権力を巡る争いとは、地位を得る争いで、政策を巡る争いではなく、政策は地位を得る為の、維持する為の、たんなる手段。
権力を手中にした後は、その地位を守ることが最大の目的となる。
と、まあ、のっけからお堅い言葉を記しました。
第16回『華の影』での、道隆一家ですが、地位も、身分も、とても、とても、高いのですが、志は、とても、とても、低いのです。
地位・身分と、志は反比例しがち?うまいモノを喰って、うまい酒を飲み、歌い、舞い踊り、華やかで、優雅で、煌びやかな暮らしに明け暮れて、お祭り騒ぎの日々で、政にはまったく無関心。
疫病を心配する天皇に対して、
『疫病が流行ってはおりますが、それは、下々の者しか罹らぬもの、我々には関わり御座いませぬ」
と、云ってのけたり。
兎に角、無能な道隆、対して、民の窮状に寄り添う、有能で心優しい道長。この解り易いキャラ設定の対比が気になったのでした。
大石静さんは、どんな資料を参考にし、そして資料を、切り刻んで、つなぎ合わせ、膨らませ、各登場人物のキャラを描き上げ、ストーリーの展開を創り上げたのか、その一端に触れてみたいと思ったりして・・・。
ここで、ボケ防止で、社会科の、歴史の、お勉強です。静さんが、たぶん参考とした資料を調べてみました。以下の資料は、平安時代中期を知る上で、その筋では鉄板の資料のようです。
先ずは、道長( 兼家の五男 従一位 摂政 966年から1028年 62歳没 )の『御堂関白記』36巻です。彼が、33歳から56歳にかけて書き残した日記です。
文体や筆跡には、道長の性格のおおらかさが看てとれ、内容は簡潔ながら、当時の政治や貴族の生活を書き記した、超一級の資料だそうです。
しかし、面白いのが、誤字、脱字、重複、省略、塗りつぶし、文法的誤り、意味不明、等々が散見される特異な文体で、又、人の悪口や、喜びの言葉も、素直に記されているそうで、何となく、ドラマの道長に近い気がします。
わたしの想像では、たぶん、道長は、宮廷での仕事を終え、帰宅し夕食後に、一杯やりながら、ほろ酔い気分で綴ったのだと思います。
因みに、現代語訳が、講談社学術文庫より、上・中・下の三巻で出版されています。
次が、” ロバートの秋山” 演ずる ”藤原実資” ( 従一位 右大臣 957年~1045年 )の『小右記』( 982年~1032年記 )で、道長そして、息子頼通の全盛時代の記録。
社会、政治、宮廷の儀式、故実などを記録した、当時を知るうえで重要な資料だそうです。記述は全体的に辛口で、道長の政治および人物を痛烈に批判しているそうです。
ドラマでは、兼家や道隆には批判的ですが、道長に対しては肯定的に描かれています。これは、やはり、源氏物語で、道長で、光源氏説で、”まひろ” 紫式部で、二人の道ならぬ恋で、純愛で、ストーリーが組み立てられている、そんな大人の都合から?
兎に角、道長の『御堂関白記』、実資の『小右記』で、当時の政治状況を、
道綱の母が記した『蜻蛉日記』で、兼家のキャラを、
清少納言の『枕草子』で、中宮定子を中心とした宮廷模様を、
そして、『源氏物語』( 文献初出は1008年で詳細不明 )と『紫式部日記』(1008年~1010年) で、全体的なストーリー展開を、
と、云ったところだと思うのでした。
道長の『御堂関白記』、実資の『小右記』は、まったく知りませんでした。勉強になりました、ボケ対策になりました。
それで、それにしても、道長と” まひろ” の再会シーンは、もしかして?すれ違いなの?的な演出で、ハラハラ、ドキドキでした。メロドラマのすれ違いの常套手段と思ったら、感染したまひろを一晩中介抱したのには驚きました。
まひろと道長、また、また、燃え上がりそう・・・。
でも、この、別れ際の、まひろの手にふれようとして、思いとどまり、去っていた道長。手にふれることは、こころにふれること。
まひろへの想いを、残しつつ、あきらめつつ、ひきずりつつ・・・、そんな象徴的なカットでした。
さすが ”ラブストーリーの名手” 大石 静さん。
後期高齢者ひとつ手前の身としては、歴史のお勉強をメインとして見ていますが、それは、それで、それなりに、心トキメイタリするのでした。
ところで、『光る君へ』の視聴率ですが、大河ドラマとしては、過去最低のようですが、面白いです。
吉高由里子さんも、いい芝居しています。やはり、残念ながら、平安時代を舞台としたドラマは、いろいろな意味でムズカシイのでしょう。
それでは、また。