歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

土浦で“ひな祭り”で春でした!

2008年03月03日 | 土浦市の風景
本日は3月3日です。“ひな祭り”です。

水海道シリーズはお休みします。それで、わたくし一昨日の土曜日に“ひな祭り”に行ってきたのです。

ホントのところは、別の用件で土浦に行ったところ、偶々、市内で“ひな祭り”をやっていたのです。

ひな祭りのメイン会場は、亀城公園の近くにある「まちかど蔵」です。そのほか、50軒ほどの商店でお雛様を飾っているのです。

“まちかど蔵”の前には、“カブスカウト”の子供達が盛んに“呼び込み”をしています。普段とは異なり、それなりの“賑わい”です。

私も、“元気”で可愛い彼らから、「ひな祭りの会場案内マップ」と「ティッシュ」を受け取りました。


普段は薄暗い蔵ですが、この日は、赤い毛氈の雛壇、色とりどりのお雛様、桃の花に梅の花、いつもと違い華やいでいます。

雛壇下の孟宗竹の緑が全体を引き締めています。


このお雛様達の衣は、地元の名産「ハスの葉」等の植物の葉っぱだそうです。


こちらのお二人の衣装は“渋く”、タダの蓮の葉っぱとは思えません。


こちら、郷土色豊かに「レンコン」が飾られています。名産品ですから、まぁ、いいか。


この子供達の呼び込みは、元気過ぎ、“過熱気味”で、かなり煩くなってきました。2グループで競っているようです。


駅前を通ってこの会場に来たのですが、ひな祭りの開催を感じる雰囲気は何処にもありませんでした。

呼び込み、案内地図配りは、街の玄関である駅前でやった方が、ずっとずっと効果的だと思うのでした。

“雛人形製作関係”のおばさんが、「煩いはねぇー」と、小さな声で呟くのが聞こえました。

可愛い声も、何度も何度も繰り返し聞いていると、甲高くて、耳障りな騒音に聞こえてくるのです。

子供達は一生懸命なんですけどねぇ・・・・・・。指導者の方、やっぱり、駅前がいいですよ。


亀城公園の“垂れ梅”


ほぼ満開、甘い香りが漂います。


この日は、風もなく、暖かく、モォー!ホントに春!


この幟がある処に、お雛様が飾られています。こういう「ひな祭り」、各地でやるようになりました。


それほどお金もかからず、それなりに人が集まります。土浦のひな祭りは今年が始めてかも?

孟宗竹を使った花飾り、冬が終り春が来た気分になります。


何故か? このお人形屋さんは、祭りには不参加のようです。

商売人にとっては、“桃の節句”はもう終りのようです。

“端午の節句”に向かって動いているのです。


偶々行った土浦で、思い掛けずのひな祭りでした。


明日は、間違いなく、水海道シリーズです。


それでは、また明日。


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土浦 「真鍋小学校の開校三百年?」 

2007年12月03日 | 土浦市の風景
先週の土曜日(12/1)、久しぶりに晴れました。土浦の街をブラブラして来ました。

今回は「カメラ」は持って行きません。

ブログを始める前から街を歩くのが好きでしたし、気ままに写真を撮っていました。それが、ブログを始めてから、カメラを持っていると、ブログを意識して撮るようになってきたのです。

ブログに載せるのを意識して撮るのと、自分の興味だけでシャッターを切るのは、何処かに「少しだけ」ズレがあるような・・・・・・、そんな気が「少しだけ」するのです。

写真を撮ることに集中して、今、その時、その場の、空気を、ゆっくりと、じっくりと、身体で感じる余裕を無くしているような気がしてきたのです。

そんなこんなで、今回はホントにホントに、只、ひたすら「ぶらついた」のです。

それでも、白、黄、うす紫の小菊が庭先に咲いている風景を見ると、写真を撮りたくなりました。

市街地の外れ、道路に面して飲食店が数軒並んだ一画に、“ブス”と云う名のスナックがあります。看板には「典型的」な「ブス顔」のイラストが描かれています。

ブログのネタ向きの被写体です。そんな事を思い、もしかして?以前にブログに書いたような? 書かなかったような? 今日は写真を撮らないのです。

ウロキョロと歩きながら、観察しながら、面白い物件を探してしまうのです。やっぱり見つけてしまいました。

建設予定の「告知板?」です。立ち止まり記載内容をチェックします。有りました! 見つけました! 建設着工予定が「平成19年9月」で、完成予定が「平成19年7月」になっています。

着工よりも、完成が「2ヶ月早い」のです。こんなのを発見すると、やはり嬉しくなってカメラを持ってくれば良かったと思ってしまうのです。

「普通の面白ネタ」を撮る。「トテモ気になる」「普通の風景」を撮る。どちらも、以前は普通に撮っていました。


街外れの「旧鎌倉街道」が最近のお気に入りです。「真鍋小学校」で途切れる、ほんの数百㍍なのですが、この道はとてもイイです。

丘の上の神社に通じる曲がり角の傍ら、コンクリート製の古びた「小さなお社」が祀られています。

学校に通じる石段で鎌倉街道は終わります。石段の途中で振り返り眺める市街の風景、昔の旅人もきっと振り返った筈です。

石段とか、坂は、必ず途中で振り返りたくなるものです。

茅葺き屋根をトタンで被った屋根が幾つか見えます。鎌倉街道の匂いがします。

真鍋小学校の校庭には桜の古木があり、春になると新聞の地方版には必ず?満開の桜が掲載されます。

校庭に桜の樹があると書きましたが、ここのは「ホント」に「校庭の中央」に並んで「ある」のです。

枝だけになった「樹」を眺め、塀に沿って正門のところに来ると、立て看板に筆で文字で「開校三百年記念式典」と書かれていました。

多分「三百年」だったと思います。最近は「眼」も、「頭」も「ハッキリ」しないので、見間違い、思い違いがあるかも知れません。

それにしても、開校三百年は「凄い」と思ったのですが、後からよくよく考えると、そんな昔に「小学校」は無い筈です。

明治になってから小学校はできたのですから、今から三百年前は1707年です、明治維新は1867年です。もしかして、「開校」ではなかったのかも知れません。

看板は、私の見間違い、思い違いのようです。こんな時はカメラで撮しておけば良かったと思うのです。

きょうはカメラは持っていないのです。


やっぱり、カメラを持ってくれば良かったと思うのです。


自然に、普通に、気楽に、気ままに、気の向くままに、写真を写す。


これからのブログ、何を載せていきましょうかね・・・・・・。


それでは、また明日。




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土浦 明るくて寂しい「テクノパーク」

2007年09月26日 | 土浦市の風景
昨日の続きです。


トンネルを抜けると、明るく輝く「工場団地」が現れました。


しかし、通りには「人っ子ひとり」居ません。それにしても、広い通りに緑の並木、お金が掛かっています。



広い敷地は緑の芝生に囲まれ、ガラス貼りの明るい事務所建屋、実に綺麗に出来ています。立派な工場です。


これは、あの「アルミサッシ」の「トステム」の工場です。2006年の売上高5434億円 だそうです。

こういう産業の、こういう工場も「この程度」の「設備」が可能になったのです。やはり、日本は「お金持ちの国」になったのでしょうか? それとも、大企業だけが「お金持ち」になったのでしょうか?


大企業、そして工場と云うと思い出すのは「社員食堂」のことです。以前、真面目に働いている頃のことです。(今は真面目にぶらぶらしています)

私は社員食堂など無い「零細企業」で働いていたのですが、仕事の関係で電気メーカー等の社員食堂に何度か入ったことがあります。

食堂を利用したのは、ソニー大崎、ソニー厚木工場、ソニー幸田、ソニー一宮。アイワ宇都宮、アイワ岩手工場、バイオニア所沢、パイオニア川越、パイオニア静岡。ビクター川崎、キャノン取手、キャノン阿見、と云った処です。

今、思い出しながら書き出したのですが、いろいろな工場で食べたものです。全部「タダ」で食べました。

やはり、何と云っても、ソニーが一番でした。メニューが豊富なこと、食堂の設備が良い事、他の企業と「ワンランク」異なりました。例えて云えば「ファミレス」レベルです。

カメラメーカー№1のキャノン取手工場は、メニューも設備も最低で、例えて云えば、場末で老夫婦が二人で細々と営む定食屋さんのようでした。

工場の食堂が、敷地内、建物内で何処に設置されているかで、その企業の社員に対する姿勢が判ります。

話しが逸れてきましたので、元に戻します。兎に角、明るく綺麗な工場団地です。



それで、明るく「ピカピカ」の「トステム」何ですが、やはり裏の工場は暗く寂しいのです。


こちらも、明るく綺麗な「ノーリツ」の正面玄関です。あの「ガス風呂釜」のトップメーカーです。


広くて、明るくて、寂しい工場団地を軽快にペダルを漕いで進みます。兎に角、空は青く、雲は白く、吹く風は爽やかです。

工場団地の話しは、まだまだ続きます。

ここらで一旦、終了します。


それでは、また明日。 


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土浦郊外「常磐高速道」の下は暗く寂しく湿っています!

2007年09月25日 | 土浦市の風景

昨日の続きです。

ケムンパスが大量発生している「草創の郷」を後に、常磐道沿いに進路を取りました。

こんな処に野球場がありました。


野球場の先に、何やら「農場風」の入り口らしき門を発見。


こんな処にやっぱり農場でした。それが何と「あの」、「中川ヒョーム管工業株式会社」の農場でした。門柱は勿論、ヒューム管で造られていました。

そう云えば、さっきの野球場も「中川野球場」とありました。ここら辺一帯は「中川ヒューム管」の土地のようです。



土浦市と云えば「中川ヒューム管」ですから、駅前の商業ビルのほとんどが「中川グループ」の「延増興産」の所有だそうです。市長も「中川一族」中川清さんがやってます。

それで、「中川ヒョーム管」のHPを見たのですが、この「農場」には触れていませんでした。

ついでに、「ヒューム管」て何なのかを調べたところ、オーストラリア人の「W.Rヒューム」が1910年に発明した、鉄筋とコンクリートを材料に、遠心力を使って作られた、コンクリート管のことだそうです。ヒュームは発明者の名前だったのです。

所謂、下水、汚水のコンクリート製のパイプです。日本には今から82年前の1925年に製法が伝わったそうです。

「中川ヒューム管」も、その頃に土浦で創業した会社です。ヒューム管の老舗なのです。

「中川ヒューム管農場」とあり、場長に「中川延四郎」とあります。この人を調べたら、「中川商事」の創立者でした。

四郎ですから、中川家の「四男」でしょう。「延増興産」の「延」は、多分、延四郎の「延」から取ったものでしょう。

「ヒューム管工業」が大正9年の創業で、「商事」の方は大正11年になっていました。当然、この「延四郎さん」は亡くなられている筈です。


門から中の様子を窺ったのですが、農場としての実体はなく、単なる「空き地」のようでした。

「植樹祭記念」「緑化推進」とありましたが、いつのころ造られた農場なのでしょうか、延四郎さんが「場長」ですから、かなり昔の事なのでしょう。

でも、門柱にはそれほど時代が経った様子は有りません。兎に角、何だか?良く判らない?農場でした。 

この辺りは、人通りも「車通り」も、「まったく」と云っていいほど有りません。直ぐ脇の常磐道は、車がびゅんびゅんと音を発てて走っているのですが、その直下の測道は人気が無く、薄暗く寂しい処なのでした。


日陰になっており、休憩するのには「持って乞い」の場所です。


記念にカーブミラーに映る姿を一枚。

暗く湿った測道を数百㍍走ったところで、高速の高架下にトンネルが出現しました。

トンネルの先は、遠くに筑波山、青い空、白い雲、緑の芝生が輝いて見えます。反対側は別世界のようです。



別世界の話しについては次回とします。


それでは、また明日。 



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土浦郊外「草創の郷」のケムンパス!

2007年09月24日 | 土浦市の風景
一昨日の続きです。

関東で始めて目撃した、関西訛りの「モータープール」を後に、緩やかにカーブした坂を下ります。



黄金色の田圃が視界一杯に広がります。今年は「バケツ稲作農家」を経験していますから、この景色は他人事ではないのです。

「豊年万作」で、「良かった!良かった!」と頷き眺めてしまうのです。


これが「ぜ~んぶ、お米なのです!」 これが「ぜ~んぶ、ご飯になるのです!」
眺めていると、何故か嬉しくなるのです。

嬉しくなるとぺダルも軽くなり、自転車の速度も早くなります・・・・・・、そうでした下り坂だったのです。


何故かここで思い出したのです。
その昔、私が二十代の頃です、何かの用事で電車に乗っている時の事です。

小学生の兄弟らしき二人がドアの側に立ち、外を眺めていたのです。弟の方が兄に質問をしました。

『上り坂と、下り坂はどちらの方が多いか? 知ってる?』

兄は暫く考えてから、頭を左右に振ったのです。弟は云いました。

『坂道は、上りがあれば、必ず下りがあるんだ、だから答えは、どちらも同じ!』

私は傍らで聞いていて、素晴らしい答えに感心し思わず頷いてしまいました。あの兄弟は今頃何処で、何をしているのか? 

そんな事を思い出しながら坂を軽やかに下って行くと、坂は上りに変わってきました。

「お食事処」の看板です。田舎道、緩やかにカーブした上り坂。なかなかの風景です。

坂を上り暫く走ると、村の集会所が見えてきました。近づくと「中都町農村集落センター」の看板が立っています。

「農村」に「集落」、普段はあまりお目に掛からない文字です。広場と木立と建物の作り出す何とも云えない佇まいが、長閑な田舎を感じさせます。


自転車を広場に乗り入れ休憩です。見上げる桜の樹の葉っぱのほとんどが、葉脈だけを残し、スケルトン状態です。

石碑がありました。「草創の郷」です。あの前知事の書です。


「草」に分け入り、荒れ果てた草原を開墾し、豊かな大地に「創」り変えたのです。この一帯は戦後に開拓された、新しい田園地帯、新しい「郷」なのでしょう。

何か手掛かりでもと思い、石碑の裏に回りました。


有りました! 入植者の出身地と氏名が刻まれています。

1番が長野県で、37名。

2番が地元の茨城県で、13名。

3番が新潟県と宮城で、各2名。

4番が山形県と岩手県で、各1名。  合計56名

皆さん、ここに到るまでは相当な苦労があった事でしょう。いろいろな事情から、ここに名前の刻まれていない方も居られると思います。

皆さん! ご苦労様でした! 一瞬拝みそうになりましたが、仏像では有りません。多分、かなりの方は未だ健在と思われます。

それにしても、年号が刻まれていませんでした。簡単な開拓の歴史なども刻まれていると、こちらとしてはトテモ有り難いのですが・・・・・・。

それと、氏名を読んでいた時です、ゲッ!毛虫がウジャウジャ這い回っているのです。 キ~モチワリ~イ! 背中が痒くなる~!

葉っぱをスケルトンにした犯人です。気持ち悪くて直ぐに逃げ出しました。防除をした方が良いと思います。


さぁ。もう少し遠くまで行ってみます。


それでは、また明日。 



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土浦市「普通の風景」と「モータープール」

2007年09月22日 | 土浦市の風景
又しても“土浦”です。

前回、9/14~9/18の5回シリーズは9月1日の土曜日に土浦市内を歩いた時の話しでした。

今回は9月9日の日曜日に、土浦の郊外を「歩き」ではなく「自転車」で走り回ってきたのです。車はいつもの市民会館の駐車場に入れました。

今回目指すは、何故か気になる土浦市内から筑波山方向への裏道です。

それ何んですが、高速道路とか電車に乗っていて、目的地に向かうまでの「通過」していくだけの「風景」を眺めていると、“ふと”思うのです。

あの風景の先はどうなっているのか? 歩いてみたい、確かめてみたい、そんな“ふと”思った処を走ります。


市内を抜け“裏伝い”に「土浦北インター」の方向に向かいます。

東京の郊外のその先の土浦市、その土浦の郊外の団地です。とても寂しく映るのです。この寂しさが何とも「魅力」なのです。


この2階建てのアパートは空き家です。雑草の茂った風景がとてもイイです。人の住まなくなった家は「うらぶれて」いて、とても懐かしい気持ちにさせてくれます。


写真中央に小さく見える歩道橋、この広い道を真っ直ぐ進と土浦北インターがあります。歩道橋の上に見える山影が筑波山の端っこです。

私はこの広い道を真っ直ぐ進まずに、歩道橋の下を渡り右の裏道に入ります。

こんな道が好きです。何もなく、普通で、そんな処になかなかの「味わい」があるのです。


田舎の小学校の校庭です。校庭と聞いただけで、見ただけで、懐かしくなります。「野球大会」をやっていました。


「田舎・校庭・野球」、これぞホントに「長閑で平和な休日風景」の代表です。でも、帰り際に「弁当業者」が大量に弁当を運び込み、役員らしき女性が代金のやりとりをしていました。

野球大会のお弁当は「おかあさん」の「手作り」ではないようです。少し長閑ではない風景を見てしまいました。

野球を眺め、お茶を飲み、休憩終了。筑波山に向かってペダルを漕ぎます。ここで、ふと傍らの看板の文字が気になりました。


「モータープール」とあります。これは「関西系」の表現です。今からもう30数年も前のこと、大阪に出張した時、始めて「モータープール」を眼にしたのです。

東京には「モータープール」は有りません。それと「アイスコーヒー」は「冷コーヒー」で、何処の喫茶店でも「焼き飯」がありました。

焼き飯、冷コー、モータープール、かなりの違和感がありました、ホントに「遠くに来たんだなぁ~」と、思ったものです。

「おでん」のことを「関東炊き」と云ったり、お刺身を「お造り」と云ったり、配偶者を男の方が「よめ」と云ったり、駐車場も「モータープール」と云われるようになってきました。

関西系の表現は好きではありません。関西弁が嫌いなのです。ですから関西落語は嫌いですし演じる落語家も嫌いです。

「良い悪い」の問題ではなく「肌合い」の問題ですので、これはどうしょうもありません。

話しが逸れてしまいました。


この続きは次回にします。


それでは、また明日。


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土浦市揚水ポンプのモーターは富士電機製で「皇紀2600年製造」と植え込みを覗くお婆ちゃん

2007年09月18日 | 土浦市の風景

昨日の続きです。

土浦港のヨットを横に眺め市街地に戻ります。港の先にある市営駐車場をの前を通り、道路脇の公園で休憩です。

公園の中に置かれている「揚水ポンプ」です。辺りを見回しても「解説・説明・案内」等の掲示物は見当たりません。

以前に来た時は、それなりの「解説」が書かれた物が何処かに立っていた様な気がします。記憶違いかなァ~?

今回は「銘板」の観察です。


先ずは左側の「モーター」からです。銘板が2枚貼ってあり、上の方は「株式会社飯村電工社」とあり、製造年月日が「1964年」とあります。

下の方には「富士電機製造株式会社」とあり、「製作年度 2600」と書かれています。

西暦ではありません。これは? もしかして? 紀元は2600年の「あの皇紀」による年代表記でしょうか?


右側の「ポンプ」は「株式会社荏原製作所」とあり、「昭和16年8月製造」と刻まれています。


ポンプが昭和16年ですから、モーターも16年かそれ以前に製造されたものです。調べてみるとやはり間違い有りませんでした。

皇紀2600年は、昭和15年になります。前年に製造された「富士電機」のモーターを「荏原製作所」が購入して、翌年「揚水ポンプ」に組み立て納入したのです。

それにしても、「荏原製作所」は「元号」で年号表記をして、「富士電機」は「皇紀」での表記、この違いを如何に理解すべきか? そして、この事実は何を物語るのか? 

この銘板の年号表記の違いの謎を解き明かす事により、戦前の天皇制、軍部、財界の関係に新たなる発見が?・・・・・・ナンチャッテ!そんな事ある訳ないですねェ。

それにしても、銘板はイロイロと面白いものです。


さてと、公園での休憩を終え、市民会館駐車場への帰路となります。常磐線のガードに差し掛かり、ここでも眼は自然と「銘板」探しを始めます。

ガードを行ったり来たりして眺め回します。煉瓦積みの橋脚に鉄製の橋桁、橋桁は私の好きな「リベット打ち」です。


イイです。赤煉瓦とリベット打ちの支柱。なかなかの組み合わせです。支柱と云い、煉瓦と云い、その「老いた退色具合」に流れた年月の「重さ」を感じるのです。


蒸気、ディーゼル、電気、いろいろな機関車に引かれた「貨車」や「客車」がこの上を通過して行ったのです。相当「重かった」はずです。

年老いたガード下を、年老いた「女性」が歩いて行きます。ガードの先で植え込みの中を探っているようです。

お婆ちゃん何歳ぐらいでしょうか、ここまでいろいろな事があったのでしょう。足取りはしっかりしていました。

年寄りの後ろ姿には「物語」が見えます。
お婆ちゃん、元気で!頑張って!

一瞬、さぁ! 俺も頑張らなきゃ! 何て思ったりして? でも? 何にを?

そうです! 忘れていました。「銘板」を探していたのです。頑張って探していたら、やっと見つける事ができました。


コレなんですが、残念な事に、銘板の上に何度も何度も塗装が重ねられ、判読は不可能な状態でした。残念です!

帰り際に改めて全景をじっくりと眺めていたら、風景が上下に分離してきたのです。


上半分の、青い空に白い雲、自動車道の高架が緩やかに左にカーブする風景は、遠い未来の幻に見えてきました。


下半分の、低く暗いガード下。遠い過去の風景に見えてきました。


暑い中を歩いて、疲れてきたようです。

土浦の町歩きは今日でお終いとします。


それでは、また明日。 


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土浦「港町の人探し」!

2007年09月17日 | 土浦市の風景
昨日の続きです。

常磐線の鉄橋の先に架かる「水郷橋」、この橋を越えると直ぐに桜川は霞ヶ浦にそそぎ込みます。

欄干の上に乗る「帆引き舟」を撮りました。水郷橋は新しく「のっぺり」とした「コンクリート橋」なので撮りません。

銘板にも「曰く因縁」も無さそうなので撮りませんでした。


「帆引き舟」は霞ヶ浦観光の目玉商品です、霞ヶ浦と云ったら帆引き舟、帆引き舟と云ったら霞ヶ浦です。日曜祭日には観光用に「出現」するそうです。

欄干の裏に回ると「指名手配」の顔写真と思ったら、よく見ると「訊ね人」の貼り紙でした。

この33歳の男性には、それなりに「曰く因縁」が有りそうです。何処に住んで居た人なのでしょうか。



土浦の人が居なくなっても土浦に貼り紙しませんから、きっと家族や友人達が、彼の立ち寄る可能性が高い土地に、貼って歩いているのでしょう。

33歳の年齢が中途半端で「ビミョー」です。「家出」と呼ばれるのは10代の前半から後半迄でしょう。

生活に疲れ家族を残し、姿をくらますのは40代前半から50代にかけてであり、これは「失踪」ないしは「蒸発」と呼ばれるものです。

33歳の「遅すぎた家出」か、早すぎる「失踪」のどちらでしょうか? 兎に角、見知らぬ土地で新しい人生を歩んでいるとイイのですが。

欄干の貼り紙に、様々な人生に思い巡らしたのですが・・・・・・・、それにしても「貼り紙」を作る際には、テープの「貼り代」を考えて作りましょうね。


話しが暗い方向に向かってしまいました。次は「明るいネタ」で行きます。

どうです! イイでしょ! 「港町クリニック」です。霞ヶ浦の湖畔に佇む、明るく爽やかな建物です。

「港町」と来て「クリニック」がイイのです。港町診療所、港町医院、ではダメなのです。明るく爽やかな「ノリ」にならないのです。

クリニックの言葉は「軽さ」を感じさせるのです。病人が来る処ですから、重い方より、軽い方がイイのです。

港町診療所とか、港町医院では、単なる風邪も重い「肺炎」になりそうな「不安」を患者に与えてしまうのです。

それにしても、霞ヶ浦の湖畔なので「港町」と付け、軽いイメージを大切にして「クリニック」と名付けるとは、「敵」もなかなかヤルナ!と、その時は思ったのです。

しかしです。少し先の電柱を見たら「港町」の町名表示を発見しました。

「港町」は単にここの住所名だったのです。「港町クリニック」、少し誉めすぎました。

確かにここ土浦は「港町」なのです。


土浦の駅から歩いて直ぐに港があります。


港には別れがあり、出会いがあり、哀愁があります。そうなのです港町は演歌なのです!

いつの日か、寒い夜更けに土浦の駅に降り立ち、狭い路地の突き当たりに見つけた小さな居酒屋、格子戸を開けると客は誰も居せん。カウンター席の端っこに、独り腰掛け酒を飲む・・・・・・。

何処からともなく聞こえて来る演歌のメロディー、勿論、カウンターの中には「風吹ジュン」に似た女将が、ガラス戸に映るネオンをぼんやり眺めている・・・・・・。

そんな酒も、偶には飲んで見たいと思いつつ、本日は閉店とします。


それでは、また明日。




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土浦「鉄橋銘板の謎?」を解く!

2007年09月16日 | 土浦市の風景
昨日の続きです。(更新が遅れホントは一昨日の続きです)

蔦の駐車場から市街地を通り、いつものように「水戸地裁土浦支部」の前にある自販機で缶コーヒーを買い、亀城公園に立ち寄りました。

土浦に来ると必ず亀城公園の「お猿さん」にご挨拶をします。淋しそうに毛繕いを黙々と続ける猿君に、コヒーを飲みながらイロイロと話しかけるのですが、いつも無視されています。


別々の檻に入れられた二頭の猿は、互いの境遇について時々は語り合い、慰め合っているのでしょうか。

休憩も終わり、淋しく孤独(そう見えるだけで、三食?昼寝付きを満足している?)な二頭の「猿」に別れを告げて、公園を「去る」のでした。

町中を抜け、桜川の土手に出ました。「この桜並木」の土手を始めて歩いた時は、長閑な田舎町の風情をタップリ感じたものです。

「この」と云っても写真を撮らなかったので、「どの?」と突っ込みが入りそうですが、残念ながら今回は撮っていません。

もう2年ほどここに駐車したままです。始めて見たその瞬間『エッ!』と思いました。周りの風景とはあまりにもかけ離れています。

迷彩色に塗られた、アメリカの軍用トラックが? ここはイラクか?、アフガニスタンか? 何故こんな田舎の駐車場に? ホントにオドロキでした。

まぁ。土浦は昔は「軍都」でしたし、今も自衛隊の基地もありますし、軍隊マニアの密度が高い地域なのでしょうか? 

まぁ。そんなこんなを考えつつ歩いていると、常磐線の鉄橋の下に差し掛かりました。


橋は、裏側?下側? このアングルが好きなのです。表より裏、上より下、変ですかねェ。

でも、表側よりも裏側を、見るなと云われると見たくなり、穴があれば覗いて見る、これぞ人間の探求心! 進歩発展の原動力! ではないかと思っております。

橋の裏側もイイのですが、最近は「銘板」に興味が湧いてきました。


こういう物を「銘板」と思っていたのですが、広辞苑で調べると「銘」と有ります。「銘板」という言葉は載っていませんでした。

金属や石に来歴を記したものが「銘」であるようです。そうすると「銘板」と云うのは、「馬から落ちて落馬した」と同じ事になるようです。

広辞苑に「銘板」がないからと云っても、世の中には「銘板屋さん」と云う商売があります。これって言葉としては「銘屋さん」が正しい表現なのでしょうねぇ。

それは兎も角として、この銘板なんですが、やはり気になるのは「年代」ですね。

この鉄橋は「着手」が昭和34年9月23日で、「しゅん功」が35年4月25日になっています。

工事開始を「着手」と云い、「竣功」を「しゅん功」と表記する処が「旧国鉄的」なのでしょうと、その時は思ったのですが・・・・・・。

それで、昭和35年の完成ですから、私が生まれて10年後です。その頃にこの鉄橋は完成していたのです。

『ふ~ん。なるほど、そうかそうか』

『ふ~ん熊谷組が造ったのか、そうか、そうか』

等と感心しつつ、鉄橋を眺めつつ、銘板を鑑賞する訳であります。

もう一本、鉄橋が有ります。


こちらは「着手」が昭和36年6月17日、「しゅん功」が昭和37年2月20日です。


そろそろ「塗装」の時期ではないかと、余計な心配をして眺めていました。

それにしてもです。「銘板」を眺めていると、やっぱり「しゅん功」が、気になるのです。

よく見ると、「橋りょう」とあり、「基ソ・そ」とあり、「しゅん功」です。3つの平仮名表記です。

これは、3つとも難しい漢字なので、鉄道好きの小学生にも読めるように、旧国鉄が「配慮」して、ひらがな表記にしたのでは・・・・・・・有りません。

絶対に間違い有りません! 答えは一つです! そうなんです! 銘板製作上の技術的な問題だったのです。

それは、銘板が「鋳造品」だと云うことです。ここまで来ると、『何だ。そういう事か』と、判った方も居ると思います。

そうなんです。単純に画数の多い「梁」「竣」「礎」は、この大きさの銘板では、鋳造加工では無理なのです。溶かした真鍮が流れないのです。

謎?が解け、そうか、そうかとスッキリしたのですが、銘板に刻まれた、「設計荷重」の「KS16」と「KS18」の文字が気になりだしたのです。

16と18では「強度的」にどちらが強いの? 「KS」って、何の略なの? 「K」は「国鉄?」、「S」は「standard」の意味? 

「基ソ根入 天端から7.250m」の、「基ソ根入」って? 「天端」って何処から?

何て考えたりして・・・・・・。

銘板一枚を眺めるだけで、こんなに楽しめるのです。

まだ土浦は続きます。


それでは、また明日。 



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土浦 「蔦と赤煉瓦」

2007年09月15日 | 土浦市の風景
昨日の続きです。

サバンナの風が吹く駐車場の奥にこの建物が有ります。

屋根は落ち廃屋になっています。以前に蔦が紅葉した時の写真を載せたことがあります。



夏が終わりに近づいて蔦の緑が深くなり、煉瓦の赤い色との対比が一段と鮮やかになり、朽ち果てつつある廃屋さえも、新鮮に見せてくれます。



夏の終わりは、煉瓦と蔦の季節です。





そして、これです! 素晴らしい!



真ん中が白い石積み、上下に赤煉瓦、這い上がる緑の蔦。

かなり計算された「構成」の様に見えますが、単なる偶然の作品です。


こちらは、以前にも載せたのですが、土浦市内の「黒塀と秋色の蔦」です。こちらも気に入っているので、またまた載せてしまいました。


今日は、これから忙しいので、ここで終わります。

明日も土浦です、まだいろいろあります。


今日も暑くなりそうです。


それでは、また明日。





コメント (2)
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