歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

塩原温泉“妙雲寺で物見遊山”

2008年02月01日 | お寺・神社
昨日の続きです。

行き交う人も2,3人、行き交う車も2,3台のメインストリートを宿に向かって歩いていると、右手の狭い路地の奥に「ぎんざ」と書かれた看板を見つけました。

飲屋街と云うわけでもなく、一軒だけ「やきとり屋」の看板。観光客向けのお店と云うよりも、地元の人が行く店のようです。


この路地で、この風景で、やきとり屋で、「ぎんざ」です。いくら何でも「銀座」では「おこがましい」と思ったのでしょう。

寂れた温泉町、狭い路地、居酒屋、演歌の世界です。もしかして、店の女将は若い頃、ネオン瞬く東京の“あの銀座”で働いていたのかも知れません。

人がひとり歩くのがやっとの路地、こういう処には入って見ないといけません。奥にに階段があり、広い路に抜けられそうです。

店の前で、それとなく店の様子を窺ったのですが、夕刻間近のこの時間、仕込みをしている気配は有りません。本日はお休みなのでしょうか。


階段を上がると車も通れる路に出ました。左手方向にお寺が見えます。


お寺の入り口に「招き猫」です、温泉地の「観光寺」の「軽いノリ」を感じます。


招き猫の抱えた小判を見ると「妙雲寺」とあります。招き猫が抱える小判に寺の名前を入れる感覚は、軽過ぎます。

「招き猫」は、信仰心からの参拝者ではなく、単なる物見遊山の観光客を招いているように見えてしまいます。

“猫に小判”で、“観光客に寺”のブラックジョークなのでしょうか?

兎に角、“信仰心と物見遊山”で寺の境内に入り参拝です。山裾の秋、寺に詣でる・・・・・・・なかなかです。


この柿木は、枝ぶりが「渋い」です、実は「甘い」のでしょうか? これも山裾の秋を彩っています。


旦那は本堂に上がり正座し妻の到着を待っています。観光客ではなく参拝者です。私は石段の下で手を合わせました。


本堂の脇から裏手を見ると、なんと! なんと! 滝です! お寺の境内に滝があるのです。


これはじっくり滝見物をと思い歩き始めると、見覚えのある中年女性が本堂の裏より現れ、滝にデジカメを向けていました。参拝ではなく観光の様です。


先ほどの、蕎麦屋の駐車場に居た「中年ひとり旅」の女性に再会です。何処へと消え、また現れました。

この時間に観光しているのですから、今日は泊まりのようです。

このお寺、それなりに、かなり「名の有る寺」のようです。参拝は済ませたので、日暮れまでの時間、境内を物見遊山します。


それでは、また明日。




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