気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

短歌人10月号 秋のプロムナード その2

2012-10-04 22:50:37 | 短歌人同人のうた
懐かしき著者検印は『眩暈祈禱書』のセロファン透くる塚本の朱印

転落死のジュディに眩暈襲ひしや答ふるもの無くただ鐘は鳴る

(川明 眩暈アラカルト)

ギロチンのかたちに窓を押し下げて笑う少女が反らすその背な

夕暮れを淡く結んで雨が降る「そろそろ終わりにしませんかねえ」

(依田仁美 夏を切り落とす)

すつくと立つ肢体は乳房もちながら少年のやうアイリス似合ふ

野辺をゆく鉄路のバラスに影落しひたすら走る乗合の箱

(大森浄子 祈る)

朝ごとにゆで卵ひとつ食べてゆく息子を送りて始まる一日

赤ちゃん筆勧めくれたることありきそれほど遠きことにあらざる

(斎藤典子 一日)

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短歌人10月号、秋のプロムナードより。

蝶になった母  光本恵子 

2012-10-03 22:57:43 | つれづれ
こちら立てればあちら立たず どちらも納得する定規はあるか

ゲーテも歩いた哲学の道をゆるゆる辿る ふとここで死んでもいいと思う

病院に入れば個性もこころも隠して転がる一本の丸太棒

まっすぐに前を見て歩く背筋をぴんと張って さてどこまで行けるか

月明かりにまかせ畳にうずくまるそのままそのままに

あなたの愛に育まれここまできました 母よ母よ力なくわらわないで

子を束縛しない支配しない 遠くで見守るとよ子さんの強さ

眠ったまま逝かせてやりたい母とよ子 豪快と繊細に生きてやすらか

点滴に託すいのちあり今夜も語らず蝶になって野辺を翔ている

海を越え山を越えて菜の花を飛ぶ蝶は母の化身か

(光本恵子 蝶になった母 角川書店)

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未来山脈の編集発行人、光本恵子の第六歌集『蝶になった母』を読む。
口語自由律の歌で、ふだん定型に収まった短歌を読み慣れていると、ふしぎな感じがする。一行詩と思って読めば納得がいく。こういう読み方は失礼なのだろうか。
光本氏は、師である宮崎信義亡き後、2002年から未来山脈の編集発行人になった。その決心には、短歌人の高瀬一誌の後押しがあったとあとがきにある。
私は、体制順応型の人間なので、短歌を作ろうとすると、まず定型にしたくなる。読むときも、57577のリズムで読んでしまう。そんな習慣がついた頭には、?が点きっぱなし。しかし、最後まで読みとおして、面白さというか味わいがわかってきた。貴重な体験だったと思う。
歌集の後半は、お母さまの介護の歌が中心で、深い愛情と感謝に満ちている。たまたま私の母の命日の夜に読んだので、感慨もひとしおであった。

短歌人10月号 秋のプロムナード

2012-10-03 18:34:19 | 短歌人同人のうた
死ぬるまで生くといふこと簡明に今日の日は今日の草を照らす

再(ま)た会はぬ人みな清く面(おも)かがよふ深々とわれを憎みし人も

(酒井佑子 蓮見)

以前の日々に戻るかに見え五月そらまだみつからぬなくした日傘

眠らせておく脳の一部に暮れかかる海を見てゐるデスクワークに

(柚木圭也 風あれば)

パーキングエリアに仏花売られをり河北新報に包まれながら

瓦礫なるハイヒール拾ひあげたれば小さき蟹の顔を出だせり

(有沢螢 語り部ツアー)

国民の生活が第一ぬけぬけと言うてくれます政治家の口

夕焼けを切子ガラスに取り込みてこの世に在ることいささか楽し

(山本栄子 夏の日常)

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短歌人10月号、秋のプロムナードから。

今日の朝日歌壇

2012-10-01 18:55:36 | 朝日歌壇
百年前南極に立ちし白瀬中尉名前の矗(のぶ)のひたむきなさま
(大和郡山市 四方護)

逝きし娘(こ)と同じ瞳(め)をして振り返る少女に会いに美術館に行く
(茨城県 清水光代)

贋といふ李朝の瓶をいとほしむ草の穂させば膚にもつ艶(つや)
(たつの市 藤原明朗)

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一首目。人名漢字の歌。直を三つ重ねて「矗」という字は、この人の名前でしか見ることは少ない。しかし実直な人柄がよくわかる。人は名前に合う性格になるのだろうか。親の願いが通じるのだろうか。最近の判じ物のような名前もまた親の思いだろう。
二首目。「振り返る少女」から、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を連想させる。「逝きし娘」がなんとも切ない。娘さんは、いつまでも若く美しいままで、作者の中に生き続けている。
三首目。初句の「贋」という言葉で、答が出てしまっているが、作者の愛着で、ほんもの以上の艶を見せる瓶。人と物の交流、友情のようなものを感じた。