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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

金色と薔薇色の大地

2015-08-18 | 月影と星屑
 

 レオン・ヴィチュウコフスキ(Leon Wyczółkowski)。私のメモには、最もフランス印象派的、とある。

 ポーランド絵画史においては、印象派という長期的な、揺るぎのない流れがあったわけではないらしい。私のメモに印象派マークがついているのは、「ばっちり文句なし印象派」の女流画家オルガ・ボズナンスカを除けば、ユゼフ・パンキェヴィチ(Józef Pankiewicz)とヴワディスワフ・ポトコヴィンスキ(Władysław Podkowiński)。
 けれども、パンキェヴィチは、印象派を過ぎた頃の、セザンヌ的なフォルムやボナール的な色彩のほうが、印象が濃いし、ポトコヴィンスキのほうは象徴主義的な、天翔ける黒馬の絵のインパクトが、強すぎて強すぎて……

 対して、ヴィチュウコフスキの絵は、素直に印象派らしい。バルビゾン派のように自然主義的な農村生活の主題。女性はルノワール的に羽のように柔らかく、天真爛漫。素朴で牧歌的な情景を、筆の走りを意識した肉厚な筆致で描く。

 かのマテイコにも師事し、もともとは同時代、ポーランド・リアリズムの大家として評価を得ていたヴィチュウコフスキ。彼がウクライナ滞在中に多く手がけた、農夫や漁師の働く姿を、物語的かつ記録的な写実で、細部まで丁寧に描いた一連の絵は、どれも秀逸なものばかり。
 が、この時代の画家なら、誰もが一時期は印象派的な明るさの虜になる。ヴィチュウコフスキもまた、旅先のパリにて知った印象派に接近、その光と色彩の効果を試みる。

 これによって、同じウクライナの農村を主題とするも、彼の関心は、ディテールよりもエッセンスへと移っていく。画面に輝きわたる、金色と薔薇色の移ろいゆく夕陽。その光と、戸外制作に固執したフランス印象派に特有の、空の反映を思わせるブルーの陰影とのコントラスト。それらが、白いルバーハを着た農民たちと、彼方まで続く大地とを染め上げる。大気には光が滲透し、充満している。確かにフランス印象派的なのだが、どこか内省的で、透徹した感じがするのは、やはりお国柄なのだろうか。

 日本美術愛好家の友人、フェリクス・マンガ・ヤシェンスキのおかげで、ジャポニズムへも興味を広げ、まあ、典型的な印象派画家、と言ってしまってもいいくらい。
 印象派がモダニズムの先駆だった時代、その印象派をいち早く取り入れた画家として、彼はモダニズム絵画の先駆けとなった。ということで、もちろん、「若きポーランド」運動の第一人者の一人とされる。

 世紀未には象徴主義の流れに乗って、彼の色彩も暗いものへと変わっていく。が、まあ反りが合わなかったのだろう、象徴主義の影響からは早々に抜け出て、かつてのように豊満な、だが金と薔薇にこだわらない多彩な色彩に、帰っていった。
 そのほうがよかったよ、ヴィチュウコフスキ。

 画像は、ヴィチュウコフスキ「ウクライナの耕起」。
  レオン・ヴィチュウコフスキ(Leon Wyczółkowski, 1852-1936, Polish)
 他、左から、
  「浅瀬を渡る漁師たち」
  「種まく人」
  「クリケット遊び」
  「春」
  「パランガの海景」

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雪原に生きる

2015-08-16 | 月影と星屑
 

 ユリアン・ファワト(Julian Fałat)は、まばゆいばかりの雪景色がとにかく印象的な画家。彼は、川辺にこんもりと雪の積もった、平らかで濃紺の水をたたえた、分岐した川を、同じ角度から何度も描いている。

 ファワトはポーランドの主要な風景画家の一人。印象派を代表する画家、とも言われるが、私は、彼の雪景はロシア移動派あたりのリアリズムを連想する。
 もっと憂鬱で暗喩的だと思っていた「若きポーランド」派だったけど、けっこう幅があるんだな。ファワトの絵は、ひねくれたり、ねじ曲がったりしていない。テーマの偏好はあるけれども。

 彼はは一徹な人柄だったんだと思う。家族の援助も奨学金もなしに、とにかく自分の努力で絵を勉強したという苦労人。初等教育を終えると、はるかウクライナへと旅立ち、製図やら発掘やら、建築家のアトリエにも出入りしながら、働いて金を貯め、金ができれば早速、ミュンヘンに旅立って絵の勉強。金が底をつくと、画業を中断して働き、高じて鉄道建設の技師になる。
 そんなこんなで、働きながら、それでも絵の勉強をやめなかった。

 ファワトはヨーロッパとアジアをくまなく旅し、旅先の情景を水彩で記録した。これらはほとんどが失われてしまったというが、その後も彼は、おそらく自分のためにだろう、水彩でじゃんじゃん量産している。

 彼が向かったのは、風景、それも祖国ポーランドの風景、それも特に、雪の降り積もった冬景で、そこに人間が登場するとすれば、彼らは狩猟をしている。
 雪中の狩人というテーマは、北ヨーロッパの厳冬の日常シーンの一つ。人間味がじわりと滲む、けれども心癒される情景ではない。
 こんなシーンに心惹かれる理由は、ポーランドの片田舎のような、雪に埋もれた森に閉ざされた小村にでも住んでみなければ、分からないのだろう。空調の効いた部屋で、凍てつく雪原の大地をいくら眺めたところで、その神秘、不安や感動、霊験は、なかなか感じられまい。
 ……と、生まれも育ちも雪国とは無縁な私は、自虐的になってみる。が、独特の歴史と自然と信仰、欠陥とも言える特性が、ポーランド絵画の美の精髄に違いない、というファワトの言は、心にとめておくことにする。

 ファワトはヤン・スタニスワフスキとともに、ポーランド風景画の第一人者との評価を得、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世に招かれて、ベルリンの宮廷画家となった。 

  画像は、ファワト「雪」。
  ユリアン・ファワト(Julian Fałat, 1853-1929, Polish)
 他、左から、
  「祈る老人」
  「湿原の日没」
  「熊を連れた帰還」
  「狩猟からの橇での帰還」
  「クラクフ近郊ブウォニエ」

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水溶々、空溶々、大地溶々

2015-08-15 | 月影と星屑
 

 ヤン・スタニスワフスキ(Jan Stanisławski)は、クシジャノフスキとともに、私がポーランドの風景画家として、ずっと以前から名前だけはインプットしていた画家。ポーランドに行けば、どの美術館でも観ることができる。
 で、実際に観てみた感想として、私のノートには、「大雑把、手抜き、粗放、いい加減」なんて書いてある。

 確かに彼の絵は雑で大まか。細部まで綿密に描こうなんて、そもそもしない。ある程度の大きな画面なら、それで良い味が出ているのだが、これが小品となると、ほとんど油彩スケッチで、しかも何を描いているのかよく分からない。だが彼本人は、小品を好んだらしく、わんさと描いている。壁面の一角に、小品ばかりがレンガを積んだように固まって飾られていれば、それはスタニスワフスキのもの。

 大学では数学を学んだというスタニスワフスキ。数学を専攻し、絵に転向した画家というのは、ちょっと珍しい。

 抽象的思考を好む人は、具象をハショる癖がある。と言うか、具象的イメージから抽象的概念を得た後には、そのもともとのイメージが消えるにまかせる癖がある。
 スタニスワフスキの絵にも、そんなところがある。現実からイメージを得た後には、いくらでも簡略化していく。

 簡略化という行為は、画家の表現上の特権だ。画家は普通、初期には、アカデミックな修行を積む。力量が身につけば、どこをハショって、どうメリハリをつけるかを自在にこなせるようになる。もうこうなれば、誇張も省略も、これすべて画家の裁量、画家の個性。何をどう描いても、画家の勝手。
 だから、スタニスワフスキの風景は、彼という人物を経た彼の心象であっても構わないし、何を描いているのか私なんかに分からなくても構わないわけだ。
 スタニスワフスキは印象派の画家とする解説が多いけれども、私は表現主義的な画家だと思う。

 まあ、とにかくスタニスワフスキは、長いこと数学を極めていたところが、あるときから絵の道に転じ、ワルシャワ、クラクフ、さらにパリにて絵を学ぶ。広くヨーロッパをスケッチ旅行したが、彼が最も魅了されたのは、ウクライナの風景だったという。
 そう言われれば、彼の絵はやけにだだっ広い。はるか地平線まで空が、あるいは大地が広がっている。そこに、白夜を思わせる稀薄な光が照らしている。
 
 こんなふうに描いているうちに、「ムウォダ・ポルスカ(若きポーランド)」運動の重要な位置を担い、アカデミーで後進を育成、戸外制作を広め、いつのまにやら、ユリアン・ファワト(Julian Fałat)と並んで、ポーランド風景画の第一人者となった。

 画像は、スタニスワフスキ「水辺のポプラ」。
  ヤン・スタニスワフスキ(Jan Stanisławski, 1860-1907, Polish)
 他、左から、
  「シェニャバ村の風景」
  「ウクライナの蜂巣箱」
  「ひまわりと小屋」
  「雲」
  「冬のザコパネ」

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世紀末への共鳴

2015-08-14 | 月影と星屑
 

 念願のアウシュビッツ訪問を果たした相棒、今度は「魂を癒すんだ!」と、巡礼地カルヴァリア・ゼブジドフスカに立ち寄った。で、そこで、「ヴォイチェフ・ヴァイスはカルヴァリアの画家」なんて看板を見つけた。
 ヴァイスはどの美術館でも数枚は出くわした、ポーランドの傑出した画家。じゃあ、彼の風景画は、カルヴァリアを描いたものだったのかな? ……予備知識がないと、先入観ない分、我流の解釈になっちゃう。 

 ヴォイチェフ・ヴァイス(Wojciech Weiss)は、私のノートには、「ムンク的」なんてメモしてある。実際、彼のムンク的に肺病質めいたメランコリックな絵が、私には最も印象深かった。
 が、解説に「彼の画風は多彩で、何をやらせても上手い」なんてあるのは、生涯、画風が変転したってことを暗示している。印象派の部屋にも、象徴派、表現派の部屋にも、戦後社会主義ポーランドのモダニズムの部屋にも、彼の絵がある。
 
 略歴を記しておくと、ヴァイスは、「一月蜂起」によってウクライナ・ルーマニアのブコビア地方に亡命したポーランド一家の出で、音楽を断念し、クラクフ・アカデミーにて絵を学んだ。その際の師だった、「ムウォダ・ポルスカ(若きポーランド)」運動の担い手の一人、レオン・ヴィチュウコフスキ(Leon Wyczółkowski)の絵が、ヴァイスに最初の影響を与える。ヴァイスの絵に一貫して感じられる、充満する大気は、このヴィチュウコフスキに依るところが大きい。
 が、作家スタニスワフ・プシブイシェフスキ(Stanisław Przybyszewski)(彼は「若きポーランド」運動の哲学を提唱した一人)のデカダンを知って以降、ヴァイスは一気に表現主義へと突き進む。かつての沁みわたる大気は、強迫と不安を煽ってざわめきはじめる。彼は衝動的な赤、白、緑を用いて肉感を燃え上がらせ、次には白を重んじ内奥を喚起する。友人で、日本かぶれのパトロンでもあった、フェリクス・ヤシェンスキの情熱が乗り移り、ジャポニズムにもはまる。

 そしてカルヴァリアに小さな地所を購入。以降、ポーランドの自然に身近に接し、ジャポニズムの美学を消化し、豊かな色彩を我がものとして、彼は「若きポーランド」派を代表する一人となった。

 でもまあ、最後まで惚れっぽい、燃えやすいタチだったのだろう。晩年には、テイストのがらりと異なる、社会主義リアリズムの絵まで描いている。

  画像は、ヴァイス「恐怖」。
  ヴォイチェフ・ヴァイス(Wojciech Weiss, 1875-1950, Polish)
 他、左から、
  「悲しそうに」
  「ケシ」
  「輝く日没」
  「悪魔」
  「エッケ・ホモ」

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ポーランドのアール・ヌーヴォー

2015-08-13 | 月影と星屑
 

 クラクフにて、バス・トラム乗り放題、ミュージアム入り放題のカードを購入した相棒。美術館にことごとく連れて行ってくれるつもりだったところが、美術館の質も量も半端なく、期日のあいだにすべてをまわることができなかった。
 が、翌日の日曜日は美術館無料開放日。助かったよ、クラクフ。

 なので、メホフェル・ハウスにもちゃっかり寄ってきた。メホフェルは、どでかいトンボの絵の印象が強烈すぎて、私のなかでイメージを形成しそこなった画家なんだ。

 ユゼフ・メホフェル(Józef Mehoffer)は「ムウォダ・ポルスカ(若きポーランド)」運動を牽引した、同時代の代表的な画家として、評価されている。
 彼はヴィスピャンスキと同じく多芸な人で、装飾・応用美術全般にわたって貪欲に手がけている。ステンドグラス、家具や織布、オーナメントなどのデザイン、舞台装飾、ポスターや本の装填、フレスコ画、などなど。特にステンドグラスでは、国際的な喝采を浴びた。
 時代のトレンドはアール・ヌーヴォー。それにマッチした分野、マッチした様式で制作したのだから、メホフェルが時代の第一人者と見なされても不思議はない。

 大学で法律を学びつつ、クラクフの美術アカデミーにて、マテイコに師事。オーストリア系だった彼は、ウィーンに遊学中、ウィーン分離派から大いに感銘を受けたという。うん、彼の色彩は、ハンス・マカルトあたりのゴージャスで際どい暖色、特に赤、が多分に目立つ。
 各国を旅行し、先々の教会で中世のステンドグラスに接して、とにかく感動する。結果、彼の第一の芸術的関心とテーマは、ステンドグラスの装飾に向かった。
 パリ滞在中は、ヴィスピャンスキとアトリエをシェア。お互いに多才な二人だが、芸術的テイストが似通っていて、若い頃にはともにマテイコの教室で修行した仲。クラクフに帰って以降も、何度もコラボしている。

 さて、私にとってメホフェルの絵がとらえどころなく感じた理由は、彼の絵には癖があり、その癖を、私が飲みこむことができなかったせいだと思う。
 イメージから発した強烈な、虚飾めいた色彩。色使いも装飾的だが、線もまた装飾的。それでいてその線は、しなやかで、自信満々。画面は平坦で、細やかな装飾品が散りばめられている。モチーフに何気に含まれるのは、ポーランドの民俗的寓意。そしてモデルは、画家の意図する象徴を映し出すにふさわしい、女性という存在!

 卓越したデッサン力を持つ画家の写実が、ここまで装飾的だと、どういうわけか、そのシーンには違和感が生じてくる。どこか非現実的、幻想的で、白昼夢のような、しっくりしない、ちぐはぐな印象。
 これが私にとって、メホフェルの絵の謎かけなのだ。

 第二次大戦勃発後、メホフェルは家族を連れて、ナチス占領下、ポーランド総督府の置かれたクラクフを去り、リヴィウへと逃れる。が、そこで取っ捕まり、強制収容所へと送られる。
 バチカンとイタリアの外交交渉によって解放され、クラフクへと戻った。

 怖い思いをしたんだね、メホフェル。

 画像は、メホフェル「画家の妻」。
  ユゼフ・メホフェル(Józef Mehoffer, 1869-1946, Polish)
 他、左から、
  「赤い日傘」
  「奇妙な庭園」
  「ペガサスを伴う妻の肖像」
  「ミューズ」
  「ルジャ・サロヌ」

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