昨日の続きです。
ブダの丘、住宅街を歩きます。
古い石造りの家が並ぶ、これぞ、ヨーロッパの街角です。
煉瓦造りの煙突、きっと、この下には暖炉があるのでしょう。
この方は、煙突の修繕を生業としているようです。単なる煙突の煤掃除だけではないようです。
お父さんも、お祖父ちゃんも、そのまたお父さんも、代々、ずっと、ずっと、続いている家業なのかも知れません。
数百年変わらぬ町並み、変わらぬ生活、旅人は、勝手にそう思いたくなるのです。ヨーロッパの外れ、東欧、ハンガリー、そして、ブタペスト、空は灰色で、人は疎らで、静かな町並・・・・・・そんな風景を望んでしまうのです。
そんな町並みを、颯爽と歩く、
若くて、
可愛い、
女の子のふたり連れ。
ふたりは、日本的には小学校の六年生です、ハンガリーでは、初等教育が8年間、中等教育が4年間だそうで、日本の中学校にあたるものは無いのです。
若い二人は、社会主義の時代を知りません。
昼休みに、町を散策しているそうで、冬に向かう今の季節が“一番好き”と云ってました。ブタの町で生まれ育った二人は、渋い季節を好むようです。
眩しい太陽、青い空、白い雲、そんな風景に憧れを感じないのでしょうか、もしかして、夏になると、私のイメージと異なり、ブタも明るく輝く風景になるのかも・・・・・・。
でも、やはり、よそ者は、ブタは暗い冬のイメージの中にあるのです。そして、そこに暮らす人達も・・・・・・。
でも、もしかして、他の女の子に聞いたら、“暗いブタは嫌いよ!夏が大好き!”何て云うかも知れません。
たまたま通りかかった、たまたま冬好きの、“若い二人”かもね。
こちらは、とても “若くない” 赤い服を着たお婆ちゃん。
85歳だそうです。ハンガリーの、“王制時代”、そして“ソ連占領時代”、そして“民主化の時代”を生き抜いてきたのです。父や母、姉弟、夫、娘、息子、いろいろあった筈です。
そんな婆ちゃんが、杖をつきながら、自慢の中庭を案内してくれました。
冬をむかえる中庭はとても寂しい風景です。春になり、夏になると、葉が茂り、花が咲き、鳥の囀りで賑やかになるようです。
白い髪に、赤い服、“お婆ちゃん!よく似合いますよ!”
これまで、いろいろことがあったのでしょう、
“これからも、ずっと元気でねェ”
煙突を修理する人、街を散策する冬好きの小学6年生、赤い服の85歳のお婆ちゃん、いろいろな人が暮らすブダの街。
まだ、まだ、“他人のフンドシ”で、ブダの街を歩きます。
それでは、また明日。
ブダの丘、住宅街を歩きます。
古い石造りの家が並ぶ、これぞ、ヨーロッパの街角です。
煉瓦造りの煙突、きっと、この下には暖炉があるのでしょう。
この方は、煙突の修繕を生業としているようです。単なる煙突の煤掃除だけではないようです。
お父さんも、お祖父ちゃんも、そのまたお父さんも、代々、ずっと、ずっと、続いている家業なのかも知れません。
数百年変わらぬ町並み、変わらぬ生活、旅人は、勝手にそう思いたくなるのです。ヨーロッパの外れ、東欧、ハンガリー、そして、ブタペスト、空は灰色で、人は疎らで、静かな町並・・・・・・そんな風景を望んでしまうのです。
そんな町並みを、颯爽と歩く、
若くて、
可愛い、
女の子のふたり連れ。
ふたりは、日本的には小学校の六年生です、ハンガリーでは、初等教育が8年間、中等教育が4年間だそうで、日本の中学校にあたるものは無いのです。
若い二人は、社会主義の時代を知りません。
昼休みに、町を散策しているそうで、冬に向かう今の季節が“一番好き”と云ってました。ブタの町で生まれ育った二人は、渋い季節を好むようです。
眩しい太陽、青い空、白い雲、そんな風景に憧れを感じないのでしょうか、もしかして、夏になると、私のイメージと異なり、ブタも明るく輝く風景になるのかも・・・・・・。
でも、やはり、よそ者は、ブタは暗い冬のイメージの中にあるのです。そして、そこに暮らす人達も・・・・・・。
でも、もしかして、他の女の子に聞いたら、“暗いブタは嫌いよ!夏が大好き!”何て云うかも知れません。
たまたま通りかかった、たまたま冬好きの、“若い二人”かもね。
こちらは、とても “若くない” 赤い服を着たお婆ちゃん。
85歳だそうです。ハンガリーの、“王制時代”、そして“ソ連占領時代”、そして“民主化の時代”を生き抜いてきたのです。父や母、姉弟、夫、娘、息子、いろいろあった筈です。
そんな婆ちゃんが、杖をつきながら、自慢の中庭を案内してくれました。
冬をむかえる中庭はとても寂しい風景です。春になり、夏になると、葉が茂り、花が咲き、鳥の囀りで賑やかになるようです。
白い髪に、赤い服、“お婆ちゃん!よく似合いますよ!”
これまで、いろいろことがあったのでしょう、
“これからも、ずっと元気でねェ”
煙突を修理する人、街を散策する冬好きの小学6年生、赤い服の85歳のお婆ちゃん、いろいろな人が暮らすブダの街。
まだ、まだ、“他人のフンドシ”で、ブダの街を歩きます。
それでは、また明日。