ラファエルロ「大公の聖母子」変奏。
「海の星、サンタマリア」
以前にも書きとめたが、原作の聖母の表情は、まことにうるわしく気高く、測り知れない奥行きを感じる。まさに深い海の魅惑のようだ。
どうも……硬い形容だけれど、ラファエルロに対する敬意のためにまじめに書いている。
聖母の顔を描きながら、心をとめたのは、口元から頬にかけての微妙なニュアンス。
この絵の不可思議な気品の源は、聖母の美しい唇にある、とわたしは思った。きっちり閉じられた端麗な唇は、古典絵画に典型的なウィングラインリップだが、マリアの口角から鼻翼にかけて、ラファエルロは同時代の先達レオナルドの開拓したスフマート技法を駆使し、軽く緊張感を与えている。
ほんの微かに、きゅっとすぼめた口元だ。
その緊張感が、ただの微笑に冷たさと深みを与える。暖かさと悲哀。慈愛と洞察、だろうか?
淡いニュアンスをそっとそっと描きながら、わたしはあれこれ考え、聖書の一節を思い出していた。
確か、ヨハネ福音書に、イエスを産んだ後、マリアとヨセフは幼子イエスが成長するにつれ、さまざまな奇瑞を表すのを目撃する。母マリアは、幼児イエスの奇跡を全て見守り、「心に深くしまった」と書いてあったと思う。
マリアは聡明で、寡黙な女性だったろう。
口を噤み、神の子、神の小羊イエスを育てあげた彼女の顔。
ラファエルロは沈黙のマリアを描こうとしたのではなかったか。
ラファエルロの聖母がすべて「大公の聖母」のような唇をしているわけではない。柔らかい微笑のマリアもある。
彼は注文されて作品を描いたのだから、この聖母の表情は、たぶんメディチ公の意向かもしれない、などなど考えて楽しかった。
わたしの描いたマリアは、ラファエルロほど内向しなかった。
聖なる存在を造形した五百年前の偉大な青年に、畏敬と親愛をこめて。
神に感謝。