最近になって、夏祭りの「ロシアケーキ」のこと、思い出しました。
「たった一回」だけの夏祭りの記憶です。私が東京の「板橋区」にいた頃の想い出です。板橋に居たのは「小学校の4年生」まででした。
お祭りは、御輿を担ぎ町内を練り歩くのですが、何ヶ所か「休憩所」があり、そこで「振る舞われ」たのです。
この時、「ロシアケーキ」を始めて知りました。ここまで書いてきて、いろいろな記憶が、「ロシアケーキ」と「繋がり」甦ってきました。
そうです!「マコロン」もこの時、始めて食べたのです。「ロシアケーキとマコロン」美味しかったと云うよりも、「珍しい」とか「不思議な」とか云う思いで、口にした気がします。それまで「洋菓子」を食べたことがなかったのです。
当時、お菓子と云えば、父親が買って来てくれた「餅菓子・・・・・・大福、吹雪、薄皮饅頭、鹿子、きんつば、素甘、等」か、10円玉を握って走って行った「駄菓子屋」のお菓子でした。中でも、イチゴ飴と甘納豆が好きでした。
「イチゴ飴」・・・・・・ビニール袋中に、イチゴの形をして、凧糸の付いた飴が沢山入っていて、中に大きいのが何個かあり、大きいのを狙って、袋の外に出ている糸を引っぱるのです。
「甘納豆」・・・・・・くじを引いて当たると、大きな袋、外れは小さな袋でした。この頃。いつの日か、大人になったら、甘納豆を好きなだけ買って、お腹いっぱい食べようと思っていました。
話しが少し逸れてしまった。
それで、「ロシアケーキ」と「マコロン」ですが、この写真が「ロシアケーキ」です。「クッキー」と同じようなものですね。
「マコロン」は今でも偶に目にしますし、あれから何度も口にしたことがあります。
しかし、「ロシアケーキ」はその時が、見るのも、聞くのも、食べるのも最初で最後でした。「ロシアケーキ」って見かけませんよね。
まぁ、クッキーと同じですから、あえて「ロシアケーキ」何て名乗る必要はないのでしょう。上の写真は「ネット」で見つけました。ネットのなかで売っていました。今でもあるのです。
夏祭りで振る舞ってくれた「休憩所」は、新しくできた「小さなお菓子工場」だったような・・・・・・「おぼろげ」な記憶があります。
「ロシアケーキ・マコロン」という名前も、その時に聞いたのか、それとも後になって、誰かに教えてもらったのかは「ハッキリ」しません。
昔は、「ロシア」という「名称」、言葉の「響き」は、「ロシア民謡」との「イメージ繋がり」で、「遠~い国」の「遠~い昔」の「長閑な大地」のイメージでした。
しかし、最近になって「ソビエト連邦」の「中心部」が「ロシア」と国名を「変更」してからは、「ロシア」という言葉の「響き」からは、「遠い・昔・長閑・大地」はイメージできなくなりました。
「ロシア民謡」も近頃は、何処からも聞こえて来ませんね。
私は一度だけ「歌声喫茶・・・・・・ロシア民謡が多く唄われていた」に行ったことがあります。
私達が「歌声喫茶」を知っている「最後の年代」なのでしょう。高校生の頃でした。池袋駅の近くだったと思います。
そうでした。夏祭りの話しでした。ロシアケーキ、マコロンに繋がって、もう一つ思い出しました。
「真っ赤」な「シロップ」です。いまでも「かき氷」にかける「あの」真っ赤なシロップ。あの頃の甘さは、「サッカリン」の甘さでした。
「真っ赤なシロップ」は、毎年「そば屋さん」の休憩所で振る舞われました。シロップは、下の所に「コック」の付いた「ブリキ」の「寸胴」に入っていました。
中には「氷り」が入っていて、取っ手の付いた「アルマイトのカップ」で飲むのです。夏祭りの「真っ赤なシロップ」・・・・・・甘くて、冷たい、想い出です。
そう。一度だけ、祭りの終わった午後に、友達と二人で「ザリガニ釣り」の帰り、「そば屋さん」の前を通りかかると、未だ「寸胴」が机の上に置かれ、「残って」いた「シロップ」を飲んだことがありました。
氷りは、夏の日差しで既に解け、「生ぬるく」て「クスリ臭い」味がした想い出があります。
私は、次の年の春に、バス停で「五つ六つ」離れた、新しい「団地」に引っ越しました。
ロシアケーキ、マコロン、真っ赤なシロップ、夏祭りの楽しい想い出です。
アルマイト、サッカリン、ロシア民謡。歌声喫茶・・・・・・懐かしいです。
お湯割りを飲みながら、「ロシア民謡」を聞きたいなァ~。
「たった一回」だけの夏祭りの記憶です。私が東京の「板橋区」にいた頃の想い出です。板橋に居たのは「小学校の4年生」まででした。
お祭りは、御輿を担ぎ町内を練り歩くのですが、何ヶ所か「休憩所」があり、そこで「振る舞われ」たのです。
この時、「ロシアケーキ」を始めて知りました。ここまで書いてきて、いろいろな記憶が、「ロシアケーキ」と「繋がり」甦ってきました。
そうです!「マコロン」もこの時、始めて食べたのです。「ロシアケーキとマコロン」美味しかったと云うよりも、「珍しい」とか「不思議な」とか云う思いで、口にした気がします。それまで「洋菓子」を食べたことがなかったのです。
当時、お菓子と云えば、父親が買って来てくれた「餅菓子・・・・・・大福、吹雪、薄皮饅頭、鹿子、きんつば、素甘、等」か、10円玉を握って走って行った「駄菓子屋」のお菓子でした。中でも、イチゴ飴と甘納豆が好きでした。
「イチゴ飴」・・・・・・ビニール袋中に、イチゴの形をして、凧糸の付いた飴が沢山入っていて、中に大きいのが何個かあり、大きいのを狙って、袋の外に出ている糸を引っぱるのです。
「甘納豆」・・・・・・くじを引いて当たると、大きな袋、外れは小さな袋でした。この頃。いつの日か、大人になったら、甘納豆を好きなだけ買って、お腹いっぱい食べようと思っていました。
話しが少し逸れてしまった。
それで、「ロシアケーキ」と「マコロン」ですが、この写真が「ロシアケーキ」です。「クッキー」と同じようなものですね。
「マコロン」は今でも偶に目にしますし、あれから何度も口にしたことがあります。
しかし、「ロシアケーキ」はその時が、見るのも、聞くのも、食べるのも最初で最後でした。「ロシアケーキ」って見かけませんよね。
まぁ、クッキーと同じですから、あえて「ロシアケーキ」何て名乗る必要はないのでしょう。上の写真は「ネット」で見つけました。ネットのなかで売っていました。今でもあるのです。
夏祭りで振る舞ってくれた「休憩所」は、新しくできた「小さなお菓子工場」だったような・・・・・・「おぼろげ」な記憶があります。
「ロシアケーキ・マコロン」という名前も、その時に聞いたのか、それとも後になって、誰かに教えてもらったのかは「ハッキリ」しません。
昔は、「ロシア」という「名称」、言葉の「響き」は、「ロシア民謡」との「イメージ繋がり」で、「遠~い国」の「遠~い昔」の「長閑な大地」のイメージでした。
しかし、最近になって「ソビエト連邦」の「中心部」が「ロシア」と国名を「変更」してからは、「ロシア」という言葉の「響き」からは、「遠い・昔・長閑・大地」はイメージできなくなりました。
「ロシア民謡」も近頃は、何処からも聞こえて来ませんね。
私は一度だけ「歌声喫茶・・・・・・ロシア民謡が多く唄われていた」に行ったことがあります。
私達が「歌声喫茶」を知っている「最後の年代」なのでしょう。高校生の頃でした。池袋駅の近くだったと思います。
そうでした。夏祭りの話しでした。ロシアケーキ、マコロンに繋がって、もう一つ思い出しました。
「真っ赤」な「シロップ」です。いまでも「かき氷」にかける「あの」真っ赤なシロップ。あの頃の甘さは、「サッカリン」の甘さでした。
「真っ赤なシロップ」は、毎年「そば屋さん」の休憩所で振る舞われました。シロップは、下の所に「コック」の付いた「ブリキ」の「寸胴」に入っていました。
中には「氷り」が入っていて、取っ手の付いた「アルマイトのカップ」で飲むのです。夏祭りの「真っ赤なシロップ」・・・・・・甘くて、冷たい、想い出です。
そう。一度だけ、祭りの終わった午後に、友達と二人で「ザリガニ釣り」の帰り、「そば屋さん」の前を通りかかると、未だ「寸胴」が机の上に置かれ、「残って」いた「シロップ」を飲んだことがありました。
氷りは、夏の日差しで既に解け、「生ぬるく」て「クスリ臭い」味がした想い出があります。
私は、次の年の春に、バス停で「五つ六つ」離れた、新しい「団地」に引っ越しました。
ロシアケーキ、マコロン、真っ赤なシロップ、夏祭りの楽しい想い出です。
アルマイト、サッカリン、ロシア民謡。歌声喫茶・・・・・・懐かしいです。
お湯割りを飲みながら、「ロシア民謡」を聞きたいなァ~。