スパゲッティーを「お腹いっぱい」食べたくなる事があります。
昨日、つくば市に行って来ました。久ぶりに歩きました。市街外れの「赤塚公園」から、中心部の「中央公園」の先のにある「松見公園」までの往復です。
つくば市の中心部は、「東大通り」と「西大通り」の2本の幹線が平行に走る。「梯子」のような「長細い街」です。その梯子の中央を「人」と「自転車」の専用の道が通っています。
「専用道」は「赤塚公園」から始まり、「二宮公園」、「洞峰公園」、「中央公園」を通り、「松見公園」が終点です。その先は「筑波大」の構内に入って行きます。
赤塚公園の駐車場を「9時半」に出発し「時間調整」の為、途中「洞峰公園」を一周。
この日は曇りで「気温」が低く、散策する人は「疎ら」でした。赤茶の「アンツーカー」見たいなものは、ジョギング用の「クッション性」のある「舗装」です。
公園の整備、街路樹の整備、広い道路、「お金」がかかっています。これって中心部だけですけどね。つくば市は「周辺部」と「中心部」の格差が大きいですね。
市街中心部にある「つくば国際会議場」です。立派な建物です。維持管理費が大変そうですね。
今回初めて中に入ってみました。お金がかかっています。一階から四階までの「吹き抜け」は、「スッゲー」開放感です。
この彫刻は「テーマ」が「髪」となっていました。最上階のホールにあり、周りをガラスに囲まれ、椅子に座るポーズから直ぐに、「女湯で髪を洗う女性?」を連想しました。そう見えませんか?
きっと「有名」な「彫刻家」の「作品」なのでしょうね。
せっかく来たので、メインホールを見学しょうと思ったのですが、入れませんでした。受付の女性に聞いてみました。
「事前連絡を頂ければ、全館ご案内致します」との回答。「まぁ。そういうことですよね」と思いつつ外にでました。大変に立派な建物でした。
ほんとに「寒かった」です。昼も近いと云うのに、人が歩いていません。
西武デパート前です。「メリーゴーラウンド(無料)」は「人影もまばら」で寒そうです。
そろそろ「昼食」の時間、私の「頭の中」で、「葛藤」が始まりました。
『今日は歩いたのだから大丈夫』『いや。「あれは」絶対食べ過ぎ。ダメ!』
「大丈夫!」、「ダメ!」。「大丈夫!」、「ダメ!」を「繰り返し」ながら、「松見公園」に向かいました。
しかし、公園に到着すると「大丈夫!」が「勝って」いました。足は迷いもなく「その店」を目指していました。「ダメ」は完全に消えていました。
その店は、公園の側にあります。「大盛り」で「有名」な「イタリヤ料理」の店です。これまで、3回入ったことがあります。2回は配偶者と一緒でした。最後に入ったは「3年」前です。
店内はカウンター席に「先客」の男性が一人新聞を読んでいました。12時過ぎなのに空いています。私もカウンター席に座り、迷わずトマト味の「アラビアータ」を注文。
注文を待っている間に、三組7人の客が入ってきました。以前より少ないです。寒さの影響でしょうね。
これが、その「大盛り」の「アラビアータ」です。写真では「実感」し難いのですが、「普通の店」の「2倍以上」あります。「てんこ盛り」です。
食べ始めて、最初の5分は「ほとんど」「量」が変化しません。
7分経過。
10分経過
12分で完食です。
満足しました。しかし、以前より「満腹感」が少ないのです。
「何故なんだろう?」「どうしてなんだろう?」と考えました。直ぐに答えが出ました。これまで、「配偶者」の分も食べていたのです。
味、ボリューム、値段(¥850)、満足でした。会計を済ませようとレジ前に行き、何気なく、レジ後ろの壁に目をやると「これ」があったのです。
こんな所に、「あの毛利さん」が居ました。「日本初」の「宇宙飛行士」、「毛利衛」さんです。あの方も、ここで「大盛りパスタ」を食べていたのです。
「宇宙開発事業団」の「訓練センター」が近かいのです。「いろいろなもの」が「つくば」にはありますね。
帰りは「腹ごなし」の為に、脇道に入ったりして、赤塚公園の駐車場に戻ったのは2時半でした。
良く食べ、良く歩いた一日でした。久ぶりの「歩く・見る・食べる・そして少し考える」でした・・・・・・。少しも考えなかったか?
さぁ。今夜は「宇宙遊泳の夢」でも見るか。。。。。。
「たった一回」だけの夏祭りの記憶です。私が東京の「板橋区」にいた頃の想い出です。板橋に居たのは「小学校の4年生」まででした。
お祭りは、御輿を担ぎ町内を練り歩くのですが、何ヶ所か「休憩所」があり、そこで「振る舞われ」たのです。
この時、「ロシアケーキ」を始めて知りました。ここまで書いてきて、いろいろな記憶が、「ロシアケーキ」と「繋がり」甦ってきました。
そうです!「マコロン」もこの時、始めて食べたのです。「ロシアケーキとマコロン」美味しかったと云うよりも、「珍しい」とか「不思議な」とか云う思いで、口にした気がします。それまで「洋菓子」を食べたことがなかったのです。
当時、お菓子と云えば、父親が買って来てくれた「餅菓子・・・・・・大福、吹雪、薄皮饅頭、鹿子、きんつば、素甘、等」か、10円玉を握って走って行った「駄菓子屋」のお菓子でした。中でも、イチゴ飴と甘納豆が好きでした。
「イチゴ飴」・・・・・・ビニール袋中に、イチゴの形をして、凧糸の付いた飴が沢山入っていて、中に大きいのが何個かあり、大きいのを狙って、袋の外に出ている糸を引っぱるのです。
「甘納豆」・・・・・・くじを引いて当たると、大きな袋、外れは小さな袋でした。この頃。いつの日か、大人になったら、甘納豆を好きなだけ買って、お腹いっぱい食べようと思っていました。
話しが少し逸れてしまった。
それで、「ロシアケーキ」と「マコロン」ですが、この写真が「ロシアケーキ」です。「クッキー」と同じようなものですね。
「マコロン」は今でも偶に目にしますし、あれから何度も口にしたことがあります。
しかし、「ロシアケーキ」はその時が、見るのも、聞くのも、食べるのも最初で最後でした。「ロシアケーキ」って見かけませんよね。
まぁ、クッキーと同じですから、あえて「ロシアケーキ」何て名乗る必要はないのでしょう。上の写真は「ネット」で見つけました。ネットのなかで売っていました。今でもあるのです。
夏祭りで振る舞ってくれた「休憩所」は、新しくできた「小さなお菓子工場」だったような・・・・・・「おぼろげ」な記憶があります。
「ロシアケーキ・マコロン」という名前も、その時に聞いたのか、それとも後になって、誰かに教えてもらったのかは「ハッキリ」しません。
昔は、「ロシア」という「名称」、言葉の「響き」は、「ロシア民謡」との「イメージ繋がり」で、「遠~い国」の「遠~い昔」の「長閑な大地」のイメージでした。
しかし、最近になって「ソビエト連邦」の「中心部」が「ロシア」と国名を「変更」してからは、「ロシア」という言葉の「響き」からは、「遠い・昔・長閑・大地」はイメージできなくなりました。
「ロシア民謡」も近頃は、何処からも聞こえて来ませんね。
私は一度だけ「歌声喫茶・・・・・・ロシア民謡が多く唄われていた」に行ったことがあります。
私達が「歌声喫茶」を知っている「最後の年代」なのでしょう。高校生の頃でした。池袋駅の近くだったと思います。
そうでした。夏祭りの話しでした。ロシアケーキ、マコロンに繋がって、もう一つ思い出しました。
「真っ赤」な「シロップ」です。いまでも「かき氷」にかける「あの」真っ赤なシロップ。あの頃の甘さは、「サッカリン」の甘さでした。
「真っ赤なシロップ」は、毎年「そば屋さん」の休憩所で振る舞われました。シロップは、下の所に「コック」の付いた「ブリキ」の「寸胴」に入っていました。
中には「氷り」が入っていて、取っ手の付いた「アルマイトのカップ」で飲むのです。夏祭りの「真っ赤なシロップ」・・・・・・甘くて、冷たい、想い出です。
そう。一度だけ、祭りの終わった午後に、友達と二人で「ザリガニ釣り」の帰り、「そば屋さん」の前を通りかかると、未だ「寸胴」が机の上に置かれ、「残って」いた「シロップ」を飲んだことがありました。
氷りは、夏の日差しで既に解け、「生ぬるく」て「クスリ臭い」味がした想い出があります。
私は、次の年の春に、バス停で「五つ六つ」離れた、新しい「団地」に引っ越しました。
ロシアケーキ、マコロン、真っ赤なシロップ、夏祭りの楽しい想い出です。
アルマイト、サッカリン、ロシア民謡。歌声喫茶・・・・・・懐かしいです。
お湯割りを飲みながら、「ロシア民謡」を聞きたいなァ~。
いつ頃からなのか、あまりハッキリはしません。いつの間にか好きになっていました。曲としては、「北の宿」あたりから少しずつ気になっていたのかな。
※年代を確認する為に調べていたら、曲名は「北の宿」ではなくて、「北の宿から」なんですね。「から」いらないと思います。
当時、二十代ですから、「都はるみ」が「好き」何て、「誰にも」云えませんでした。演歌が好き何て云ったら、きっと周囲から、
『都はるみ? へぇー。演歌ねぇー』と、「冷たい視線」を向けられる「雰囲気」があったのです。
私としては、「美空ひばり」よりも「都はるみ」です。
歌に込める、言葉に込める「情感」、人を歌の中に「引き込み」「魅せる」・・・・・・。凄いですね「はるみ」ちゃん。唄う姿、表情が素敵です。綺麗です。美人です。
しかし、今でも「演歌」は「低級」、「下品」って「イメージ」で見られますよね。「ジャンル」による「ランク分け」は、意味のないことなのにね。
でも、わたし、他のことでも「低級」とか「下品」とか、「意味のないもの」とか「価値のないもの」とか、世間で「そんな評価」をうける、「そんなのもの」が好きなんです。
どのジャンルにも「いいもの」、「よくないもの」、「すきなもの」、「きらいなもの」があります。
演歌が好きと云うよりも、「都はるみ」の「唄う歌」が好きなのです。演歌と呼ばれる歌も嫌いではありません。歌は「ジャンル」ではないです。誰が「どんな歌」を唄うかでしょうね。
でも、しかしですね。「残念な事」にと云うか、「悲しい事」にと云うか、新しい「曲」を受け入れることが段々とできなくなってきました。
「昔の歌は良かった」何て歳になってしまいました。「都はるみ」にしても、「小樽運河」や「千年の古都」までですね。
まぁ。それに「千年の古都」以降に「売れた」曲がないという事情も、影響していますが、「演歌」が売れなくなったのでしょう。
「小樽運河」や「千年の古都」は90年の発売ですから、世間で唄われたのは、「バブル景気」最後の時期であり、崩壊の始まりの時期でもありますね。
何かが「符号」するような・・・・・・そんな気がします。
『歌は世に連れ、世は歌に連れ』 何て言葉がありますが、「演歌」は「連れ」なくなってしまった?
「世」に連れた、「詩」や「曲」を書く人が「いない」のか? それとも、「世」に連れた「人」は、「演歌」を書かないのか?
演歌は人間の、弱いところ、カッコ悪いところ、恥ずかしいところを、「突いて」きますね。
ひとの思い、憎しみ、妬み、恨み、怒り、悲しみ、演歌は「慰めの歌」「諦めの歌」ですね。その分野を受け持ってください。
今晩も外は「しばれ」ます。お湯割り飲んで寝よ。
「空き缶」を詰めた袋を「乳母車」に載せ運んで行くお婆さん。変電所と遠くの高高層アパート。寂しいです。
懐かしいです。「縄のれん」
道路に面して建つ「大きな瓦屋根」の「長い家」。住宅でもなし、店仕舞いした商店でもなし、大きな樹に囲まれて、のんびりとした風景です。西武池袋線の東長崎駅の近くです。
こんな「何でもない」風景にシャッターを押してしまいます。突き当たりにある会社の様子に何故か惹かれたのです。この時、一旦通り過ぎてから戻った記憶があります。
この「瀬戸物屋」さん、商品の「陳列具合」がとても懐かしいです。コンクリートの打ちっ放しの床がいい。
人通りの少ない、夕方前の商店街がいいです。
路地裏の質屋さん。紺の「暖簾」に「屋号」が「佐野屋」の「遠藤質店」
住宅街、二股の「わかれ道」。「分かれ道」・・・「別れ道」・・・。
以前にも書きましたが、工事現場が好きなんです。見とれてしまうのです。これは環七ですが、反射板を取り付けていました。
「マーケット」って懐かしい響きがあります。昔、母親に手を引かれ「お使い」に行った頃の事を想い出します。
こんな所で「売れるの?」と心配してしまうほど、人通りのない裏道にありました。品揃えに「哀愁」が漂います。
この「白と緑」の「まだら模様」の「タイル」が「気になる」のです。
いつか、何処かで、何かに、繋がる記憶が・・・・・・。
白地の「暖簾」に黒で「コーヒー」の文字。喫茶店ではなく、「まぼろし」の「ミルクホール」?
空き地に、「猫」と「お婆ちゃん」似合います。好きです。
人通りも少ない、住宅と町工場のある夕方の裏道です。
普通で、何でもない「風景」は、時が流れるほど「じわじわ」と「面白く」なってくると思います。じっくりと「寝かせた」後が、楽しみです。
普通で、何でもない風景の中で、「いろいろな人」が、「いろいろな暮らし」をしている・・・・・・不思議です。
さぁ。普通に寝るとするか。。。。。。。
周囲を更地に囲まれ、独り「寂しく」佇んでいます。「波形トタン」の変色と錆び具合に「哀愁」が漂います。余命僅かです。
「手動巻き上げ式」の「日除け天幕」の曲がり具合、「格納部」の腐食。塗装は全て剥げて「真っ赤に錆びた」鉄板の雨戸。「侘びしさ感」でています。
この「形式」の「木の塀」って昔は良く見かけましたよねェ。入り口の「引き戸」の様子が懐かしい。よく見ると、倒れないように「家」から「補強」の「手」が延び「支え」られています。もう「ひとり」では「立っていられない」のです。
「理容店」ではなく、まさに「床屋さん」と呼びたいですね。「床屋ポール」、植木の具合、モルタルの外壁、入り口の扉・・・・・・。すべての「色彩」と「形」に調和があり、落ち着いた佇まいを創り出しています。いいです!
この路地の先には、学校があるんですねェ。軒先に並んだ「鉢植え」、自転車の上には「布団」、二階には洗濯物が干されています。こういう風景に「人の温もり」を感じます。
木製外壁のペンキの剥がれ具合がいいです。建てられた当時は「明るく輝いて」いたのでしょう。そんな「面影」が「うす水色」のペンキに残っています。
「引き上げ開閉式」の「四角い窓」いいデザインです。外壁の色とは「対照的」な窓に架かる「ピンク」のカーテン。鮮やかで「可愛い」です。
玄関の表札には「古○」とありました。この家「洒落」ていますねェ。
外は曇り空です。寒いこんな日は炬燵のなかで、「ぼんやり」と「外の景色」を眺めて一日を過ごす・・・・・・。
2敗で追っている「顔ぶれ」が「後半ずるずる負け」の「千代大海」に、「平幕」下位の「玉乃島・玉春日・豊ノ島」、この三人は、千秋楽に終わってみれば、良くて11勝、たぶん9勝6敗がせいぜいでしょう。
明らかに、横綱の「心・技・体」の「体」は低下している。それでも、未だに「大関以下」との「実力」に隔たりがあります。
体力の低下により、「取り口」に「強引」さがなくなり、勝負時間も長くなっている。しかし、あくまでも「以前」の「横綱」との「比較」においてです。
「心・技・体」すべてにおいて、横綱が「ダントツ」です。
15日間の取り組みすべて、「勝てる」という自信を持って挑んでいるのは横綱一人でしょう。間違いないです。
他の力士は、何番かは「負ける」、「負けるかも知れない」と思って土俵に上がっています。勝負の前に負けているのです。
8日目の「稀勢里」戦は、以前の「朝青龍」でした。闘争心まる出しで、勝負がついて土俵を割った後、稀勢里の胸を突いて土俵下に弾き飛ばしました。このぐらいの「闘争心」を「他の力士」も出してもらいたい。
西前頭4枚目に上がった「豊真将」は「今場所」はこんなものでしょう。勝ち越しできれば立派です。来場所に期待します。
それと、「角番大関」の「白鵬」が「おかしく」なっています。自分の相撲が取れません。やはり、去年の「13勝2敗」で「横綱」に昇進できなかった「ショック」を引きずっていますね。良くて9勝6敗です。
先々場所が8勝7敗、先場所は休場、今場所は角番で「負け越し」て、最悪は「大関陥落」かも・・・・・・。
琴欧州は「心・技・体」の「体」だけで「大関」になり、その「体」も、古傷の「膝故障」で落ちてますから、「身長」だけでは「ここまで」かもしれない。
期待の「めちゃくちゃ相撲」の「把瑠都」が、3日目の琴奨菊戦で「膝の靱帯損傷」で休場。楽しみがひとつ消えました。強引な取り口なので、いつか怪我をすると思っていたのですが、「とうとう」やってしまいました。後々まで残る「怪我」でなければいいのですが。
三役陣は、関脇「雅山」は「先場所」で「力尽きました」、来場所平幕確定です。小結の「露鵬」も平幕陥落です。
「琴光喜」、「稀勢里」は三役に何とか踏みとどまるしょう。稀勢里は8勝すれば「関脇」ですから、後半頑張るでしょう。
しかし、困ったものです。
「朝青龍」を脅かす「力士」が見あたりません。大関は「現状維持」がやっとですし、三役陣に「大関」を狙える「力士」が見あたらないし。稀勢里には期待しているのですが、なかなか「化け」ないですね。
朝青龍の優勝では、観客が益々減少するしね。
横綱を狙う「生きのいい」相撲取りは、いつ「現れる」のでしょうか。
それと、去年の11月23日に書いた、あの「貴乃花」審判の「挙動不審」は少しだけ治ったようですが、他の審判と比べて「やっぱり変」ですね。
兎に角です。後半戦に期待しましょう! もしかして「朝青龍」が「後2敗」して混戦になるかも知れません。協会もそんな「期待」してませんか?
興行なんですから、面白くして下さい。理事長!
最近は寝不足です。今晩は早く寝よっと。
謎の寺院を後に、多宝塔の脇を通り「歴史民俗博物館」に向かいました。5分ほどで「博物館」に到着。駐車場には先客が1台。
先ずは、前庭に建つ2軒の建物を見学。
「まぁ。そうだよな。こんな感じですなァ」と思いつつ、建物の周りを一周して、内部を一通り見てから、「本館」へと向かいました。
入り口には、「開館しています」の表示。「閉館中」の貼り紙などは見る事がありますが、「開館しています」には、「うーん。そうなんだ・・・・・・」と思いつつ、横の壁を見ると、「歴史民俗資料館」の文字、「アレ! そうか!」ここは博物館ではなく、資料館だったのです。
「そうだよなァ~。博物館を名乗るには、″博物館法″に基づく設置基準があるから、そう簡単には名乗れないんだよなァ・・・」、そんな事を考えていたら、入り口や、建物の全景を撮るのを忘れました。
まぁ。兎に角、「資料館」に入りました。入った所で「事務所」の「女性学芸員?」から、「コンニチワ!」と「挨拶」で迎えられたのです。
こういう所も最近は「愛想良く」なりました。「悪いより」はいいですけどね。でも、こういうところで、あまり「愛想良く」されると、「何だかなァ~」気分になります。
私も「軽い会釈」をして、事務所前に並べられた「パンフレット」を一通り眺めて、先ずは、トイレに入り「用足し」をしました。
「整理・整頓・清掃」状態のチェックではありませんが、トイレは綺麗に清掃されていました。
用足しが済み。落ち着いて館内を見回すと、入り口付近は「天井」が「ガラス」で明るく、展示品も見やすくよくできていました。
実は、最近、「明るさ」が気になるのです。歳のせいで「視力」が低下しているようです。
「順路」表示に従い、奥に入ると「案の定」、内部は薄暗く、展示品にスポット照明を当てる「方式」になっていました。
これって、「本来」の第一目的は、照明による展示品の劣化を防ぐことであり、次に、落ち着いて静かに見学するための「環境」を演出する為の方法だったと思うのです。
しかし、最近。このような施設で、必要以上に「館内」を「暗く」していると感じがするのです。
高齢化社会です。 「もっと光を!」と・・・・・・・・・叫びたい。
それと、この際に、ついでに「云っちゃい」ますが、「必要もなく」「意味も無く」兎に角、「撮影禁止」の「貼り紙」をする資料館・展示館があります。
以前に、公共の資料館で、「著作権」にも関係ない、「有料パンフ」の売り上げにも関係なく、撮影による展示品の劣化にも関係ない、そんな所でも「撮影」が禁止されていました。・・・・・・文句ばかりですいません。歳をとると「小言」が多くなっていけませんね。
この資料館は「撮影禁止」にはなっていませんでした。暗いだけです。
ただですね、展示品のケースの前10㎝程度の所に、天井から床までの「巾50㎝ほど」の案内パネルが取り付けてある箇所がありました。
いったい「なん何」でしょうね? 展示品に照明も当たらず、覗き込んでもみえません。あッ! 又、文句を云ってしまった。
展示内容に入りま~す! これだけは、薄暗い雰囲気が似合いますね。こういう「造り物」は「好き」なんです。
「縄文おばさん」良くできていました。かなり「リアル」です。子供達が喜びますね。私も「楽しく」なります。「こういうの!」
小さい時に撮って貰いました、「二眼レフのカメラ」、中学生の時に「イタズラ」して「吸い」ました「ゴールデンバット」。家にありました、手回しでゼンマイ式の蓄音機でかけていた「レコード盤」
丸い卓袱台、アイロン、ラムネ、火鉢、「うん。あったあった」と見ていた時です。茶箪笥の中に、懐かしく、珍しいものを発見しました。
これが発売されたとき、母親に「買って、買って」と「せがんだ」記憶があります。「最中」と「カレー」の「組み合わせ」がとても不思議でした。
「S&B モナカカレー」懐かしいですね。こんな缶に入っていたんですね。自信は無いのですが、中身は「おむすび型」の「モナカ皮」に包まれていた、そんなおぼろげな記憶があります。
次に見つけたのは、この写真です。「開化楼」という「ホテル? 旅館?」の開店記念の写真です。いいですねェ~、この写真、大正時代とありました。
近づいてみると、看板が「品書き」になっています。
「コロケー、ライスカレ、シチーウ」がいいです。大正時代です。
それにしても、最後のところに書かれている「何でも一品 金八銭」が、気になりました。
「コロケー」と「カツレツ・ビフテキ」が同じ値段でいいの? それに、「天丼、親子丼、開化丼、ちらし丼」も同じ値段でいいの?
何と云っても、「酢の物」が「ビフテキ」と同じ値段は「かなり変」ですね。
大正時代の物価を少し調べたのですが、平均値として、「もりそば・十銭」、「天丼・30銭」、「カレー・10銭」位でした。
「開店記念」の「特別価格」なのでしょうか? それにしても、「食べ物屋さん」の「メニュー看板」大好きですね。展示品の中でこの写真が「一番」気に入りました。
楽しかったです。「民俗資料館」
今日も更新が遅れてしまった。 まぁ、いっかぁ。
今回の目的は、前回、帰り道に見た「寺院らしき建築物」の確認、そして、「歴史民俗博物館」の見学です。
「寺院らしき建物」は、田圃の先、遙か彼方の高台に見えました。石段の先には「山門」と「本堂」とおぼしき、瓦屋根の大きな建物が二棟見えたのです。
その時は、時間がなくて、真っ直ぐ帰って来たのですが、家に帰り「ネット」でいろいろ検索してみたのですが、その「寺院らしき建物」に関する情報は発見できませんでした。
では、寺院らしき建物の見学からです。
佐貫駅から「ニュータウン」に向かう道路を走り、坂道の手前で右折し、石段下の田圃道に車を停めました。
先ずは石段の付近を「キョロキョロ」と見回しました。何の案内板もありませんでした。
普通、お寺や神社であれば、石段の登り口には、「○○寺」、「○○神社」何て刻まれた石塔などが建っているものですが「な~んにも」無いのです。
『きっと「できたて」の「ホヤホヤ」で、そこまで手が回らないのか』と思いつつ石段を登りはじめました。石段の色といい、手すりの木製部分の光沢具合といい、確かに「ホヤホヤ感」がありました。
けっこう長い石段でした。登るに従って少しずつ「山門らしき建物」の「全景」が見えてきました。
「お寺」の「山門」に間違いありません。兎に角、大きく立派な造りです。
普通は、寺の名前が掲げられている、山門中央辺りを見上げたのですが、名前がありません。
周囲を「キョロキョロ」とに見回しましたが、何処にも「寺の名前」らしきものは見あたらないのです。
いくらなんでも、昨日今日できたお寺ではありません。名前を掲げない「何か理由がある?」と思いはじめたのです。
そう思うと急に、「何処か」で「誰か」が、「私」を「監視」している「気配」を感じたのです。私は、「監視カメラ」などがないか周囲を見回したのですが、それらしきものは発見できませんでした。
「部外者」の「進入」を「禁止」する「気配」が「漂って」いるのです、兎に角、「私は怪しいものでは無いぞ!単なる見学者、参拝者だぞ!」という「雰囲気」を振りまく努力をしました。
「単なる見学者、参拝者の雰囲気」を「振りまき」ながら、山門を見回しカメラのシャッターを切り、庭の様子を窺いシャッターを切り、遠くに見える「本堂」を眺めシャッターを切りました。
広い境内に人の気配は何処にもないのです。益々、「怪しい寺」と思えてきたのです。兎に角、「怖いもの見たさ」、本堂に向かって歩きはじめました。
何か「突然」、どこからか「スピーカー」で、「退去警告」が聞こえてきたり、「数人の男」が、「物陰」から「突然」現れ、「取り囲まれる」・・・・・・そうな雰囲気なのです。
本堂に近づき、寺の名前を探しました。「やっぱり」ここにも「名前」はありません。これは「明らかに」、名前を「掲げない」理由があると確信しました。
山門、本堂は確かに新しいのですが、昨日今日できたものではではありません。少なくても「数年」は経っています。幾ら何でも、いまだに「寺の看板」は「準備中で~す」・・・・・・・そんな分けありません。
本堂から渡り廊下で繋がった「客殿・庫裏」とおぼしき建物があるのですが、そこにも人の気配はありません。
「怪しさ感」「不自然感」の漂う寺です。「戒律」で「寺の名前」を「掲げる」行為を禁じた、謎の宗派なのでしょうか?
これ以上、ここに留まるのは「危険?」ではないかと思い、15分ほどで立ち去りました。
しかし、いったい、この「お寺」何なんでしょうね? ホントは?
「歴史民俗博物館」の話しは明日と云うことで・・・・・・
※土日は「いろいろ」あって更新が遅れてしまった。
不二家の今回明らかになった問題は、
①シュークリーム・・・期限1日切れの牛乳を使用。
②アップルパイ・・・・に期限最大4日切れのリンゴ加工品使用
③シューロール・・・・社内基準100倍の細菌検出した製品を出荷
④プリン・・・・・・・消費期限を社内基準より1日長く表示
これらが、報道されている内容ですが、全て、承知してやっている「確信犯」であり「組織的犯罪」だと考えられます。
品質管理体制の「不備」とか「ずさん」とか云う問題とは違う。本来の「ルール」とは別に、「慣例」として「暗黙」の「ルール」が存在していた可能性が高い。
本来のルールは、「万にひとつ」の危険性を「排除」するルールだが、暗黙のルールは「千に三つ」の危険性を「排除」する「レベル」に下げられている。
これは、人の生命、安全に関わる企業が「絶対」にやってはならないことだ。
担当者は「暗黙」の「ルール」に従っただけである。このルールは不二家という「企業」の「体質」そのものである。
牛乳に関して、不二家の説明では、担当者の「勝ってな判断」によるものと説明しているが、担当者が、勝ってに「味見」や「匂い」で、使用の可否を決める訳がない。
主婦が家族の食事を作るのとは訳が違う。大量生産を行う「生産工場」である。実害が発生した時の「損失」が大き過ぎる。
別に「期限切れ」の「原料」について、「現場レベル」の「使用基準」が存在する筈だ。そうでなければ、実害が発生する。
これまでも、「実害」が「発生」していないのは、それなりの「バックデータ」と「使用基準」の存在を裏付けている。それでなければ、担当者の判断一つで、企業の存続まで左右されてしまう。
「暗黙のルール」に基づく「現場レベル」の「使用基準」が存在する可能性が高い。
不二家が「金儲け」が第一目的であり、「食品加工」はその「一手段」に過ぎなかったことが、これで明らかになった。
『はじめから、算盤づくでは、製品はつくらない。ただ、よい製品さえつくれば、算盤の方は自然と合ってくるものだ』
創業者の言葉だそうです。いまでは「算盤づく」になってしまいましたね「不二家」さん。
※「そろばんづく」と言えば、今から20年前に、「とんねるず」主演の映画がありました、「森田芳光監督」でした。関係ないけど、どんな映画か観たくなりました。
本題に戻ります。
『企業は株主のもの』『金儲けしちゃいけないんですか?』と、「ギョロギョロ目玉」の「通産官僚上がり」の「経済やくざ」が云っていました。
※「やくざ」は「義理と人情の男の世界」ですが、「経済やくざ」は「義理も人情」も関係ないようですね。
企業の社会的責任よりも、利益を上げ「株主」への「配当責任」を第一に考える。
「グローバルスタンダード」の「到達点」です。小泉改革の「到達点」です。
『もう知らないよ!』『手遅れだよ!』そんな「声」が、「いろいろなこと」で、「いろいろな人」から聞こえてきます。
そんな声がしている間は、未だ間に合う段階と信じたいのですが・・・・・・。どうしましょうかみなさん? 選挙何かで変わりますかね?
それとも、もう一度「痛い目」にあって、「痛さ」を忘れない為の「ルール」を作り直しますか? 結局これが早道ですかね?
何だかねぇ。。。。。。。。。
先日は、「たまたま見た」、「世界ふれあい街歩き」の話しを書いたのですが、今日も、「たまたま見た」、テレビの話しです。
わたしの人生は「たまたま」がよくあるのです。そして、「たまたま」で人生が変わってきたような気がします。
それで・・・・・・。そうでした。舞台中継なんです。去年の8月に「たまたま」チャンネルをNHKの教育テレビに合わせたのです。
テレビで「舞台中継」を見るなんて、「むかし、むか~し」の「デン助劇場」とか、「松竹新喜劇」以来、数十年ぶりかも知れません。
それで、その「芝居」のことですが、今でも、時々その場面を思い出すことがあります。いいんですねぇ。何というか、その「ほのぼの感」が・・・・・・。
舞台の情景が懐かしいのです。昭和の匂いがいっぱいの「茶の間」です。舞台に向かって左、下手は「路地」になっていて電柱、アルミの笠に裸電球の街路灯、「引き戸の玄関」に、中央が「茶の間」、上手は隣の家に続く、庭になっています。
茶の間の左奥には、二階への階段があり、タンス、仏壇、そして「足踏みミシン」。中央には「丸い卓袱台」、もう「典型的」な舞台セット。
この説明には、私の「思い込み」が「入り込ん」で、実際の場面とは異なるかもしれません。でも、こんな感じの舞台でした。
よくありましたね、この配置のセットは「松竹新喜劇」を思い出します。渋谷天外に浪花千栄子、そして藤山寛美・・・・・・。藤山直美、似すぎです親父に。
それで、芝居なんですが、兎に角です。流れる「空気感」と云うか、柔らかくて、ゆったりしていて、のんびりしていて、懐かしくて、気持ちのよい時間が漂っているのです。
登場人物がいいです。何と云っても「永島敏行」がいい。商売に失敗して、姉「余貴美子」の家に入り込み、居着いてしまった「頼りない男」
何か怪しい「土地」を誰かに売ろうとしているのですが、普段はいつも家にいて「ぶらふら」しているだけの「ダメ男」。この雰囲気が実にいいのです。
私も家に毎日いて、仕事もせずに「ぶらぶら」しているので、永島敏行に感情移入してしまいます。
沢口靖子が良かった。「タンスにゴン」の「コミカル」なイメージが定着しましたね。「清純派」はもう「と~~い昔?」ですね。もう「四十路の女」ですからね。
本人の性格は「タンスにゴン」なんでしょう。地に見えます、楽しんでやっていました。CM終わったのが残念。
この芝居の役柄も「タンスにゴン」に近いです。看護婦役で「余貴美子」の妹です。
怪我で入院してきた患者の「ダメ男」と「くっついて」しまう役です。姉も妹も二人そろって「選んだ」のは「ダメ男」。
「余貴美子」って人は何処かでいつか見たような、名前の思いだせない人でした。
今回調べて見たら、「山田洋次」の「学校シリーズ」に出ていました。
二人は父親を早くに亡くし、母親の女手ひとつで育てられ、母から「男は、ちゃんとした学歴があり、キチンと名刺の出せる職業持った人を選べ」といわれていた。
結果として、二人は母親との約束を守れず、選んだのは、まったく逆の「ダメ男」
しかし、亡くなった母親からは立派な父親と聞かされていたが、実は、毎日家で「ぶらぶら」していた「ダメ男」だったことが、「ひょんな事から」判り・・・・・・。
そんな「恋愛喜劇」です。まぁ、世の中は思いどおりにはいきません。そんなことが楽しいのです。そんなもんです人生は・・・・・・何てことですねぇ。
「コント赤信号」小宮孝泰が裏の家の息子で、二人の幼なじみ役で出演していました。こんな所で仕事していたのですね。なかなかいい芝居してましたよ「小宮クン」
この芝居、「びっくり箱 姉妹編」と云うことで、向田邦子の原作とは違うようです。原作は「姉妹」ではなく「親子」の設定だそうです。
脚本、演出は新進気鋭の人だそうです。名前は忘れました。
中継が終わった後での「舞台の裏話」的な話しが語られ、演出した人がいろいろしゃべっていました。最初は原作とおなじく「親子」の設定にしたそうです。
しかし、配役の沢口靖子と余貴美子の「年齢差」から「姉妹」に書き変えたそうです。まぁ、そんな「話し」は兎も角、面白い芝居でした。
この芝居は、紀伊國屋ホールの録画でした。調べたら「入場料金6800円」でした。
テレビで「タダ」見られる何て、得した感じがしました。実際に舞台を見るのとは異なるでしょうが、家に居て「タダ」ですからね。
それにしても、永島敏行は「農業役者」ですね。あっちこちで「米」や「野菜」造りに励んでいるようです。彼の初期の作品「遠雷」では、トマト農家の若者を演じていましたね。
今、調べて驚きました。彼、
『農林水産物に関するコンサルティングならびに講演などを行う有限会社の「青空市場」の代表取締役である』
と書かれていました。趣味ではなく「商売」だったんですね。何かイメージ壊れるな。
まぁ。兎に角です、面白い芝居でした。ただ、題名の「びっくり箱」が何かしっくりこないです。
まぁ。兎に角、テレビは「たまたま」がいいのです。
そろそろ寝よう。。。。。。。。。。