歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

「戦争」は人間を美しくする???

2006年10月28日 | 世間話し
ふつうですね、映画とかテレビドラマに登場する主役って、いわゆる「美男」「美女」ですよね。

以前に観た、中国映画の「山の郵便配達」なんですけど、ホントに辺鄙な山奥で、徒歩で郵便を配達しているのですが、その、「清く、正しく、貧しい」配達夫の役者は「それなり」なんですが、その「奥さん」が何と!、何と!「都会的美人」なんですね。

もの凄~く、不自然なんですが「主役」の「奥さん」となると、それなりの女優になってしまうんでしょうね。それなりの女優は、それなりに「美人」ですから。

中国の映画が変だと言っている訳ではありません。
日本でも、寂れた漁港の漁師や、ローカル線の定年を目前にした駅長が、あの「高倉健」ですよ。

映画としての「一つのお約束」ですから、その方が、お客さんも観に来てくれる訳です。みんな、「映画」は「娯楽」としてみている訳ですし、やっぱり、主役は「美男・美女」ですから・・・・・・。

それで~。それでなんですが、「戦争」を描いた映画のことなんです。
まァ。当然なこととして「戦争は良くない」という主題になる訳です。

表立って戦争を賛美する映画は、いくら何でも作ることは憚れますよいくら何でも。
でも。でもですよ、表だって戦争に反対する「映画」も、やっぱり「映画」ですから、出演者がみんな「美男・美女」で「カッコィー」ですよね。

それに戦争映画は情景、映像が美しすぎますよ特に別れのシーンがねェ。

桜の花びらの散る樹の下、言葉少なく歩く二人、戦場に行く男は二等兵ではなく、制服姿も凛々しい将校ですね、ふつう。

死を覚悟して、最後の別れのシーン、ここでは、アップで悲しい女性の美しい表情。バックには別れの悲しさ、残酷さを強調する曲が流れる。

戦争という残酷な現実のまえに、翻弄される二人の愛。ここは、やっぱり永瀬正敏とか、原田知代とかですかね。

反戦映画だからリアルにといって、「出川哲朗」と「光浦靖子」では「興行的」に絶対に無理があります。これでは「糞リアリズム」です。

 ※二人はそれなりに面白く、嫌いではないですよホントに!

戦争を描いた映画って、実体験がある人とか、そんな人が周辺にいた人には反戦映画になると思いますが、まったく知らない若い世代には逆に、戦争に「憧れる効果」がある気がするのです。

自分探しをしている段階において、「自分のためではなく、他の人の為に命を捧げる」「これが正しい生き方である」として一定の権威付けがされる方が楽チンですからね。

それに、死に赴く男は「ある意味、それなり」に「カッコィー」ですから。
みっともなく老いていくよりも、精神も肉体も「若く美しいまま」人生を終わらせる・・・・・・。

極限状況の中での人間を描く・・・・・、ドラマってみんなそうですよ、何たって最大最高の極限状態は戦争ですから。

平和は退屈? 戦争はドラマチック?

軍人の制服姿はやはり「立派で、凛々しくて、美しく」て「カッコィー」のです。昔の人に聞くと、予科練の制服とか、陸軍・海軍の士官学校の制服とか、将校の軍服に憧れって軍隊に入った人がいたそうですから。

三島由紀夫も軍服姿で切腹しましたからね、軍服は男の「凛々シズム」の極致?

美しく描いた「反戦映画」は「賛戦映画」になってしまうと思うのです。
歳を重ねるほど過去はやっぱり美しいものと誰しもが思いたいですからね。

それで、それでなんですが。
普通の人の普通の戦争は、高倉健や、永瀬正敏や、吉永小百合や、原田知代ではありません。

将校は一部のエリートですから、普通はみんな下っ端の兵隊です。
桜の樹の下で美しい恋人との別れもなく、一人戦場に行って寂しく死んでしまうのですよ、ふつうの人は、そんなもんですよ、ふつうの人は・・・・・・。
コメント
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