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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

消えゆく花のように

2011-06-04 | 月影と星屑
 

 フィンランド現代絵画のなかに、ヘレネ・シェルフベック(Helene Schjerfbeck)という女流画家がいる。北欧では高く評価されているが、北欧以外の国ではあまり知られていないらしい。日本では名前を聞くことも難しい。

 シェルフベックは幼い頃に大病を患ったせいで、生涯ひ弱で、片足も不自由だった。虚弱な子供は退屈する。退屈を紛らわすため絵を描く。
 そうやって、画才を発揮するようになった彼女は、家が裕福ではなかったために、授業料免除で絵を学び、さらに奨学金を得てパリへ。人々の素朴な生活の情景を、輝くような色彩と素直な写実で描いた、生気がみなぎりあふれるような絵は、飛躍への夢に満ちていた若い彼女そのままに眩しい。

 若くしてパリやイギリスで活躍して、やがて帰国すると母校で教鞭を取る。けれども幼少時の病気が悪化し、やむなく教職を退くことに。
 シェルフベックが田舎に隠遁したのは、私と同い年くらいのこと。まだ十分若い。

 田舎に引っ込んで、残り多い長寿の人生を孤独に描き続けたその画風は、劇的に変化していく。この時期、彼女はモダニズムの画家と呼ばれるようになる。
 彼女は自画像を多く描いた。あんなにも輝いていた色彩はトーンを落とし、血の気のない仄白い背景に、黒に似た濃い質素な服を着た画家自身が、何の飾り気もなしに描かれている。人物は往時のように繊細ではなく、その繊細さが凝縮されたような単調さで簡略化されている。
 老い衰えた幽霊のようなその肖像は、荒涼としていて殺風景。消え入りそうに弱々しく、ますます色褪せながらも咲き続ける、哀しい、静かな花のよう。

 自分の周りをじっくりと見回してみる。そして、そのなかで最も価値のあるものは自分だと気づく。そうして自分自身に語りかけるようになる。自分の内奥へと入り込んでいく。
 ……シェルフベックの絵には、そんな感じの冷めたナルシシズムがある。

 画像は、シェルフベック「自画像」。
  ヘレネ・シェルフベック(Helene Schjerfbeck, 1862-1946, Finnish)
 他、左から、
  「少女像」
  「母と子」
  「本を読む少女」
  「青いリボンの少女」
  「自画像」

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陰鬱の美

2011-06-03 | 月影と星屑
 

 フィンランド象徴主義の画家として知られる、ヒューゴ・シンベリ(Hugo Simberg)の絵は、どうも変わっている。

 彼の絵にはこだわりの、れっきとしたテーマがある。「死」だ。
 彼はいかにもマンガチックに「死」を描く。「死」は古典的な、陳腐な「死神」の姿をしている。つまり黒衣をまとった白い骸骨だ。骸骨は頭でっかちで前屈み、ダブダブの黒衣からひょろりと細い手足を出していて、いかにも弱っちく見える。
 そいつらが、庭園で植木鉢に水をやったり、枕辺でバイオリンを聴いたり、波止場で人間相手にダンスをしたりしている。いかにも呑気だが、それらは「死」がメインの仕事を果たす上で必要なサブの仕事なのだ。

 彼の絵には「死」のほかにも「悪魔」や「天使」が、マンガチックに頻繁に登場する。
 「悪魔」は灰紫色の肌、茶色の髪をしていて、小柄で真っ裸、角と尻尾が生えている。おそらく画家の分身なのだろう、愛嬌たっぷりのその顔には、おどけた画家自身の面影がある。他方、天使のほうは金髪で、真っ白のローブを着、真っ白の羽を背に生やしている。どことなく天上的で、人間に対して無力そうに見える。

 シンベリ独特のこれらの人格化は、絵を学び始めた彼が、思うところあって、すでに評判を得ながらもなお自身の方向を模索していたガッレン=カッレラのもとへ、個人的に弟子入りし精進した時期に見出したイメージ。
 人間の隣りに「死」や「悪魔」や「天使」がいる、この世ならぬ世界は、生と死、善と悪といった常套の観念を、常套どころではない表現で描かれているせいで、風変わりで滑稽。死すべき運命について、厭世ではなくむしろ楽天を感じてしまう。

 が、シンベリがマンガチックではなくシリアスに描くとき、その絵はいかにもどんよりと陰気で、気が滅入る。
 テーマは同じく「死」なのだが、若者と言うには若すぎる、思春期前の少年たちが登場する。彼らはしばしば裸で、痩せぎすで初々しさ、瑞々しさがなく、やがて死すべき存在としてのように、描かれている。
 人によっては不快ささえ感じる、容易には忘れがたい陰鬱さは、黒衣の骸骨姿の死神などよりもはるかに、「死」を免れ得ないものとして感じさせる。

 画像は、シンベリ「傷ついた天使」。
  ヒューゴ・シンベリ(Hugo Simberg, 1873-1917, Finnish)
 他、左から、
  「冬景色」
  「生命の川」
  「死の庭園」
  「鍋のそばの悪魔」
  「氷が解ける頃の春の宵」

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男やもめのペーソス

2011-06-02 | 月影と星屑
 

 カール・シュピッツヴェーク(Carl Spitzweg)というドイツの画家がいる。ドイツの美術館には必ずこの人の絵があって、いわば国民的画家。

 シュピッツヴェークはドイツ・ロマン派のなかの、「ビーダーマイヤー(Biedermeier)」と呼ばれる芸術様式を代表する。ビーダーマイヤーというのは、1815~48年頃のドイツ文化の一時期。
 ドイツ近代史のなかで、1815年はウィーン会議、そして1848年は三月革命の年。フランス革命を契機とする自由主義・民族主義のヨーロッパへの波及。ウィーン体制は、それを抑え込む形での国際的な協調支配体制だったが、1848年、ヨーロッパ各地で起こった革命によって崩壊する。
 ドイツでも三月革命が勃発。が、反動勢力の巻き返しによって弾圧され、敗北する。

 こうした時代への諦観から、理念的、理想主義的なものへの反撥が起こったのは当然で、より平凡で身近で日常的なものに関心を向ける市民文化が現われる。名前の由来となった小説中の人物、ビーダーマイヤー氏の小市民的な人物像から、ビーダーマイヤーはしばしば、政治や社会には無関心の小市民文化と同義で用いられる。

 シュピッツヴェークの絵もやはりノンポリでプチブル。市井の小市民たちの偏狭な世界を、ユーモアとペーソスとアイロニーをもって描いている。
 絵に登場するのは、中年ももう終わろうという、禿げかかり、背も丸まり、古ぼけた服を着、眼鏡をかけ、パイプをふかす、ぱっとしない独り身の男たち。いかにも男やもめのような、紳士やインテリ。
 一見すると、ドイツの古き良き時代の情景を描いた風俗画。けれどもそこには皮肉と自嘲がある。傍から見れば滑稽なほどの熱心さと自己満足さで、ささやかな趣味に没頭している。若い娘に夢中になっている。そういう含意を見出すと、絵は途端に突飛で風変わりに見えてくる。

 薬剤師をしていたが、40代を過ぎて、裕福な商人だった父の遺産を相続すると画家に転身。独学で絵を学び、晩年になってようやく認められた。
 妻も子もなく、独りもくもくと絵を描き、年老いて死んでいった。

 画像は、シュピッツヴェーク「胡散臭い煙」。
  カール・シュピッツヴェーク(Carl Spitzweg, 1808-1883, German)
 他、左から、
  「貧しい詩人」
  「サボテンの友」
  「口論する修道士」
  「洞窟のなかの鉱石収集者」
  「新聞を読む男」

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咲き開く、花と見紛う色彩が

2011-06-01 | 月影と星屑
 
 
 ドイツ表現主義に括られるなかで、一番興味深い画家と言うと、私の場合はエミール・ノルデ(Emil Nolde)。本名はエミール・ハンセン(Emil Hansen)で、ノルデというのは彼が生まれた、デンマーク国境に程近い北ドイツ、シュレスヴィヒ地方の村の名前。
 生来、人間同士の軋轢を嫌い、孤独を好んだノルデは、キルヒナーらに頼まれて「ブリュッケ(Die Brücke)」のグループ展に参加したりもしたが、概ねいつも独りだった。

 もともとは木彫に携わり、30代に入って絵を学んだノルデ。「笑うマッターホルン」なんて絵葉書を描いて、それらを売ったお金で美術教育を受けている。が、マッターホルン時代の前と後でノルデの絵がどう変わったのか、私にはよく分からない。
 木彫のように原始的で、素朴で大胆。形態と色彩は単純で奔放。稚拙さが、いかにもユーモラスでグロテスク。こんな絵を描く画家、田島征三とか片山健とか飯野和好とかは別として、他にはいない。
 そんな彼の宗教画は不気味で幻想的で、それに幾ばくかの哀愁が漂っている。

 生まれは北ドイツの農民の家庭。郷土愛と、おそらく厳格な信仰とが伴っていただろうと思う。「白いリボン」のような村々が思い浮かんでしまう。
 彼は当然のように国家主義的、民族主義的で、北方民族の優越を信じ、ユダヤ人嫌い。ベルリン分離派を除名されたのも、分離派側がノルデの「聖霊降臨」を拒絶した後のやり取りのなかで、そういう類のことをノルデが公言したかららしい。

 早くからナチスに共鳴し、入党。が、やがてナチスが政権を握ると早速、当のナチスによって、「頽廃芸術」の烙印を押されてしまう。ノルデの絵を好意的に評価していたゲッペルスへの直訴もむなしく、ノルデの絵は美術館から押収され、「頽廃芸術展」で晒しものにされた後、売却・焼却処分に。
 制作自体も禁止され、ゲシュタポの監視下に置かれたノルデが、ゼービュルの片田舎に引きこもり、ナチスに隠れて、自ら“描かれざる絵”と呼んだ数々の小さな水彩画を描き続けたのは、有名な話。

 ずっと以前、「エミール・ノルデ展」という珍しい企画展があって、そこで観た水彩による花々の小品群は、今でも強烈に印象に残っている。それ自身が生命を持っているかのような、踊り狂うような色彩の、和紙の上いっぱいに滲みわたった花々……
 祖国に裏切られても、祖国を捨てなかったノルデ。戦後、画業を再開したノルデだが、自身の立場を改めて表明したという話は聞かない。

 画像は、ノルデ「聖霊降臨」。
  エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867-1956, German)
 他、左から、
  「罪人たちに囲まれるエジプトの聖母マリア」
  「蝋燭踊り」
  「山の巨人」
  「金髪娘と男」
  「赤いダリア」

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眩耀の色彩

2011-05-31 | 月影と星屑
 

 私がいつもフランツ・マルクとセットで思い出すのが、アウグスト・マッケ(August Macke)。どちらも名前が似ているし、内省的だったし、「青騎士」で活動したし、色彩と形態にドローネー的なオルフィスムの影響が感じられるし、第一次大戦で若くして戦死したし、云々。
 他方、マルクは自然のなかの動物を描いたが、マッケのほうは都会の余暇を思わせる人間の生活を描いた。フォルムはともに単純化されたが、マルクのフォルムは直線的で、マッケのは曲線的。

 マルクとマッケは仲が好く、そのマルクからマッケは“色彩の天才”なんて呼ばれている。マルクの色彩は独特の哲学に拠ったものだったが、マッケの色彩は天分だった。天分には勝てない。

 マルクに出会い、その縁故でカンディンスキー率いる「青騎士(Der Blaue Reiter)」の結成に立ち会ったマッケは、当然、ドイツ表現主義の中心に存在する画家として扱われる。
 けれどもマッケの絵には、多分にフランス的なところがある。この時代のドイツ絵画が全般にフランスの印象派、後期印象派、フォーヴィズム、そしてオルフィスム等々の影響を受けているのはもちろんなのだけれど……

 おそらく、マッケの絵が分かりやすいからだと思う。何を描いているのかも分かりやすいし、何を描きたかったのかも分かりやすい。彼には穏健な写実精神というものがあったのだと思う。

 好んで描いたのは日常の情景。都会の街路や湖畔の公園を散策する人々。フォルムは簡略化されているが、なお具象的で、光の結晶のように輝いている。
 この色彩の輝きに、おそらくマッケの一番の関心があった。プリズムを通したような透明な、鮮烈な色面によって浮かび上がる、対象の輪郭と陽光の塊。フォルムが単純になるほど、色彩は豊かになっていく。イメージは自然で現実的であるのに、画面全体のムードは幻想的。

 表現主義には時代の不安や頽廃、疑念、焦燥などを反映し、とにかく表現だ、表現だと主情的に描かれたものが多々あるが、マッケの絵にはそういうところが感じられない。
 ただ、単純化されたフォルムの結果、人間はまるでマッチ棒のような姿をし、その顔はマネキンのようにのっぺらぼうで表情がない。それが、抗いがたく大戦へと突入していった暗い時代、戦争の合意が急速に形成された異様な時代を思い合わせると、どこか不安げな雰囲気を醸している。

 マッケは、クレーがそれを転機に色彩を爆発させたチュニジア旅行に同行し、クレー同様、やはりアフリカの鮮明な光に強烈な衝撃を受けている。
 が、同年、第一次大戦に従軍、呆っ気なく戦死した。27歳。遺作は「さらば」と題されていたという。

 画像は、マッケ「遊歩道」。
  アウグスト・マッケ(August Macke, 1887-1914, German)
 他、左から、
  「帽子をかぶった画家の妻」
  「珊瑚の首飾りをした裸婦」
  「帽子店」
  「木の下の少女たち」
  「トルコのカフェ」

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