




ポーランドの美術館で、私が一番気に入った画家が、スタニスワフ・ヴィスピャンスキ(Stanisław Wyspiański)。家族や友人、芸術家仲間など、近しい人々をモデルに、ソフトパステルで描いた肖像画が、どれもさり気なく、生き生きと躍動している。すげー、モロ好み!
……私、こんなふうな、線の力でぐいぐい描く絵が、一番好きなんだよね。そして、こういう力強い線描が最もその表現力を発揮するのが、人物画なんだ。
ヴィスピャンスキは「ムウォダ・ポルスカ(若きポーランド)」運動において、ポーランドの歴史や伝統を象徴的に戯曲に取り入れて成功した、有名な劇作家。相棒のポーランド語会話の本にも、劇作家として紹介されていた。
同時に詩人で、「三羽の鳥(Wieszcz)」と呼ばれるポーランドの三大ロマン派詩人(アダム・ミツキェヴィチ、ユリウス・スウォヴァツキ、ジグムント・クラシンスキ)に並ぶ、知られざる「第四の鳥」なんて評されている。
クラクフで生まれ、クラクフで暮らし、クラクフで死んだヴィスピャンスキ。受け売りの略歴を記しておくと、父親はヴァヴェルの丘にアトリエを持つ、アルコール中毒の彫刻家。母親が病死すると、ヴィスピャンスキ少年はこの問題親から引っ剥がされて、叔母の養子として育てられる。
叔母一家はブルジョアのインテリで、知的サロンよろしくこの家にたびたび訪れていたのが、かの国民的画家ヤン・マテイコ。ヴィスピャンスキ少年は、父親から受け継いだ才能を見抜いたマテイコによって、絵の手ほどきを受けた。
分割支配され消滅したポーランドにあって、ヴィスピャンスキ少年はポーランド語で教育を受け、祖国の歴史と文学の知識を余すところなく獲得する。芸術と文学に等しく関心を持っていた彼は、大学で歴史を学ぶ一方、美術学校でデッサンを学ぶ。ここで、当時美術学校の学長だったマテイコの勧めで、聖マリア教会の内装に参加。
広く諸国を旅行し、特にフランス滞在中には、ゴーギャンと知己を得、共に美術館を訪問する仲に。そこで出会ったシャヴァンヌの絵の虜になった。
クラクフに戻ると、「ムウォダ・ポルスカ」のモダニズム運動の流れのなかで、フランシスカン教会の内装をデザイン。花と紋章の幾何学的モチーフを用いたアール・ヌーヴォーの様式で高い評価を得る。
以上の一連の経緯から推して、ヴィスピャンスキはその後、マルチェフスキと並ぶ独自の内面世界を、絵画のビジョンで外界に放つことも、できたかも知れない。
が、マルチタレントが災い(?)して、彼は油彩のタブローをあまり残さなかった。舞台デザインを手がけ、その舞台で自身の戯曲を上演し、やがてアカデミーで後進を育成する。
時間がないと言うよりは、自身の世界をそちらで表現しきったのだろう。だが日常、身近な人々を愛で、慈しんで暮らしていた。だから彼らを熱心に描いた。
画像は、ヴィスピャンスキ「ユジオ・フェルドマン」。
スタニスワフ・ヴィスピャンスキ(Stanisław Wyspiański, 1869-1907, Polish)
他、左から、
「二重のエリザ・パレンスカ」
「花を生けた花瓶と少女」
「母性」
「麦わらをかぶせたバラの木」
「自画像」
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