さぁ!“我孫子シリーズ”です。何故か突然やる気が出てまいりました。
我孫子シリーズは「村川堅固さん」の「旧別荘」のお話です。前回(4/25)から14日ぶりの再開です。
前回は迄は「新館」の見学でした。今日から「母屋」に話は移ります。前回と同じく親切なボランティアガイドさんに案内して頂きました。
玄関を飾る「扁額(横に長い額)」に「天簫」の文字。“簫”は竹を束ねた笛ですが、“天の笛”とは、どう云う意味なのか?
天から聞こえてくる、微かな“笛の音・・・自然の音”に心静かに耳を傾け、世事の雑念から遠ざかり、穏やかなひととき過ごす・・・・・・。
その様なことでしょうか? 兎に角、身も心も、穏やかに、静かに、楽しく過ごす処が別荘なのでしょう。
パンフレットには、【簫は、「ショウ」と読み、竹で作った笛】としか書いてありません、特にガイドさんには、意味については質問しませんでした。
玄関を上がり、左手に進と床の間付きの部屋になります。本陣の「離れ」を移築したのですが、それなりの部屋です。
脇床に付き物の“違い棚”がありません。明かり取りの窓が開けられています。この窓は移築後に開けられたものでは?と考えます。
何故?そう考えたのか、その理由をこれから説明します。
まぁ、そんな大袈裟ではないのですが、
1.床柱が途中で「切れ」、仕切の壁を取り除いた様式になっている。これは、東側からの光りを、脇床まで通す為の細工である。
2.脇床には「違い棚」は付きものですが、それが無いのが変。
3.脇床の壁に窓が切られていれば、明かり取りの「細工」は必要無い。
まぁ。そんなところです。兎に角、見た目、デザイン的にも違い棚を作らないのはトテモ変に見えます。
それと、この床柱は「棕櫚」を使っていました。自然を生かした「茶室風」なのでしょう。
“東側”の書院です、略式の「平書院様式」で、廊下側に出っ張る「机」がありません。
「書院欄間」は「七頭の馬」の透かし彫りです。
この“七頭の馬”は、『足伏走馬』と云う「神事」を彫ったようです。この神事は『七頭の馬』、『七番の神事』とも云うそうで、現在の競馬に似た神事だそうです。
床の間から庭先の眺め。縁側には薄縁が敷いてあります。
鶴の釘隠。
厠前の手水場です。下には、“掃き出し口”が有ります。懐かしい響きです。
ガラス戸越しの裏山。別荘の眺めです。
そして、お風呂です。流し場、壁には、タイルや石が張られていますが、何故か湯船はモルタル仕上げです。あまり浸かりたくない風呂です。
天井と壁の腰から上は「杉の皮」が張ってあります。ここら辺が別荘の趣。
なかなかの母屋でした。
それにしても、当時、東京帝大の教授だった「堅固さん」の俸給は、大変な額だったのでしょう。雑司ヶ谷に家を構え、別荘を2軒も所有していたのです。
堅固さん、息子の堅太郎さん、そして三代目で「この別荘」を手放しました。相続税対策でしょう。
兎に角、予定外の別荘で約1時間を費やしました。少し先を急ぎます。
それでは、また明日。