歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

小津の「東京物語」と寛永寺の不二ネオン 

2006年10月30日 | 映画の話し

先日、小津安二郎監督の映画「東京物語」のロケ地を歩いて来ました。

私が「東京物語」を観たのは、年齢からして当然リアルタイムではなくビデオです。東京物語は1953年の製作ですから、当時、私は未だ3歳です。

上野の科学博物館脇の道路を隔てた先に「寛永寺旧本坊表門」があります。
この門前の石垣に老夫婦の「笠智衆」と「東山千栄子」が腰掛けていたのです。

二人は、戦死した次男の「嫁・・・原節子」のアパートを訪問する前に、ここで時間潰しをていました。

 


   

そのシーンで、カメラがゆっくりと移動して、門の脇にある石柱を撮していく行くカットがあり、その後で座っている二人の姿が映ります。

石柱に彫られた寄贈者の名前を読んでいるような不自然なカットなのです。
一番下の写真程度の大きさの画面でした。

劇場のスクリーンで観ていたら、寄贈者の名前がかなりの「ドアップ」で映し出されたでしょう。

小料理屋、企業名がかなりあり、本編に「CM」をもぐり込ませたようなカットで、以前から、不自然なカットだと感じていました。

そして、この日、50年以上前に撮られた石柱を、いま眼の前にしていることの不思議。当たり前なのですが、映画の中とまったく同じ名前がそこには彫ってあるのです。

話しはそれますが、この日、あの有名な洋食屋の「ねぎし 香味屋」の石柱を発見しました。メンチカツが食べたくなったりして、あそこは、やっぱり、一人で行くには寂しいですからね・・・・・・。

話しは戻ります。
そのなかで、以前より頭の中に残っていたのが「ねぎし・不二ネオン」という企業です。当日、あらためて現物をじっくりと眺めました。

飲食業の多いなか、そして「漢字・平仮名」表記のなかに、ただ一つ「ネオン」という「カタカナ」表記の企業名。

現物は、やっはり「不二ネオン」と刻まれた石柱は異質に見えました。

半世紀以上前に制作された映画の中に描かれた情景と、現実の情景を重ね合わせていると、何か不思議な感覚・・・・・・映画の世界に迷い込むような感覚に囚われるのでした・・・・・・。

そうです。それで「不二ネオン」のことなんです。

 家に戻り、気になってネットで調べてみたのです。
便利ですねェ~ネットは! 

いろいろ判りました。「不二ネオン」のことが。
それは「社団法人全日本ネオン協会」のホームページに載っていました。

そこで理事の人が書かれた「エッセー風の文章」で、東京物語に映し出された「不二ネオン」のことを書いているのです。

それによりますと、「根岸の不二ネオン」は転業して現在はないそうです。当時、業界ではかなり知られた会社であったそうです。
あの銀座四丁目交差点にあった初代「森永製菓」のネオンを製作したのがこの会社だそうです。

日本画家の「横山操」という人が「不二ネオン」で働いていたそうです。働いていたと言っても「ネオンの取り付け工事」ではなく、画家ですから「デザイン」の仕事をしていたんですね。

「横山さん」は当時そこそこ名は知られていた画家だったようです。その横山さんが小津と交友関係があったらしいのです。

それでですね、ここからは私の推測なんですが聞いて下さい。

『東京物語の撮影の際に、寛永寺あたりをロケハンでブラブラと歩いていたんですね小津が、その時、たまたま眼に入ったのです。「不二ネオン」と刻まれた石柱が。そこで、咄嗟に思い付いたのです、横山を驚かしてやろうと・・・・・・』

面白半分の「楽屋落ち」的な発想でいれたのです。そうです、きっとそうですね。

 ※きょうの結論
 東京物語に出てくる「不二ネオン」のカットは小津の「悪戯こころ」であった。

    ※こんなどうでもいいことを調べるのって、楽しいですね。

コメント (4)
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