気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

龍笛 今野寿美

2006-03-18 22:32:51 | つれづれ
青天はかんと冬なる遠さ置き人は心に天秤を置く

ぽぽといふ眠くなる音ひと好み空に地上にぽぽあふれしむ

(今野寿美 龍笛 砂子屋書房)

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りとむの今野寿美の歌集を読みはじめる。

一首目。「かん」は、寒であり、カンという音であり、勘定、感情のかんであり、ここをひらがなにしてあるのがポイント。心に天秤を置く・・・は、人間関係、物事との距離の置き方にバランスを取るということだろう。青天と、人との対比もある。
二首目。たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ・・・という坪内稔典の俳句を思い出す。たんぽぽのぽぽは、鼓を打つぽぽの音から来ているらしい。だからたんぽぽは、鼓草とも言うとどこかで聞いた。

五首コメントつけるのは、つらいのでぼちぼち。ここで即詠をしてると、歌会に出す歌に困る(作者がバレる)ので、それもぼちぼち。あまり手の内は見せない方が万事好都合。

青い猫 川本千栄歌集

2006-03-16 23:47:56 | つれづれ
ギター弾き話せば分かり合えると言うビートルズ世代始末に困る

たわやすく愛を言う君さっくりとコアラのマーチを噛み砕きつつ

寂しくてわれを娶りし君ならば寝入るまで背をなでてやるなり

簡単に励まされ得る人たちが沿道に出て旗振っている

眠る子を台所から見に戻る死んでいるかも知れぬと思い

(川本千栄 青い猫 砂子屋書房)

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塔の川本千栄さんの第一歌集。
一首目。ビートルズ世代というのは、50代くらいのいわゆる団塊の世代を差すのだろう。十歳以上若い作者は、先輩世代に困っている。ビートルズが出たところで、膝を打つ。
二首目。俵万智の歌、「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの・・・と発想は似ている。こちらはコアラのマーチで来たんだな。
三首目。娶られているのに、君に対して母親のような感情で接する女性。じゃ、この女性はだれに甘えるのだろう。
四首目。マラソンの応援風景だろう。がんばっている選手を見て、元気をもらうという気持ちはあるだろうが、その程度で励まされるのか?と思う作者。同感だ。
五首目。これは親の実感としてわかる歌。この時期をすぎると、寝てくれてたら安心と思うのである。

のど飴のひと粒ゆるり溶けるまで待てず奥歯でがりりと噛みぬ
(近藤かすみ)

くすのき

2006-03-16 00:10:48 | つれづれ
なよたけのひともゆきしかながらへて夭(わか)き死にあるフォルテの世紀

知命をまたずひと逝きしかなかのひとの声音(こわね)の記憶あたらしけれど

(山中智恵子 玲瓏之記)

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山中智恵子が、「悼 永井陽子」として作った一連から。
画像はくすのき。「季節の花 300」さまからお借りしました。

玲瓏之記 山中智恵子 

2006-03-15 00:21:38 | つれづれ
死へむかふ空白(うつろ)の舟にただよへるゆめよりほかのわれを思へよ

われらこの青くきらめく遊星にまなこは冷えて春おぼろなり

夢の草より春は到らむ繭のごとやはらき美しき草

ガレの壺に螢火ともす頃となりわがただよひははじまりたりき

春の夜の夢前川(ゆめさきがは)にめざむれば草の枕のひとに逢ひける

(山中智恵子 玲瓏之記 砂子屋書房)

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たまたま府立図書館から借りていた山中智恵子『玲瓏之記』。タイムリーになってしまって悲しいが読む。むつかしいが深い味わいがある。
例えば、夢の草・・・の歌。77547なのだろうか。わからない。

話しかわって、ときどきパソコンのカーソルが見えなくなるな・・・と思っていたが、どうも私の目の方が悪かったようだ。無理は出来ないが、読書やパソコンをやめたからといって良くなるわけでもないらしい。京都は寒の戻りで、雪がちらつく。

降る雪は夢かうつつかわたくしの眼(まなこ)に映るもののかずかず
(近藤かすみ)


今日の朝日歌壇

2006-03-13 21:46:56 | 朝日歌壇
ユリカモメあおぞら領す発(た)つものと居残るわれと春疑わず
(浜松市 松井惠)

夜に来て明日帰る子が月光を青くくずして雪下ろしいる
(山形県 清野弘也)

棺桶に歩いて入るが目標とウォークの会長(おさ)の挨拶
(宇都宮市 河西弘正)

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一首目。青空を介して、飛ぶユリカモメと地上で見る作者との対比があざやか。結句「春疑わず」で、一首がひきしまる。
二首目。この冬、雪が多かった地域の親孝行な子供さん。月光を青くくずして、という表現が美しい。
三首目。ウォーキングの会の会長さんの挨拶のことを詠っているようだ。いくらなんでも、これじゃあ自殺じゃないか。だがこれほどの過激さで歩いている会長さん。「かいちょう」とせず、かい、おさの・・・と読ませるところに息継ぎがある。いや、それとも会員全員が棺桶に歩いて入るのを目標とする会で、その長の挨拶?それならもっと怖い。

ストーブの残りの灯油の気にかかる三月なかば三色だんご
(近藤かすみ)


行きて負ふ

2006-03-12 19:06:41 | つれづれ
行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に雪降るさらば明日も降りなむ

(山中智恵子 みずかありなむ)

黄金のひかりのなかにクリムトの口吻(す)ふ男ぬばたまの髪

草と草の間に死を書き葬といふこのうつせみの終身に沁む

(山中智恵子 夢之記)

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朝刊で山中智恵子がなくなられたことを知る。あわてて家にある『現代の短歌』などアンソロジーを開く。
行きて負ふの歌から、小池光の「雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ」を連想。「ゆきて負ふ・・」と表記してある本もあり、今正確にわからない。
歌に使われている言葉がむつかしいが、少しでも読んでみたい。
ご冥福をお祈りします。

鳴 なみの亜子

2006-03-11 18:57:28 | つれづれ
ゆっくりと紙飛行機を折るように部屋着をたたむあなた アディオス

死ぬときもひとり 小型の掃除機の背筋伸ばして立っている部屋

妻たちに白旗ある朝窓々にメゾン阿倍野はシーツ垂らせり

いつかふと居なくなること案じあい二人乗りする動物園まで

生まれたしついでに生きてるだけやんか珈琲色の影をもつ猫

(なみの亜子 鳴 砂子屋書房)

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塔のなみの亜子さんの第一歌集。
一首目。「あなた アディオス」という結句がうつくしい。部屋着をたたむのはあなたで、そのあなたにアディオスと言っているのか、それとも作者が部屋着をたたんでいるのか、どちらともとれる。どちらでもいいような気がする。
二首目。「死ぬときもひとり」から、孤独感と孤独への覚悟が読みとれる。掃除機は作者の象徴か、作者は部屋で見てるだけか、どちらだろう。
三首目。ディープ大阪という一連から。白旗は降伏の意味。白旗のように垂れているシーツがそれぞれの妻の疲れを感じさせる。
四首目。この動物園は天王寺動物園だろうか。男と女は二人乗りしていても、仮初だからこそ今を楽しむ。
五首目。大阪弁の「だけやんか」に惹かれる。なみのさんは愛知県生まれらしいが、ここでは大阪の女の倦怠を感じた。
歌集の前半、大阪の部分からは車谷長吉の小説『赤目四十八瀧心中未遂』を連想した。

ちょっと事情があって、ここ数日ブログの更新をしていなかったが、たくさんの方に訪問していただいた。ありがとうございます。
私はわたしのペースで。


秘密 小島ゆかり 

2006-03-08 23:26:31 | つれづれ
きみの秘密ぼくの秘密を見せ合はう猫とふたりのクリスマス・イヴ

左手は夕映えやすしともすればたましひ抜けしごとき左手

ぶり大根ぐづぐづ甘し忘年会した人とまた新年会する

寒牡丹見て立つ人のうしろにも寒牡丹あり白を凝らして

父に肖(に)しわれ年を経て母に肖るさびしからねど冬の旅ゆく

(小島ゆかり 秘密 角川短歌3月号)

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短歌3月号の小島ゆかり特集の新作30首から。
例えば四首目。
寒牡丹の咲く場所に立ってる人がいますよ、ということをこういう風に詠うと歌になるんだと思う。寒牡丹がたくさん咲いている様子が窺える。

先日、関西歌会の二次会で、週刊文春に小島さん母子の紹介の記事が載ってるのを見せてもらい、その取り上げ方に落胆した。
世間の歌人への目というもの改めて見たような気がしたが、週刊誌というのはそういうものか。

読んでも読んでも読み終わらない雑誌、本がどんどん貯まる。なんとか短歌人5月号の詠草を清書して送る。

鶯のいろのセーター娘(こ)が着れば華やぐ三月ひひなを仕舞ふ
(近藤かすみ)


チュリップ

2006-03-07 23:43:47 | つれづれ
らふ梅に枯葉ひとひらかくのごと枝に古りつついつくしきかも

うちむかふ白きチュリップおほどかに翳をしつつむ花七つ八つ

(玉城徹 枇杷の花)

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玉城徹のうたの言葉のむつかしさを味わいながら、少しずつ読む。
「いつくしき」は「厳し」だと知る。蝋梅には、枯葉が似合う。
チューリップは、咲いた咲いた~をまず思いつくが、このチュリップの美しさの深いこと。「翳をしつつむ」の「をし」は、目的の助詞「を」と、強調の「し」だろうか。旧かなだから、押し包むではないと思うが。
短歌人の詠草〆切が近いので、そちらにかからなくちゃ。

泣き真似のうまき花なり蝋梅はさんぐあつ父の命日に咲く
(近藤かすみ)

今日の朝日歌壇

2006-03-06 22:28:50 | 朝日歌壇
獄庭(ヤード)にも人種(レース)と勢力(パワー)争いの線なき線(ライン)が引かれておりぬ
(アメリカ 郷隼人)

青空の盛岡駅で屋根の雪おろして「こまち」都会へ向かう
(由利本庄市 小園怜子)

ちちははに送るメールに添付する吾子にうまれし新しい表情(かお)
(東京都 鶴田伊津)

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昨日の短歌人会関西歌会で、歌のルビのことが話題になった。湖を、「みずうみ」と読むか「うみ」と読むかというかという話題からだった。それを思い出しながら、今日の朝日歌壇を読んでいた。

一首目。作者の名前があるだけでもう背景がわかっているわけだが、ルビのあるなしで短歌のリズムがすっかり変わってしまう。味わいが変わる。新聞紙面には、ルビのあるバージョンないバージョンが計らずも載っていて、両方で読んでみた。作者の意図が伝わるのは、ルビのある方だ。
二首目。作者の住所から歌を読むというのは、読み手として正しくないのかもしれないが、この由利本庄市という名前に反応してしまった。秋田県。知らなかった。
三首目。この歌では、表情を「かお」と読ませている。たしかにこのルビの相乗効果で意味を深くしている。また初句の「ちちはは」をひらがなにして、漢字とかなのバランスをとっている。