市の星月夜日記

織江市の短歌、エッセイ

海近き小家に住まひぬ窓開けて風出づるごと夜明けに逝くよ

2016-04-29 22:05:37 | Weblog

昨日から茨城から飛田玲子さん来甲。

今日、県立美術館、文学館に出かけた。

新緑に花ミズキの白い花が満開で、園内の富士見の丘から臨む富士山は、目が醒めるような山肌の青と残雪の白が美しい。






ミケランジェロ展では、彼の直筆のデッサンや書簡が見られ、また建築関係の資料展示も良かった。

わたしは素人だが、建築が好きだ。それは音楽の構造に似ている、と思う。


建築と音楽の相関、こうした感慨は、永井荷風さんもお書きだった。

ミケランジェロの筆跡やペンの軌跡はとても目に気持ち良かった。リズム感のある肥痩線、率直で無駄のない的確。陽気な大胆、ユーモア、きっとミケランジェロは楽しい男だったに違いない。

文学館では山梨ゆかりの江戸俳人辻嵐外をめぐる人たちの展示を眺め、中で、自分の死に方をかくありたいと願って、ついにその願い通りに句会の最中頓死した俳人のエピソードを見た。

それは羨ましい。

最近、大学時代の友人が亡くなり、親類縁者も次々と身罷り、長生はしたいが、自分ももういつ死んでも生理学的にはおかしくない年齢に入った。50代は、わたしにはそういう実感を強く自覚させる。

いにしへ、西行は

願はくば花のもとにて春死なむその如月の望月のころ

こう歌って、やはり望みどおりの最期だったそうだ。


だから、わたしも今から真剣に願うことにしよう。

山梨は生まれ故郷で好きだが、わたしはやはりいつか、海のそばに帰る。


小さな可愛い家を建て、桜を植え、薔薇を育て、新緑のころ、夜明けに満ち潮と一緒に頓死がいい。

花冷えが過ぎ、この若葉新緑の風の中がいい。

その風景に薔薇と白い花ミズキがあれば最高だ。



物欲混じりだが、せっせと念じておこう。




今のわたし。なるほど、歳相応の顔かたちだと思う。























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