プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★北京五輪のかげで、、

2008-08-10 11:16:34 | 日記・エッセイ・コラム

 北京オリンピックの開幕とともに、メディアは連日、日本選手団の活躍状況を詳しく報じている。4年に一度の世界最高レベルのスポーツ大会であり、平和の祭典だから応援にも熱が入るのは当然かもしれない。しかし、テロ対策のために厳戒態勢を敷く現実が虚偽の平和を実証している。

 今朝のニュースでも、ロシア軍がグルジアを空爆し戦火が拡大していると伝えていた。イラクやアフガニスタン、或いは、ウイグル地区でも紛争は続発しているのが現実だ。ともすると、イベントを華やかに盛り上げることで、国際的にも重要な事件がその陰に隠れてしまう恐れがある。

 日本国内でも、中国の毒ギョーザ事件の情報を政府は隠ぺいしていた。外務大臣の釈明会見では、「捜査に影響するから伏せておいてくれと頼まれたら、協力するのが当然」と開き直った。サミット開幕1か月前に中国から報告を受けたものが、なぜ、1新聞社のスクープで表面化したのだろう?しかも、北京五輪の開幕のタイミングにだ。

 イージス艦への給油活動や原潜からの放射能漏れを公開しないでいた外務省には、どういった外交機密があり、どんな国益を守ろうとしているのだろう。中国の体制を情報隠ぺい体質と批判する資格が日本政府にあるのか疑わしい。平和の祭典の象徴としてオリンピックを位置付けるならば、開催そのものが虚偽のそしりを免れない気がして、テレビ中継を楽しく観ることが出来ないでいる。


★「自戒」

2008-08-07 09:32:17 | 日記・エッセイ・コラム

 2006年4月9日付けの小ブログ(「とんがり屋根のおとぎの国」)について寄せられたコメントに「自戒」の二文字が浮かんだ。旅行の際、見聞したエピソードを紹介したものだが、読む人の立場によっては不快感や違和感を与えることを失念していたからだ。

 内容は、アルベロベッロのとんがり屋根は、役人が見回りに来るとすぐに崩せるようにとの「税金逃れの大衆の知恵」で、京都の町屋が「ウナギの寝床」になっているのも同様との記述に対する質問だった。京町屋の間口が狭い理由は、通りに多くの家屋を建ち並ばせるためであって、税逃れは俗説だとの指摘だ。

 体制や政治などに私見を主張するのは問題ないが、学問的に意見が分かれるような場合は予期せぬ反響を呼んでしまう。今回の投書は、京都の町屋を都市計画学の観点から研究しておられる方からの意見だった。

 webの性格と影響の大きさを再認識した。同時に、ブログを公開日記の場として利用してきたが、読み手の受けを狙ったり、興味本位で書いたことは無かったかと反省させられた。だが、最後は北京五輪にちなんで、「次回以降自戒」と漢字6文字で結ぶ”時悠人”に戻った。


★「原爆の日」に思うこと

2008-08-06 10:07:04 | 日記・エッセイ・コラム

 今日6日、「原爆の日」を迎えた。この1年間に死亡が確認された被爆者は5302人。死没者の総数は25万8310人になった。

  戦後63年を経て、犠牲者が後を絶たないにもかかわらず、被爆者の体験が風化しつつあるなかで、NHK広島放送局が制作したラジオ番組に聴き入り、一睡も出来なかった。6日午前0時過ぎから2時まで全国放送された「ヒバクシャからの手紙」。

 「筆箱に鉛筆が突き刺さるように死体が、、、」との率直な描写は、小説家には到底真似ようがない真実の響きだ。柱の下敷きになった母親を救おうとしたが、子供の力ではなすすべもなく、むざむざ死なせたとの悔恨に苦しみ続けてきた人。息絶えだえの女性の横を通りかかり、傍らに転がっていた赤子を胸に乗せてあげると、しかと抱きしめ息絶えた母性の強さを感じた人。番組中に、被爆者だけでなく、戦争を知らない世代から寄せられたファックスやメールにも心打たれるものがあった。

 戦争体験者が年々減って行くのは自然の理だが、広島だけでなく、沖縄や長崎更には、全国各地に傷跡を残した戦争の悲劇を忘れないためにも、平和を考える日を創設したらどうだろうか。憲法に関しては、公布(5/3)と施行(11/3)の両方を祝日にしている。毎年日が変わる「体育の日」などは廃止し、8月15日の終戦記念日を「平和の日」と命名し、恒久平和を考える日にしたいものだ。