その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

アムステルダム アンネ・フランクの家

2010-10-21 23:55:29 | 旅行 イギリス外
 アムステルダムは仕事やプライベートで何回か来ていて、有名なゴッホ美術館や国立美術館は過去に見学済みなので、土曜日はまだ訪ねていないアンネ・フランクの家に行きました。今でも覚えていますが、「アンネの日記」は中学三年の夏休みの課題図書で、「なんか暗そうな本だなあ~」嫌々読み始めたのに、強烈に引き込まれ、一気に読んでしまいました。アムステルダムに来たら一度は行ってみたいと思っていたのですが、いつも凄く見学客が並んでいるので、後回しになっていたのです。

 今回も訪ねてみたら、やはり入り口に50メートル程の行列が出来ていました。ただ、並んでみたら意外と進みは良く、30分ほどで入ることができました。並んでいても、運河沿いの街の喧騒から離れたところに佇むのは、アムステルダムの落ち着いた街の雰囲気を味わうのに丁度良いぐらいです。

(入場を待つ行列)


(アンネ・フランクの家 外観)


 きっと重い気持ちになるだろうなあと予期はしていたものの、想像以上の重さでした。学生時代に長崎の原爆資料館を訪れた時を思い出しました。人間の「業」を感じざるえません。

 「家」は、当時と殆どそのままの状態で保存されているのが、驚きでありものすごい現実感で見学者に迫ってきます。例えば、本棚の裏に続く隠れ部屋。壁に姉妹の成長を測った身長の鉛筆線の跡。父親の連合軍の戦線を追跡した地図。アンネの日記の描写そのままの細く長い階段。光を入れないためにシャッタが閉じたままの窓。壁のポスター。どれもが70年前のままであろう状態で保存してあります。

(本棚の裏に隠れ家があります)


(日記の引用)


 常に小声で話さなくてはならず、夜に電気をつけられず、昼はカーテンを開けられない生活をここでしていたのだ。それでも結果として、彼女のジャーナリストへの夢は叶わなかった。日記の原本も展示してありますが、ティーン・エンジャーらしいその湧き出るような素直な感情の吐露には涙なしでは見ることはできません。

(アンネの部屋)

 
 なぜユダヤ人虐殺というようなことが、たったの70年前の、それも世界で当時発展段階が最も高かったはずの欧州で起きたのか? 不思議でなりませんでした。ドイツ人はどういう気持ちでこれらの展示を見るのでしょうか。

 しかし、感心したのは犠牲者とならずにすんだ父の発言が至るところに掲げてあるのですが、「今、出来ることは歴史から学ぶことである」ということが強調されていて、ドイツに対する恨み、つらみを押し出した展示にはなっていなかったことです。20年近く前ですが、韓国を旅行した際に、ソウル近郊の独立記念館を訪問しましたが、ほとんどが反日キャンペーン的なメッセージで占められていたのに、正直、これで将来の発展的な日韓関係というのは生まれるのだろうか?といたたまれない気になりました。その思い出があるだけに、この違いはなんとも興味深いものでした。「歴史から学ぶこと」と問われれば、否が応でも、「今」「将来」に目を向けることになります。「過去を忘れるな」と言われれば、恨みだけが残ります。

 せっかく欧州にいるのだから、やはりアウシュビッツにも行かねばならないかと思いました。 歴史から学ぶために・・・

 ※アンネ・フランクの家ホームページ

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