ゴキブリ軍団、最後の聖戦(続)

 
 このチャバネ、まず、ぞぞ毛が立つほど見た目が気色悪い。雌なんて、卵管を尻にくっつけたまま動き回る。
 奴らは飛べないし、小さいので、見つけるたびに手っ取り早く潰してしまう。奴らにとっては、見つかったら最後、死あるのみ。慌てふためいて、死に物狂いで走って逃げる姿は、憐れを催す。が、いざ潰すと、プチッと潰れる奴らの体の感触がペーパー越しに指に伝わって、不快ったらない。
 そして、何より臭い。奴ら自身も臭いし、奴らがプチプチと所構わずたれて回る、埃ほどのウンチも臭い。

 クロの奴もそうだったが、チャバネもまた、肉や魚用のトレイ、環境ホルモンを出す種の、白いポリスチレンが、なぜか大好き。綺麗に洗ってあるのに、カジ、カジ、カジ……と音を立ててかじる。どうやらこいつら、ポリスチレンを食うらしい。

 この事実を知った相棒、眼を輝かせて言ったことには……
「立派だねえ、ゴキブリ! これで環境問題が一つ、解決するじゃんか! ゴキブリを大量にプラスチックと一緒に部屋に放り込んでおいたら、プラスチックを分解してくれるよ!」
 でも、ゴキブリを大量に部屋に放り込んどいたら、プラスチックよりも先に、共食いすると思うんだけど……

 To be continued...

 画像は、イーストマン・ジョンソン「若い掃除夫」。
  イーストマン・ジョンソン(Eastman Johnson, 1824-1906, American)

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ゴキブリ軍団、最後の聖戦

 
 我が家には数年前、巨大グモ、ベッカムが住まっていた。ゴキブリを捕食するこのアシダカグモのおかげで、我が家にはゴキブリがほとんど出なかった。
 が、やがてベッカムはぽっくり死んでしまい、天敵の消えたゴキブリたちは、群をなして大繁殖し始めた。

 ベッカムが死ぬ直前、アシダカグモの子グモたちを見かけた私は、汚染されたゴキブリを食えば子グモたちも死んでしまうだろう、という情けから、毒餌を設置しなかった。が、この情けは仇となり、子グモたちはどこかにトンズラする一方、ゴキブリどもは猛威を振るってのさばるようになった。
 我慢の限界に来た私は、とうとう、玉ねぎとじゃが芋で手製のホウ酸団子を作って、随所に置いた。この効果は覿面で、ゴキブリは呆気なく壊滅した。怖るべし、毒餌。

 一安心するのも束の間、ゴキブリどもが消えた頃から、キッチンに、わらわらと茶色い虫どもが増え始めた。私は最初、戸外の、枯葉の下にでもいそうな見目醜悪なこいつらを、ゴキブリの仲間とは思わなかった。
 が、こいつらはチャバネゴキブリという、れっきとしたゴキブリ一族だったのだ。ベッカム亡き後のゴキブリ大発生と同じことが、ここでも起こったわけだ。つまり、あのクロゴキブリどもは、節操なく、チャバネどものことも食っていたところが、そのクロがいなくなり、今度はチャバネが猛威を振るい始めたというわけ。

 To be continued...

 画像は、ミレー「家のなかを掃く女」。
  ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet, 1814-1875, French)

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世界への旅、徒然(続)

 
 現実を知ることは、それ自体、力となる。だが、現実を知るということは、必ずしも実際に体験するということを意味しない。大事なのは体験の意味で、他者に継承されるものも、やはり体験の意味だ。
 現実の表象と論理、分析、評価。科学ならそれで答えが出る。

 けれども、実際に自分の眼で見るということ、自分の五感で感じるということ自体にも、やはり意味はあると思う。
 どこで聞いたか忘れたが、神の存在も、生命の神秘も信じていなかった宇宙飛行士が、宇宙から、暗黒のなかに浮かぶ青い地球を見たとき、理屈抜きに、とにかくこの美しい生命の星を守らなければならない、という、使命のような霊的な意志を感じるのだという。

 自由や個性、知性、真実や美への感動、信頼や希望や愛情、そういう人間の普遍的な性質に関しても、理屈など要らないのではないか。
 私は、世界のそういう性質を見てまわりたい。アマルティア・センの言う“ケイパビリティ(capability)”、人間なら誰もが普遍的に備え、条件さえ与えられれば必ず開花するはずの素質たちに、触れてまわりたい。

 「知性は、それを持たない人には見えないものだ」というのは、確かショーペンハウエルの言葉。
 私には直接的なボランティア活動も、親善大使のような広報活動も、金銭的な寄付すらも、できそうにないけれど、分かる人には分かる形で、何かをしていきたい。

 画像は、ティソ「旅行者」。
  ジェームズ・ティソ(James Tissot, 1836-1902, French)

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世界への旅、徒然

 
 世界を旅して回る、という構想も、なんだか夢ではなくなってきた。
 相棒はすっかりその気で、最初はどこへ行こうか、しばらく帰ってこないつもりで出て行かなきゃいけないよ、なんて、しきりに言う。まだ、どういう形になるのか、全然分からないんだけど。

 私はと言えば、取り敢えず世界の現実を知っておこうと、いろいろと読んでいる。今読んでるのは、黒柳徹子「トットちゃんとトットちゃんたち」。
 ユニセフ親善大使である女史が、最貧国の子供たちの置かれた現状を書いた児童書で、つらくショッキングな現実が、女史と共に追体験するような臨場感で綴られている。これ、大人も必読。

 こういう現実の悲惨なエピソードを前にすると、そのたびにボロボロと涙が出てくる。読むたびに精神が疲弊する。
 こういう惨状は以前から知っていたし、知らない部分についても、まさにこれほどひどいに違いないと想定していた。のに、どれだけ知っていても、どれだけ想定していても、いつまで経っても慣れることはない。そして同じだけ涙が出る。

 学生のとき、他学部のデコルソン氏が、「足マメに現場の工場に出向き、労働者の汗の匂いを嗅がなければ、良い論文は書けない」と言ったとき、私は、よくもそんなプチブル的なインテリゲンチャの奢り丸出しの、センチメンタルな台詞を言えるもんだ、と反感を持った。もし今、同じような台詞を聞いたら、同じように感じるだろう。
 貧困について、「実際に途上国に出向いてその惨状を見てみなければ、支援はできない」というようなことを言われても、多分同じように感じると思う。

 To be continued...

 画像は、エミール・ブラック「大旅行計画」。
  エミール・ブラック(Emil Brack, 1860-1905, German)

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浅草の猫爺さん(続)


 翌朝のホテルのご飯は、東京らしからぬ、おにぎりと味噌汁。んー、さすが下町。
 相棒に言わせれば、「高度成長以前て、どこもこんな感じだったよ」という窓外の街並み。ふーん、随分昔の風情なわけね。

 おにぎりをもぐもぐ食べていると、外を、変てこりんな自転車を転がした爺さんが通りかかった。
 この自転車、後ろに、カートのような車輪つきの箱がくっつけてあって、このカートと荷台の上には荷物がいくつも積み重ねてある。前にも横にも、いろんなものがぶら下げてある。まるで生活家財一式が備えてあるような自転車で、しかも工夫がこらしまくってあるらしく、コンパクトで、使いやすそう。

 信号を待っていて、ふとこちらを振り返ったその爺さんと、私は窓ガラス越しに眼が合った。と、その爺さん、いかにも嬉しそうに、自慢げに、自転車の後ろの、カートのような箱をしきりに指差すのだ。
 よく見ると、その箱はペット用のキャリーで、なかには猫が一匹、ちょこなんと座っている。私も相棒も猫を見つけて、ケタケタ笑い出すと、爺さんもますます嬉しそうに、猫を指差す。つまりその自転車は、唯一の家族も住まう爺さんの家というわけだ。

 で、信号が変わると、爺さんは嬉しそうに、行ってしまった。空き缶でも拾いに行くんだろうか。公園に碁でも打ちに行くんだろうか。
 私も、余計なモノは持たないことにするよ、爺さん。

 画像は、浅草寺。

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