歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

内舘牧子様「217年間で65人」は少ないですか???

2006年10月07日 | 相撲の話し


今週発売の「週刊朝日」で、内舘牧子さんが連載しているエッセイ「暖簾にひじ鉄」を読んで「チョット、チョット」と思いました。みなさんご存知と思いますが、あの「横綱審議委員会」の初の女性審議委員の方です。
9月場所は相撲放送中にチョコチョコ「顔」が映っていましたね。十三日間通ったそうです。

「週刊朝日」ですが、床屋で待っている間に見ました。私は床屋には混んだ時間を選んで行くことにしています。
この床屋では、自動販売機の飲み物が「タダ」で飲み放題、椅子式の自動マッサージ機も「タダ」でやり放題、当然、新聞、マンガ、週刊誌は読み放題です。放題が三もあって、散髪代は「シャンプー・顔そり付き」で2100円です。

それでなのですが。「チョット、チョット」と思ったのは、白鵬の横綱昇進問題に触れて、
「横綱の地位は重くそう簡単にはなれるものではない」と述べ、その証として、大相撲の歴史「217年間にわずか65人!」しか横綱は生まれていないと「りきんで」いました。

「217年間に65人」、一瞬にして私は「これってわずか?」と思ったのです。
我ながら鋭い突っ込みです

早速、携帯の電卓で「217割る65」と入れました。答え一発「3.338」年に一人の率で生まれているのです。「わずか!」という率では「ない!」と私は強く確信したのであります。

オリンピックやサッカーのW杯は4年に1回。これは比較にならんね・・・・・。

そう。ふつう、ふつうにですよ、スポーツの選手で「素晴らしい選手だ」「3年に一度、生まれるか、生まれないかの逸材だ!」とは騒ぎませんよね、ふつう。
どう考えても、「10年に一度?」・・・・・「うーん。これも短い」やっぱり少なくても「20~30年」に一度ですよね。

それで、散髪が終わって家に帰り調べてみたのです。

調査内容
朝青龍(2003年3月昇進)から千代の富士(1981年9月昇進)まで11代前までの横綱を、

「千代の富士」から→2年で「隆の里」から→3年で「双羽黒」から→10ヶ月で「北勝海」から→4ヶ月で「大乃国」から→2年9ヶ月で「旭富士」から→2年6ヶ月で「曙」から→1年10ヶ月で「貴乃花」から→3年6ヶ月で「若乃花」から→8ヶ月で「武蔵丸」から→4年で「朝青龍」・・・・・でした。

22年間に11人の横綱が誕生、2年間に1人の比率です。過去すべての比率では「3.338年・・・・・・は3年と4ヶ月」ですから、最近はますます「わずか!」でなくなっているのです。

今日の結論
横綱の地位の重さはを「誕生する比率」から説明するには無理がある。
「わずか」と言うならば、「20~30年」に一度でしょう。
       以上。牧子さん反論できますか?

追記
白鵬は先場所後に横綱に昇進させるべきであったと思う。このままであれば、最短でも来年の初場所後の昇進となり、22年間で最長の、武蔵丸から朝青龍が誕生する4年とほぼ並ぶことになる。
それは別にしても、白鳳のこれまでの成績は横綱にしても全く問題ないと思う。

「技、スピード、集中力、土俵態度」横綱として問題なし、朝青龍の昇進時より上です。自分の「型」は未だ完成していませんが・・・・・・・。

もし、白鵬が日本人であれば先場所後「横綱」になっていたと思います。
外国人力士はおおいに結構。毎場所がW杯です。

ついでに言えば、情けないのが「カド番記録」の「更新争い」をしている大関陣の3人です。もう「結構」。もう「ご苦労さん」です。協会は「引退勧告」を「そっと」やるべきではないか?・・・・・・。
それとも、カド番に「制限制度・・・・・5回で引退とか」を設けることも検討したらどうですか? 

          北の湖 理事長 殿 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする