プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★便利さを失う不便さ

2007-03-28 14:14:36 | 日記・エッセイ・コラム

 3月18日の能登沖地震からすでに4日目。連日、全国へも被災状況が流されるが、ローカル放送ではさらにきめ細かい現地情報が入ってくる。地元の地理や町の特徴に詳しいだけに、より一層被災地の悲惨さが理解できる。金沢でも、今日も朝から2度、体の揺れを感じる余震があった(震度2~3)。

 能登有料道路は、能登と加賀を短時間で結ぶだけに、生活道路としての役割も大きかった。いったん得た便利さを失うと、それ以前よりも不便に感じるだけに、国道・県道を迂回するルートが存在していても、つい愚痴が出てしまう。一年に数回しか利用しない私でも、県道を利用してまで能登方面へ行きたいとは思わないだけに、日頃利用していた人達の苦痛ははかり知れない。

 しかしながら、全国各地に縦横無尽に張り巡らされた立派な道路は、山肌をけずったり穴を開けたり、或いは、盛り土をして開通させている。地形にしたがい、縫うように通っている道路は,自然の摂理をわきまえていた古人の知恵が活かされている分、安全性に飛んでいるようにも感じる。一見、不便でも味わい深い道が多い。

 最近、田舎暮らしを望む人が多いが、都会の高度な文明を持ち込んでの生活ではなく、不便さを楽しむ心が無い限り返って住み難いと心しておいた方だ無難だ。便利さと不便さがほどよく同居しているのが「いい塩梅」だ。


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