気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

窓、その他  内山晶太  

2012-10-27 23:16:28 | つれづれ
通過電車の窓のはやさに人格のながれ溶けあうながき窓みゆ

春の日のベンチにすわるわがめぐり首のちからで鳩は歩くを

ブランコを全力でこぐたのしさは漕げばこぐたびはなひらきゆく

観覧車、風に解体されてゆく好きとか嫌いとか春の草

てのひらに貰いしお釣り冬の手にうつくしき菊咲きていたりき

コンビニに買うおにぎりを吟味せりかなしみはただの速度にすぎず

床に落としし桃のぬめりににんげんの毛髪つきて昼は過ぎたり

湯船ふかくに身をしずめおりこのからだハバロフスクにゆくこともなし

わが死後の空の青さを思いつつ誰かの死後の空しかしらず

さびしさに死ぬことなくて春の夜のぶらんこを漕ぐおとなの躯

(内山晶太  窓、その他  六花書林)

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短歌人同人の内山晶太の第一歌集『窓、その他』を読む。
内山さんは30代半ばであるが、歌歴は長く、22歳のときにすでに短歌現代新人賞を受賞しておられる。
待ちに待った第一歌集の出版、本当におめでとうございます、と言いたい。
私の第一歌集上梓とほぼ同じ時期だが、年齢はともかく「格が違う」という感じがする。

キーワードは「さみしさ」だろう。三首目のブランコの歌。たのしさと言うことばはあるが、芯がさみしい。七首目の桃の歌は、事実だけを述べていながら、もうその桃は食べられない、洗って食べたとしても、何かが違ってしまった。そんなときのこころに兆すなさけなさがよく表現されている。「ぬめり」が歌をリアルにしている。十首目のぶらんこの歌は、わりと素直にさみしさが前に出てくる。ここでも結句「おとなの躯」のひらがなと漢字(それも躯)の使い分けが絶妙。どの歌も細かく読んで鑑賞したい。



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