気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

資格のはなし

2007-05-13 00:02:40 | きょうの一首
短歌やめよ、資格を取れといふ母に付き添ひあゆむレントゲン室まで
(栗木京子 けむり水晶)

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今日は、思うところあって「臨床心理士とは何か」、というお話を聞きに出かけた。この歳になって・・・とも思うが、いつまでも無職というのは、居座りが悪い。今の状態ではとても主婦とは言えないし、もともと主婦には向かなかったようで、家事は料理以外はダメ。その料理も最近、腕が落ちてしまっている。世の中の仕事をもっている人たちが立派で、自分は役に立たない人間という思いがアタマから離れない。資格をとって、それを生かしてバリバリ働くというのが、人の生き方の王道のように思えて、ああ息苦しい。栗木京子さんほどの歌人で、賞もいっぱい取っている人でも、お母さまから見れば、そんな存在なのだろうか。

今日の話しを聞いて、臨床心理士はものすごく難しい仕事で、わたしには到底無理ということがわかった。何より人間が好きでないと出来ないらしいが、わたしは、あまり人間が好きじゃない。人見知りもしないし、どこへ行っても、お友達は出来るが、その付き合いが深くなっていくと、だんだんしんどくなってくる。歌会なら、短歌について話すということが決まっているから、そんなに困らないが、いわゆる世間話みたいなのが、苦手だ。同窓会などというものも、ほとんど行かないし、声もかからない。近所の人とバスで隣りあわせになったりしたら、ほんとうに何を話したら良いかわからなくて、パニックになってしまう。これも五月病なのだろうか。
しかし、講師の東山弘子先生のお話事体は興味深く、面白く聴くことができた。東山先生のご本を読んでみたいと思う。



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2 コメント

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Unknown (上村霞)
2007-05-13 14:43:36
かすみさん、こちらではお久しぶりね。
確かにキャリアウーマンは颯爽として恰好が良いけれど、「隣の芝生は良く見える」とはよく言ったもので、それぞれの地には明るい日向もあれば、カビの生える日陰も有り一長一短のように思えます。?10年の長い間、糊口を凌ぐ為に社会坩堝の中でかき回されて漸く脱出し独り暮らしに明け暮れている者の感慨です。二人のお子様を立派に育て上げられた貴女は小さな存在ではありませんよ。
短歌は他の学芸と異なり、職業として一般的に成り立たない現状が栗木京子さんのお歌に反映されていますね。
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Unknown (かすみ)
2007-05-13 18:51:48
上村霞さん こんばんは。
子供たちは、立派に育ったとも思えませんが、実際のところを見てないのでわからないというのが、正直なところです。少なくとも、母親としての私の援助は必要ないみたいです。空いた時間を自分のために充てられるというのは、ありがたいことです。
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