プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★師走の風情

2006-12-01 08:54:31 | 日記・エッセイ・コラム

 今日から12月。「師走」とは、日頃、落ち着いている先生でさえ、走り回るほどあわただしく忙しい思いをする月と親に教えられた。が、還暦をとっくに過ぎた今頃になって、この語源を疑い出したのだから自分でも困った性分だと思う。

 世間一般に定着している定義に異を唱えるのは無用と承知しつつ、最近の先生は1年中、せかせかしている様子が気になり調べてみた。 師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月と解釈する「師馳す」というのが有力説とか。これは平安時代に遡る故事だけに説得力があるが、当時と現代では忙しさの尺度が違いすぎてピンとこない。

 ほかには、「年が果てる」意味の「年果つ」が変化したとする説や、「四季の果てる月」を意味する「四極(しはつ)」からとする説。更には、「一年の最後になし終える」意味の「為果つ(しはつ)」からとする説などがあるが、共通項は「最後の月」にあるようだ。ならば、親の教えを尊重して置く方が親孝行と言うものだ。

 最近では、学校の給食費を滞納する生徒宅を集金回りする先生が多いとか。寒風が吹く師走の町を、コートの襟をたてて足早に掛取りに回る先生の姿を想像するだけで、気の毒になる。とても、”美しいニッポン”の原形ではない。師走の風物詩にならないように、「児童手当と給食費を相殺支給する」方策を早急に検討すべきだ。


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