼げるのでしょう。ここで商売するには、それなりに、届け出とか、認可とか、いろいろと権利関係が発生するのでは?
まぁ、兎に角、おじさん頑張ってください。
しかし、この丘からの眺め、晴れていれば、もっと、もっと、“絵にも描けない美しさ”なのです。
この日は、曇り空で、どんよりと灰色の靄に包まれていました。
でも、しかし、これは、これで、私としては“東欧”と云う、言葉の響きに似合っていると思うのです。
東欧には、抜けるような青空よりも、灰色の空が・・・・・・、“旅愁”と云う言葉が、そんな、想いを懐かせる、ブタペストのブタ側でした。
それでは、・・・・・・また明日。
これぞ、“他人のフンドシで相撲を取る”と云ったところです。
この例え何ですが、ある時、ある人が、“他人の相撲でフンドシを取る”と云った事を思い出すのです。これは、これで、それなりに面白いと思います。
それでは、“他人のフンドシシリーズ”は、今回、ハンガリーの首都“ブタペスト”を歩きます。
ブタペストはドナウ河を挟んでブタとペストに分かれているのでした。両岸を繋ぐ吊り橋“くさり橋”は1849年にできたそうです。
全長380㍍は、まぁ、丁度良い長さです。吊り橋と云っても吊っているのは、ワイヤーロープではなく、鋼材を連結したものです。
その上を男が歩いて来ます。
この人は、当然、“不審者”ではなく、橋の点検作業を行っている作業員です。それにしても、私服でヘルメットも被らず、安全ベルトもなし、作業靴でも安全靴でもない普通の靴を履いています。
日本では、とても考えられません。ハンガリーは“そう云う国”のようです。人口は一千万ちょっとですから、東京都ぐらいでしょうか。
この方、毎日橋の点検をしているようですが、ここに一人で常駐しているのでしょうか、所謂“橋番”のブタペスト版と云ったところ。
あまり、忙しい仕事ではなさそうです。
公務員なの?、通いなの?、何処に住んでるの?、歳は?、奥さんは?、子供は? 給料は?、暮らし向きはどう?・・・・・・、何て、いろいろ聞いて見たくなります。
ハンガリーは旧社会主義国家です、そして、現在、所得の格差は相当に大きいようなのです。所得の単純平均としては、日本の半分程度みたいです。
旧社会主義国は体制が変わっても、人を“働かす側”の“顔ぶれ”と、“働かされる側”の“顔ぶれ”は特に変わらなかったようです。
橋を渡り終え、見上げる“ブダの丘”には、
大きくて、高くて、立派な、“王宮”が河を見下ろしています。
王宮の屋上?で、観光客相手に絵を売っている絵描きのおじさん。
この方、風景画はまったく描かないようです。こんな、訳の分からない、寓意画?のようなものを売っているのです。
観光客としては、この景色です。
風景画を望むと思うのです。
でも、しかし、彼は、観光客に媚びず、
自己の芸術的な信念を曲げず、断固、風景画を描くことを拒否しているのです。彼は、見下ろす風景が美しすぎて、絵にできないと云ってました。
そうか、そうか、なるほど、と思ったのですが、実は、ホントは、この方、風景画は専門外では?、と思うのです。
ここでは、絶対に!風景画を望む筈です、売れる筈です。でも、彼は描けない、それでも、ここには観光客が集まるのです。
ここで商売をした方が、他の街角で売るよりも、稼げるのでしょう。ここで商売するには、それなりに、届け出とか、認可とか、いろいろと権利関係が発生するのでは?
まぁ、兎に角、おじさん頑張ってください。
しかし、この丘からの眺め、晴れていれば、もっと、もっと、“絵にも描けない美しさ”なのです。
この日は、曇り空で、どんよりと灰色の靄に包まれていました。
でも、しかし、これは、これで、私としては“東欧”と云う、言葉の響きに似合っていると思うのです。
東欧には、抜けるような青空よりも、灰色の空が・・・・・・、“旅愁”と云う言葉が、そんな、想いを懐かせる、ブタペストのブタ側でした。
それでは、・・・・・・また明日。