歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

ひたち野うしく駅を見学します

2009年04月27日 | 牛久市の風景
昨日は、晴れて空も青く、木々の若葉も青く、家に居てはもったいないので、かねてより、頭の隅っこにあった計画を実行したのです。

隅っこにあった為に、なかなか実行が遅れていたのです。兎に角、月に2、3回は脇を通り過ぎ、横目で遠くに見える駅舎を、駅周辺の風景を、10年に渡り、ちらちら眺めていたのです。

通り過ぎる度に、家が建ち、事務所が建ち、ファミレスが建ち、ガソリンスタンドが建ち、高層マンション建ち、そして、畑が消え、空き地が消え、原っぱが消えていくのです。

もう、このまま見過ごす訳にはいかなくなったのです。兎に角、歩き周り、何が起こっているのか、どう変化しているのか、駅前の風景は?、駅舎の様子は? 我が眼に納める潮時だと考えたのであります。

国道6号線を土浦に向かって、眺めるJR常磐線“ひたち野牛久駅”の眺め。隣の駅は、下り方向が“うしく駅”、上り方向が、“あの事件”があった“荒川沖駅”になります。


“最新型の駅”なのです。そうでした、知らない人には説明不足でした。この駅はつい最近できたのです。最近と云っても1998年(平成10年)ですから、もう10年前になります。


牛久市と、あの“UR都市再生機構”が建設費用を負担した“請願駅”として建設されたのです。そのへんの、事情とか、いきさつとか、標された記念碑と思ったら、つくば科学万博当時のことが標されていました。


“ひたち野うしく駅”の前身は、万博臨時駅なのです。新しい駅名はかなりの確率で長くなります。

聞き慣れない“ひたち野駅”だけでは、それって何処? と云われるのが不安なのです。どうしても聞き慣れた地名と合体させたくなるのです。

それにしても、この記念碑に彫られた文面と云い、裏に、ずらりと刻まれた町長、助役、収入役、教育長、町議会議長、町議会議員の名前と云い、駅舎のデザインとは、かなりの距離を感じます。


それで、この駅舎のデザイン、そして駅周囲の景観、かなり“しゃれて”いて、“あかぬけて”いて、私にはちょっと“よそよそしい気分”にさせるのです。


最近はやりの“何処からでも来い方式”の階段。むかし、駅の階段は狭くて暗かったのですが、最近はこの方式が主流のようです。


どうですか? この風景。常磐線のうしく駅と荒川沖駅の間にある駅とは思えないでしょ! 


改札を出て、屋根の付いた通路を通って、左手のマンションに行けるのです。通路の下には花壇、そして、その下は“自転車置き場”なのですよ。自転車を外から見えないようにしているのです。

マンション側から見た駅舎。


マンションの入り口までは、屋根が伸びて居ません。雨の日には、駆け抜けるか、傘をさすか、雨の降り方によっては、ケッコウ迷う距離です。


ここまでの処を見ても、駅舎と云い、周辺と云い、かなりお金を掛けているのです。全て、牛久市とUR都市再生機構の負担なのです。

それで、その結果、めでたく、“関東の駅百選”に選ばれたのです。選定理由は“安全、環境を考慮した「21世紀にふさわしい」ゆとりある駅”だそうです。

21世紀に入って9年、駅が設置されて10年の歳月が流れました。明るくて、ピカピカに輝く、21世紀にふさわしい駅も、柱の下をよく見ると、


陽に晒され、風に晒され、雨に晒され、すこしずつ、すこしずつ、通路の柱すべてが“わび・サビ”の世界に入っております。


他の金属部分は、アルミやステンが使われているのですが、通路の屋根を支える柱だけは、何故か鉄にペンキを塗ったものを使用しています。

当初の計画では屋根はなく、最終段階で、無理に追加された可能性があります。

デザイン的には屋根なしで、実用性から屋根付きが主張され、両者が妥協し、通路の半分が屋根付きになり? 予算的にも妥協して柱は鉄製となった?

兎に角、いろいろありそうな、ひたち野うしく駅。まだ、見学を続けます。


それでは、また明日。





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