おしごとのあいま、公園で、ふるいぶらんこを見て。
ときおり、現実の記憶よりも、演じたお芝居の感覚のほうが強く思い出される。
「ガラスの動物園」
ローラのことなど。
テネシー・ウィリアムスのお姉さん。
人気のない公園には、誰かの、たぶんこどものなわとびの縄が、忘れられていた。
立春。
空はしらじらと雲が覆う。低くつめたい風。なお春半ば。
うらうらとした節分の昨日、そして冷ややかな今朝。
寄せかえる波のように季節がうつろってゆく。
道すがら、梅林。
とおるたびに、満開の枝から早春の香りが聞こえる。
嗅覚を聴覚。
むかしは、香りを「聞いた」
それはふしぎで、自然な感覚。
ドビュッシーの音楽にもあったっけ。
「音の香りが夕べの空にたちのぼるとき」
もしも、視覚が消えたなら、音や匂いは、立体のような力を帯びて、感覚の世界にたちあがってくるのかもしれない、と思う。
今日のつとめを、丁寧につつがなく果たせますように。
寒い日。
風に吹かれながら1時間ほど外出介助を終えて。
曇り日。
たまさかお日さまが顔をのぞかせると、沈んだ色調の世界が一変してあかるむ。
あたたかい。
午後のおしごとはキャンセルになった。
透明な冬の風は見えず、冬の枝をすりぬけるさやぎもない。
空を渡り地面を吹きなびかせてうつろってゆく季節の動き。
風の音。
人の声のあたたかさ。