ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

妻の実家へ

2008-01-04 10:51:58 | Weblog
新年早々の2日の午後から妻の実家に1泊で行ってきた。
我が家も実家で、86歳母殿がいてその子ども家族が集まってきますが、それを幸いに留守を頼んで妻方の実家に足を運ぶことだった。我が家にやって来る「その家族達」も十分に理解して頂いているから、我が実家を守っている私にとっても、出来ることだと感謝している。

妻方実家では、新年早々からの訪問とあって歓迎頂き、集まっていた家族の方々との杯に花がさいたが、いつ戻っても母親のいない家に寂しさを感じている妻の姿が、ひとまわり小さく見えてしまう。
家に着くとなり、すぐに妻の母親のお世話になっている福祉施設を訪問し母親との対面を果たす。言葉も交わすことも表情も変えることのない母親の顔に手をあてる妻の姿が愛らしい。

妻の母は、二十年も前から極度の痴呆性にかかり、しかも脳の働きがなくなった状態になり、話すことも表情も変えることなく寝たきりで、ただ息をしている状態である。顔を見せに、あるいは顔を見に年に何度か訪ねているが、年々体が小さくなっていくのが目に見える。

そんな母と妻が対面している姿を側で見ている私はいつも思う。「もし、母親が言葉を口にすることが出来たならば妻とどんな会話をしているだろうか・・・」と。
そして「会うことがどんなに楽しみになるだろう」と。
わずかな時間の対面ではあったが、妻はきっと心の中で沢山の「いまの思いを語っただろう」と感じられずにはいられなかった。

私自身、妻の実家に新年に泊まりがけでいくことはあまりない。妻もはりきって杯に手をのばし、話しにも花を咲かせていた。
やはり「我が家はいいのだろう」と普段の気遣い苦労などなどをさせていることを
気づかった。そして、「沢山飲んで沢山実家に甘えては・・・」と心の中で思っていた。

妻の実家・・それは母親の姿はなくとも母親の声がしなくとも、妻が生まれ育ってきたところであり永遠に愛しいところであるだろう。
母親が、たとえ表情を変えなくとも、たとえ話しが出来なくとも二人で時々訪ねていくことこそが妻にしてあげられる、妻の実家への思いだろうか。




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