プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★北ドイツの旅(8/10)ゲッティンゲン&ハン・ミュンデン

2014-10-07 08:51:52 | 旅行記

163166ゲッティンゲンは、古くから大学都市として知られ、今も世界各国から多くの学生や学者が集まる教育・研究の町で、ゲッティンゲン大学はこれまでに45人のノーベル賞受賞者を輩出している名門。

164旧市庁舎前の「ガチョウ番の娘リーゼルの泉」の像は、ゲッティンゲン大学の学位取得者が、キスをすることで知られ、市の象徴的存在。作者のグリム兄弟が、1837年に起きた「ゲッティンゲン7教授事件」の中心的人物でもあり、この町との深い関わりを知った。

175ハン・ミュンデンと言えば、放浪の医師「鉄ひげ博士」(ドクター・アイゼンバルト)の家(現在薬局)が名所となっているが、その治療法のユニークさゆえに、エピソードにこと欠かない。171
173美しい木組みの家が立ち並ぶ24,000人ほどの小さな町で、見所は、マルクト広場や市庁舎を中心に徒歩で一巡できる範囲に収まっている。

191189ハン・ミュンデンからカッセルへ向かう途中、グリム童話「いばら姫」の舞台となったザバブルク城に立ち寄った。城の一部がホテルになっており、メルヘン街道を旅する観光客に人気があるそうだが、城跡は廃墟と化していた。

日本の昔話は、語り部が細々と語り継いでいる程度だが、ドイツでは、グリム童話が聖書と並ぶほど読まれていて、今なお、有形無形の大きな財産となっている奥の深さに改めて感心した。


★北ドイツの旅(7/10)クヴェトリンブルク&ヴェルニゲローデ

2014-10-04 09:30:28 | 旅行記

 ハルツ山地に囲まれた小さな田舎町のクヴェトリンブルクの人口は約21,000人、ヴェルニゲローデは約34,000人だが、ともに人気の観光地。

094090_2クヴェトリンブルクは、国家発祥の地とも呼ばれ、15世紀からの木組みの家が1200軒以上も建ち並び、中世の面影を色濃く残す美しい町で、1994年に世界遺産に登録された。

088104市庁舎の前に小さなローラント像が建ち、マルクト広場は、観光客で終日、賑わう。097
時間が許すなら、少し急な坂を上れば、町を一望できる城山シュロスベルクと聖セルヴァティウス教会を巡ることが出来る。

112123125ヴェルニゲローデは、ハルツ狭軌鉄道でブロッケン山への出発駅で、見所は、「とんがり屋根の市庁舎」とお城のほか、木組みの家の建ち並ぶ路地を可愛い乗り物が行き交い、さながらテーマパークのようだ。

136_2141_2ここからSLに乗って、ブロッケン山まで約2時間だが、我々は、中間駅のドライアンネンホーエ駅から乗車して山頂駅へ。ブロッケン山は、ハルツ地方の最高峰で標高1141mで、ブロッケン現象の名の由来は、ここ。

0961年に1度、魔女が集まって饗宴をするとの伝説の山は、この日も名物の霧が立ち込めていたが、大勢のハイカーやマウンテン・バイクで上って来た若者達が、ビールで乾杯する姿が霧に霞んで魔女の饗宴とダブった。

次回更新は、8日の予定。


★北ドイツの旅(6/10):ハーメルン

2014-10-03 08:39:05 | 旅行記

076_3067_2ハーメルンは、道に埋め込んである銅板製のネズミを辿れば、名所を30分位で一巡出来る狭い町。以前は、歩道にペンキで描かれていたと記憶している。見易くしたのか、塗り替えの無駄を省くためなのか分からぬが、私の目には殺風景に映った。

065さて、066この町を一躍、有名にしたグリム童話「ハーメルンの笛吹き男」は、史実に基づく話で、ネズミを退治したら報酬を払うと約束した市民達が、約束を反故にしたら、130人の子供が街から姿を消したストーリー。怒った笛吹き男の復讐説や、事故、伝染病(ペスト)、十字軍説など諸説があり、謎めいている。


0705月上旬から9月中旬までの毎週日曜日に上演される「ハーメルンの笛吹き男」の野外劇は、市民によるもので、いわば学芸会。

ハーメルンからゴスラーへ移動する車中、日本の昔話とグリム童話の違いを巡って、議論する人達がいた。079_5
残酷性やハッピー・エンドで対比するが、いずれも決め手が無く、どう捉えるかは、読む人の感性の問題であって、安直な受け売りの解説は無用と、沈黙を守った。


★北ドイツの旅(5/10):ブレーメン

2014-10-02 09:03:02 | 旅行記

058061ブレーメンは、グリム童話「ブレーメンの音楽隊」でお馴染みの町だが、8年前に訪れた時に感じた素朴で、メルヘンチックな風情が失せ、人工美が際立つ街並みに変じていた。

059マルクト広場の中心に位置する市庁舎の横に建つ「ブレーメンの音楽隊」の像は、ブリュッセルの「小便小僧」同様、うっかりすると見落とすように控えめだが、観光客は、願い事が叶うとのジンクスに従い、ロバの足に触りながら記念写真を撮る。

 市庁舎の地下にある「ラーツケラー」は、1405年創業で、1,200種類に及ぶワインが揃っており、長い歴史を感じさせる雰囲気も素晴らしく、ゆったりと食事をするには一押しのレストラン。

0573時間の自由時間を利用して昼食をとるつもりでいたが、開店時間が遅く、口惜しい思いで店内を覗いていたら、ウエーターが、「ニイハオ」と声を掛けてきた。むっとして、「Nein,Ich bin ein Japaner」(違う、日本人です)と答えた。

なおも、何か言ったが、「Ich kann Deutsch night sprechen」(ドイツ語が話せません)と言って、退散した。このレストランで食事するために、必死でドイツ語に取り組んだのが、思わぬ場面で役立ったと苦笑い。


★北ドイツの旅(4/10):リューベック

2014-10-01 09:30:14 | 旅行記

035052リューベックは、バルト海に面する港湾都市で、中世ドイツの経済共同体「ハンザ同盟」の主役を果たし、「ハンザの女王」とも「ハンザの盟主」とも謳われた。

034_2041トラベ川と運河に囲まれた旧市街は、南北2㎞、東西1㎞のラグビーボール型の島の中にある世界遺産。

049旧市街地の入り口にある「ホルステン門」は、旧ドイツマルク紙幣の図柄になっていて、町の象徴的存在。その重厚かつ壮大さは、ハンザの盟主の威光を放っているようで、圧倒される。

048建物が傾いているのは、地盤が弱い上に防衛上の理由で片側の壁を厚くした為だと現地ガイドが言うので、「修復作業で直さなかったのか?」と訊くと、「門の価値が無くなる」と笑った。「古い物は古いまま保存する」価値観は、如何にも、ドイツ人らしいと感心した。

045運河沿いには、かつて、「ニシンの塩漬け」で栄えたリューベックの名残が塩倉庫として残っており、市庁舎やマルクト広場を散策する集団から離れ、しばし、ハンザの歴史の重みに浸った。