千恵子@詠む...................

リンクにて開く世界は万華鏡 あれやこれやと交差の果てへ

原発さえなければ 自死なかりしを…

2019年09月25日 | 

クリエイティブ・コモンズにて、転載。

救援連絡センター発行「救援」紙の、2面の連載コラムより

原発さえなければ   自死なかりしを…

原発事故の自殺者の精神鑑定書を読んで、彼らが環境の激変に潰されていくさまを思い、激しく動揺した。雑誌『NO NUKES voice vol.21』鹿砦社 最新号は、「創刊5周年記念特集 死者たちの福島第一原発事故訴訟」

精神科医の野田正彰さんの原文を是非読んでほしいが、とりあえず短く紹介する。この国の怖さ、壊れようが痛い。

重清さん。享年五五。農家も大変だが、酪農家も辛い。人里離れた開拓農家。結婚も遅れ、フィリピンで見合いをして結婚。両親が死に、子ども二人が生まれ、家族四人の核家族。働き盛りで五百万の借金で堆肥小屋を建てたと。

地震から妻子はフィリピン政府のチャーター便で行ってしまう。暫くのちに彼も大金を持ってフィリピンに遁走するが、その後の対応のために一人、日本に帰る。相談所に行っても、解決策は見つからない。たったひとりで御飯を食べる気力もなく、カップ麺の日々。

「原発さえなければ」と「ごめんなさい」の言葉を残し、相馬市の酪農場で首にロープを巻いて自殺。合掌。

文雄さん、享年百二。一度も飯舘村をでたことがない、おじいさん。

外出の楽しみのデイサービスは無くなる。近隣の人々も去っていく。居間の炬燵に、ぼんやり座っている。食事も酒も半分になる。

四月には村が計画的避難地域になる。病院から貰った薬をいれるビニール袋を何枚も結び合わせた紐を作り首に巻きつけて自殺。朝、家族が呼びにいったとき、布団に寝た跡はなかった。合掌。

A子さん、享年八四。結婚後は夫の前妻の子どもを育て、田畑と牛の世話、娘も生まれる。漢字は読めない、視力障害のせいかもしれない。

晩年。朝五時に起き家族の食事を作り、家族が出ていった後は飼い犬モコと寝っ転がって過ごす。テレビはつけていたが目が見えないので、好きな「水戸黄門」は耳で聴いていた。帰宅した家族と夕食を取り、一番風呂に入り、夜九時になると自分の部屋で休む。不眠はない。平和な日々だ。

肺炎で入院したが、原発事故のため退院させられた。しかし事態を把握していない状態。なぜ飯舘村から避難しなければならないか、理解していない。

マンションに避難するが、家族に付き添われなければエレベーターに乗れない。赤十字社から支給された家電は、老いて目が悪いA子には使えない。簡単な料理を家族のために作ることもできない。

視力障害のために階段も使えない。孫が帰るときに激しく泣く。老人ホームの夫の死亡、みずからの縊死。合掌。



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