気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2006-03-06 22:28:50 | 朝日歌壇
獄庭(ヤード)にも人種(レース)と勢力(パワー)争いの線なき線(ライン)が引かれておりぬ
(アメリカ 郷隼人)

青空の盛岡駅で屋根の雪おろして「こまち」都会へ向かう
(由利本庄市 小園怜子)

ちちははに送るメールに添付する吾子にうまれし新しい表情(かお)
(東京都 鶴田伊津)

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昨日の短歌人会関西歌会で、歌のルビのことが話題になった。湖を、「みずうみ」と読むか「うみ」と読むかというかという話題からだった。それを思い出しながら、今日の朝日歌壇を読んでいた。

一首目。作者の名前があるだけでもう背景がわかっているわけだが、ルビのあるなしで短歌のリズムがすっかり変わってしまう。味わいが変わる。新聞紙面には、ルビのあるバージョンないバージョンが計らずも載っていて、両方で読んでみた。作者の意図が伝わるのは、ルビのある方だ。
二首目。作者の住所から歌を読むというのは、読み手として正しくないのかもしれないが、この由利本庄市という名前に反応してしまった。秋田県。知らなかった。
三首目。この歌では、表情を「かお」と読ませている。たしかにこのルビの相乗効果で意味を深くしている。また初句の「ちちはは」をひらがなにして、漢字とかなのバランスをとっている。