世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
オーソドックスの魅力
マックス・スレーフォークト(Max Slevogt)は、マックス・リーバーマン、ロヴィス・コリントと並ぶ、ドイツ印象派の三柱として、しょっちゅうお見かけする。
他二人に比べてみると、それほど目立たないスレーフォークト。が、印象派の明るい色彩を放つが堅実な写実の域を越えないリーバーマンや、形象が崩れに崩れて表現主義の域に入ってしまっているコリントに比べると、スレーフォークトの絵は、戸外の光を即興的にカンバスに描きとめた、最もオーソドックスな印象派、という感がある。
バイエルン地方に生まれ、ミュンヘン・アカデミーで学んだのちにパリへと留学、そこで印象派に接する。
が、スレーフォークトはあちらこちらを旅しており、パリもそのなかの一つにすぎなかったのか、彼の色彩が明るく輝くようになるのは、さらに数年先のことだった。色彩に目覚め、二度目のパリ訪問、あとはもう、心にとまった印象を、軽やかなタッチでサササ! と描きまくるばかり。
彼が好んで描いたのは、これも題材としては印象派らしい、田舎の情景や都市の情景、オペラの舞台と歌手たちの情景などなど。西欧公演の成功で社交界の花となった、日本の川上音二郎一座の女優、貞奴の肖像なんかも描いている。
ミュンヘン分離派に参加し、ベルリンに移ってベルリン分離派にも参加。ベルリンやドレスデンのアカデミーで活動し……、と案外、正統的な成功を収めている。保守的画壇に決別して結成された分離派だが、その後まもなく起こった表現主義の運動に引き比べると、当時はオフェンシヴだと罵られた分離派の傾向も、今日から見れば分かりやすく人当たりもよい。ドイツらしい厳格さと垢抜けのなさ、けれども小洒落た、スレーフォクトの印象主義も、そうだった。
第一次大戦が勃発すると、公の従軍画家として西部戦線へと送られる。アカデミー画家になんてなるもんじゃない。
戦争がスレーフォークトの絵に、どんな新たな視点をもたらしたのか……私には分からない。相変わらずに開放的で、晴朗で軽快。ただ、時系列的に彼の絵を見ていると、従軍の後には、絵はより感覚的な、素早い描写となったように思う。
後半生は北ドイツで活動した彼だが、バイエルンに戻って死んでいる。
画像は、スレーフォークト「ウンター・デン・リンデン」。
マックス・スレーフォークト(Max Slevogt, 1868-1932, German)
他、左から、
「一日の労働の終わり」
「ノイ=クラドウの庭」
「小馬車のあるサンザシの森」
「ドン・ジョヴァンニに扮するフランシスコ・ダンドラーデ」
「貞奴」
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