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怪異が寄り添う祖国を愛して

 

 ポーランド行きが決定した相棒、アウシュビッツからワルシャワへの帰途の旅程を組むのに中継都市を探しながら、
「チマルさん、マルチェフスキって画家、知ってる?」
 知ってるよ。ジョン・マルコビッチみたいなシルエットの頭した画家だよ。ベックリン風の、怪物な美女たちをはべらせた自画像、よく描いてるよ。
「ラドムはマルチェフスキの生誕地で、美術館があるんだって。チマルさん、ラドム行く?」
 行く、行く!

 ……でもまあ、マルチェフスキの絵は、その息子が第二次大戦前の時点で国立美術館にごっそり譲ったので、ラドムでなくてもいくらでも観ることができる。

 ポーランドでは19世紀未から20世紀初め、文学・音楽・美術などの分野で、「ムウォダ・ポルスカ(Młoda Polska、若きポーランド(Young Poland)の意)」と呼ばれる一大モダニズム芸術運動が巻き起こる。これは、西欧のモダニズムを汲みつつも、ポーランド分割という歴史背景を受けて高揚した民族的自覚を個性豊かに反映した、新ロマン主義の潮流。
 ポーランド絵画史において、ヤチェク・マルチェフスキ(Jacek Malczewski)はこの流れの中心に位置し、ポーランド象徴主義絵画の父とされる。

 象徴主義というのは、人間につきまとう観念や表象を具現化する。マルチェフスキの絵においても、死や運命、音楽や詩などが、あからさまな人間、概ね女性、の姿を取って、主人公に絡みつく。
 女性たちは一様にミュシャ的に美しく、八頭身以上のスタイルで、豊かな髪を結い上げ、ドレープたっぷりなのに体の線がはっきりと出る、裸に等しい衣装を着ている。ただし、背に翼が生えていたり、毛髪が蛇だったり、下半身が獣だったりという、怪しげな異形のさま。
 一方、主人公というのはおそらく画家本人で、細長い禿頭をし、これも細長い十頭身くらいの身体に凝った衣装を着込んでいる。髪が長ければ、その相貌はキリストに似る。この主人公が憂鬱に瞑想し、誘惑されて沈思黙考する。
 そして背景には明快な風景が広がる。画面は幻想と現実が交錯し、悲哀で甘美で、なぜか滑稽。

 ポーランド象徴派が美の理想とした観念や表象のうち、マルチェフスキが選り好んだモチーフは数少ない。彼は形を変えながら繰り返し、執拗に、ユーモラスに、それらモチーフを描き続ける。
 このモチーフたちは、祖国ポーランドの歴史的受難と独立への憧憬、伝統や民話そして自然に対する愛着なのだという。だからマルチェフスキの描く神話的、聖書的な世界は、虐げられたポーランドの寓意と隠喩なわけだ。

 帝政ロシアに支配されたポーランドに育ち、愛国的な社会活動家だった父から大いに影響されたマルチェフスキ。特に、ロシア支配への反乱、「十一月蜂起」に感化されたロマン文学は、マルチェフスキ少年のお気に入り。
 クラクフの美術学校の教室に出入りしながら絵を学び始め、翌年、かの国民画家ヤン・マテイコに認められて、正式に入学。マテイコから巨匠の技と、ロマンチックな愛国心とを学び取り、フランス留学もさっさと切り上げて、分割ポーランドへと舞い戻る。

 ギリシャ神話や聖書、古典文学などの多様な主題は、彼のなかでポーランドの民間伝承へと転換される。国際的に名声を得、定期的にパリやミュンヘン、ウィーンを訪問、イタリア、ギリシャ、トルコにも旅行、だがそこで触れた異国情緒は、祖国ポーランドのイメージを豊かにするにすぎない。
 こうして独特のイマジネーションが覚醒し、解き放たれる。マルチェフスキの世界は、一度眼にしたらもう間違えようがない。

 だが晩年にはビジョンを失い、美術アカデミー教授を務めたクラクフにて死去した。

 画像は、マルチェフスキ「復活」。
  ヤチェク・マルチェフスキ(Jacek Malczewski, 1858-1929. Polish)
 他、左から、
  「雲のなか」
  「牧歌」
  「キマイラの毒の井戸」
  「キリストとサマリアの女」
  「ポーランドのハムレット」

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