最近、終活の一環として、新年の挨拶をこれっきりにしたいとする文言を盛り込む「年賀状の終活」が増えているようだ。
意思の疎通手段が多岐にわたる時代になったので、一年に一度の儀礼的な挨拶状などは無用と考えても不思議ではない。
私は、古希を迎えた5年前、略式の生前葬儀を済ませ、交流があった人達への年賀状を取りやめた。
今は、自分の近況を兼ねて、自己主張できるブログを発信することが心の支えにもなっている。
限られた時間を有意義に過ごすためにも、古い思い出を捨て、新しい夢を刻みたい。
意思の疎通手段が多岐にわたる時代になったので、一年に一度の儀礼的な挨拶状などは無用と考えても不思議ではない。
私は、古希を迎えた5年前、略式の生前葬儀を済ませ、交流があった人達への年賀状を取りやめた。
今は、自分の近況を兼ねて、自己主張できるブログを発信することが心の支えにもなっている。
限られた時間を有意義に過ごすためにも、古い思い出を捨て、新しい夢を刻みたい。
★時間の断捨離「ながらスマホ」を危険だなと思ってみていたが、最近、「気の毒だなぁ」と思うようになってきた。 高齢者は、限られた時間内で、若い人と同じように行動できないが、時間的な余裕があ......