世紀末への共鳴

 

 念願のアウシュビッツ訪問を果たした相棒、今度は「魂を癒すんだ!」と、巡礼地カルヴァリア・ゼブジドフスカに立ち寄った。で、そこで、「ヴォイチェフ・ヴァイスはカルヴァリアの画家」なんて看板を見つけた。
 ヴァイスはどの美術館でも数枚は出くわした、ポーランドの傑出した画家。じゃあ、彼の風景画は、カルヴァリアを描いたものだったのかな? ……予備知識がないと、先入観ない分、我流の解釈になっちゃう。 

 ヴォイチェフ・ヴァイス(Wojciech Weiss)は、私のノートには、「ムンク的」なんてメモしてある。実際、彼のムンク的に肺病質めいたメランコリックな絵が、私には最も印象深かった。
 が、解説に「彼の画風は多彩で、何をやらせても上手い」なんてあるのは、生涯、画風が変転したってことを暗示している。印象派の部屋にも、象徴派、表現派の部屋にも、戦後社会主義ポーランドのモダニズムの部屋にも、彼の絵がある。
 
 略歴を記しておくと、ヴァイスは、「一月蜂起」によってウクライナ・ルーマニアのブコビア地方に亡命したポーランド一家の出で、音楽を断念し、クラクフ・アカデミーにて絵を学んだ。その際の師だった、「ムウォダ・ポルスカ(若きポーランド)」運動の担い手の一人、レオン・ヴィチュウコフスキ(Leon Wyczółkowski)の絵が、ヴァイスに最初の影響を与える。ヴァイスの絵に一貫して感じられる、充満する大気は、このヴィチュウコフスキに依るところが大きい。
 が、作家スタニスワフ・プシブイシェフスキ(Stanisław Przybyszewski)(彼は「若きポーランド」運動の哲学を提唱した一人)のデカダンを知って以降、ヴァイスは一気に表現主義へと突き進む。かつての沁みわたる大気は、強迫と不安を煽ってざわめきはじめる。彼は衝動的な赤、白、緑を用いて肉感を燃え上がらせ、次には白を重んじ内奥を喚起する。友人で、日本かぶれのパトロンでもあった、フェリクス・ヤシェンスキの情熱が乗り移り、ジャポニズムにもはまる。

 そしてカルヴァリアに小さな地所を購入。以降、ポーランドの自然に身近に接し、ジャポニズムの美学を消化し、豊かな色彩を我がものとして、彼は「若きポーランド」派を代表する一人となった。

 でもまあ、最後まで惚れっぽい、燃えやすいタチだったのだろう。晩年には、テイストのがらりと異なる、社会主義リアリズムの絵まで描いている。

  画像は、ヴァイス「恐怖」。
  ヴォイチェフ・ヴァイス(Wojciech Weiss, 1875-1950, Polish)
 他、左から、
  「悲しそうに」
  「ケシ」
  「輝く日没」
  「悪魔」
  「エッケ・ホモ」

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