その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

綾ベン企画 VOL.14 『川のほとりで3賢人』  @下北沢 駅前劇場

2020-02-29 07:30:00 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

私の下北沢演劇祭の第2弾として、綾田俊樹 、ベンガル、広岡由里子の3人劇『川のほとりで3賢人』 を見てきた。東京乾電池ゆかりの芝居を見るのは初めて。

多摩川の河川敷で暮らすホームレスの男2人と市の「福祉課」の女性1名が織りなす会話劇である。時たま、多摩川沿いをジョギングし、河川敷のテント小屋やホームレスの方を見かけるので、個人的にとっても身近に感じる設定である。ストーリーは、河川敷と言うのどかな環境の中で、リアルと非現実的世界の境界を渡るような緊張感を伴ったもので、次の展開が気なるままにあっという間に95分が過ぎ去った。

小劇場での芝居をここ数年いくつか見てきているが、やっぱり役者が違うなあと感じた。綾田俊樹、 ベンガル、広岡由里子というベテラン役者が織りなす演劇は、醸し出す雰囲気、間と言い、プロを感じる。自然体だが味がある。舞台がしっかり安定している。

結局最後まで「福祉課」の馬場マチコの謎は私には解けなかったので、観劇後にちょっと残尿感があったが、楽しい祝日の午後のひとときとなった。

 

綾ベン企画 VOL.14
『川のほとりで3賢人』

日程:2020年2月21日(金)~3月1日(日)<2月24日観劇>
会場:下北沢 駅前劇場

作:てっかんマスター
演出:平山秀幸
出演:綾田俊樹 ベンガル/広岡由里子(ゲスト)
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佐藤忠男 『草の根の軍国主義』(平凡社、2007)

2020-02-26 07:30:00 | 

少年兵に志願し14歳で終戦を迎えた筆者による、日本の軍国主義についてのエッセイ。学び、気づきの多い一冊である。

根底に流れる主張はまえがきで以下のように示される。

「われわれは実に従順であり、我慢強く、さらには大いに付和雷同的でした。あの侵略的な軍に大いに喝采していたのです。軍と半ば一体化し、だから軍がまいったときには国民もまいったのです。残念ながら軍国主義は一部の軍国主義者たちだけのものではなく、草の根の広がりと深さを持っていました」(p8)

歴史書には戦争の推進力として、軍部の独走、政治の無力化、マスコミの賛同らが主に記述される。が、筆者はそれとは視点を変え、国民による戦争の受容に目を向ける。

「いかにも無茶苦茶な一部の軍人たちをなぜ政治の中枢にいる人々が制御できなかったかといえば、それは彼らがけっこう国民大衆に人気があったからと言わざるを得ない。彼らは特異な少数者ではなくて<草の根の軍国主義>に支えらえた多数派であった。」(pp143‐144)

個人的な体験に根差したものであるが故に高い説得力がある一方で、叙述は(論文や学者の通史ではないのであたりまえだが)主観的で感覚的でもあるところもあるので、読み易くはあるが慎重に読んだ方が良い。例えば、以下のような記述がある。

「この道(注:日中戦争から太平洋戦争への道)が自滅の位置であることを彼ら(指導者たち)が知らなかったわけではないでしょう。負けると分かって選んだのではないが、少なくとも勝つ自信は指導者層の誰にもなかったと思います。にも拘わらずこの道を彼らが選んだのは、中国に敗北するよりはそのほうがマシだという心理が支配していたからだと思います。明治以来、ひたする挑戦と中国を軽蔑することによって欧米先進国に対する劣等感を解消してきた日本人は、軽蔑し続けてきた相手に敗北したことを率直に認めることができず、畏敬できる相手であったアメリカ、イギリスに向かって玉砕する方がまだ格好がつくという心情に支配されたのだと思います。」(p212)

果たして、負けた際の玉砕の格好まで考えた「心理」が日中戦争から太平洋戦争への引き金になったのか、この証明は難しい。そして、それだけで語れるものでもないだろう。だが、今の世の中も然り、世の事象というのは何でも裏付けがとれるものだけで理解できるわけでないし、人は「論理」ではなく「空気」によって動くのも事実だ。今、すぐここに、80年前と相似形の出来事がいくつでも見つかるのが怖い。

個人的に特に興味を引いたのは、筆者の専門である映画批評を通じた歴史の振り返りである。戦後、筆者が戦時中に作られた中国の「抗日映画」を何本も見て、それがあまりにも先入観とは違うことに驚き、戦時中は、観たこともない「抗日映画」についての報道を見て「中国はけしからん」と息巻いていたことに気づかされる。そして、積極的に軍に迎合していた新聞の役割にも思いが及ぶ。

また、スペクタクルとしての映画がもっぱら太平洋戦争を売り物にして日中戦争を省略しがちなのは、中国侵略には日本側に主張できる正義がなにもないからという分析も腹落ちする。太平洋戦争には、アジアを支配していた西洋列強に一撃を加える痛快さや、アメリカとの戦争は飛行機や軍艦を主として派手で華麗な場面をたくさん見せ場にすることができるから映画にしやすいという解説もなるほどと思わせる。

人によって思い当たるところは違うだろう。何よりも現代のわれわれ日本人は90年前とは違った「戦争」に向かって、草の根の××主義に囚われていないかを考えたい。

【目次】
1 私はどうして軍国少年になったか?
2 軍国主義とはどういう主義か?
3 忠ならんとすれば孝ならず
4 爆弾三勇士の神話
5 捕虜になったらどうしよう?
6 アメリカ人にわれわれはどう見えたか?
7 “東条さん”の演説を聞いた
8 気分は「忠臣蔵」
9 大東亜共栄圏のまぼろし

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特別展「ご臨終~江戸時代の死・病・あの世」 と府中郷土の森博物館

2020-02-23 07:30:00 | 美術展(2012.8~)

「江戸時代の府中に暮らした人々の残した史料から、当時の死生観を探」るという面白そうな特別展が開かれていると知って、府中郷土の森博物館を訪ねた。多摩川沿いにあるので、長距離ランニングの際に近くを通ったことはあるのだが、博物館の訪問は初めて。(車なら中央高速道の国立・府中IC下車、電車なら京王線の分倍河原駅か府中駅からバスが出ている。)

展示は大規模なものではないが、地元の史料を使った興味深いものだった。江戸時代以前から始まって、「死」「葬式」「病」「死後の世界」などへの人々の考え、向き合い方が紹介される。もちろん時代による変遷はあるものの、むしろ現代との共通項や連続性を感じるところも多い。例えば、江戸時代のある庶民の葬式の一連の流れを示す史料の展示があるが、死後から葬式、初七日、四十九日等の一連の営みは現在と大きくは変わらない。ほかにもコレラに対峙する人々の姿は、コロナウイルスと向き合うわれわれ現代人と被る。


<展示室の様子。中央の甕は遺体を埋葬用に遺体を入れる甕>


<釈迦如来の像>

この郷土博物館、常設展も充実している。市の名前の由来が、律令時代の武蔵の国の国府(「府中」)からきていることもあり、律令時代からの歴史が外観できるように上手く展示がされている。市の博物館としては驚きの量と質である。

さらに、博物館の外は、ちょっとした庭園になっていて、ここも楽しい。昔の古民家や再生された歴史的建造物が配置されている。園内には小川が流れ、梅林がある。ちょうど、梅まつりが開催されていて、白、赤の花々が綺麗に咲いていた。天気が良ければもっと花の色が映えただろうが、ゆったりした時間を過ごすことができた。

「お葬式」展、梅まつりともに3月8日まで。東京都下の散歩先として、とってもおすすめです。

(おわり)

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吉見俊哉『トランプのアメリカに住む』(岩波新書、2018)

2020-02-20 07:42:45 | 

ハーバード大学での1年の教育経験、ボストンでの生活体験をもとに、トランプ政権下におけるアメリカについて考察した1冊。雑誌『世界』への連載記事がベースになっている。吉見先生の著作は何冊か読んできたし、随分前だが放送大学の「メディア論」も履修したことがあり、好きな社会学の先生であるのだが、残念ながら本書についてはがっかりだった。

クラスを持ちながら、定期的に一定量の寄稿を行うというのはさぞかし大変だったろうと推察するが、体験に基づいたアメリカ社会考察としては中途半端な印象が否めない。生活者ならではの記述は、第3章は授業体験を記しているものの、それ以外は既存メディアで流通している内容を、他の学者の概念、枠組みを活用したものが多い。筆者ならではの新しいフレームワーク・理論が提示されているとは言い難く、隔靴掻痒の感が否めない。

また、その経験に基づいた第3章の内容もずっこけた。東大で大学教育の改革にも取り組んできた先生が、ハーバードの体験をどう受け止め、日本の大学改革にどう応用するのかと期待したのだが、「(日米の)違いの根源は、教育を個々の教師の営為に委ねるか、エリート育成の総合的システムとして運営するかの違いにある」とし、シラバスの違い、TA(チーチングアシスタント)の重要性、学生による教師評価などが紹介されるのに止まっている。

正直、目が点になった。こんな話は20年前から、多くの(大学・役所・企業・私費の)留学経験者が語ったり、本に書いた内容だ。吉見先生のような日本の大学教育改革の現場にいる先生が、いまだこうした感覚、受けとめなのかと思うと、非常に残念。学者先生には、グローバルスタンダードで見て30年は遅れていると思われる日本の大学教育・組織の改革をするのは難しいのかなと思ってしまう。残念というよりは、正直、とってもショックだった。

とっても辛口な感想になってしまったが、私にとっては期待が大きい先生なので、是非、日本の文系学問の発展、日本の大学改革のために頑張ってほしいのである。

 

目次
はじめに トランプのアメリカに住む 2017‐18
第1章 ポスト真実の地政学―ロシア疑惑と虚構のメディア
第2章 星条旗とスポーツの間―NFL選手の抵抗
第3章 ハーバードで教える―東大が追いつけない理由
第4章 性と銃のトライアングル―ワインスタイン効果とは何か
第5章 反転したアメリカンドリーム―労働者階級文化のゆくえ
第6章 アメリカの鏡・北朝鮮―核とソフトパワー
終章 NAFTAのメキシコに住む―1993‐94
あとがき―キューバから眺める

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N響2月A定期/指揮:パーヴォ・ヤルヴィ/ブルックナー交響曲第7番 ほか

2020-02-18 07:30:00 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

Yahoo Japan社がコロナウイルス流行を踏まえ、100名以上の集まりにはプライベートも含めて参加を自粛せよというお達しを社員に出したというニュースを聞いて、行くべきかどうかを一瞬考えた(この指示そのものは素晴らしい危機管理施策だと思う)が、パーヴォさんの登壇でもあり迷わず渋谷へGoとなった。

前半は2019年に生まれたばかりの新曲のご披露。数十年前はもっとN響も初演曲をやっていたような朧げな記憶があるのだけど、最近は随分少なくなった印象。日本で初めて演奏される曲だと思うだけでワクワクする。
現代曲としては比較的聴きやすい音楽ではったものの、単純・明快というわけではない。なので、正直1回きりの視聴では私の理解の範疇を超えていた。それでも、この曲が献呈されたシュテファン・ドールさんの美しいホルンの音色に引き込まれた。是非、また聴いてみたい作品である。

後半はブルックナーの交響曲第7番。あまり聴いてないブルックナーの中では、7番は一番なじみがある曲だ。それでも実演に接したのは人生数度である(ただこれは自慢めいていて恐縮なのだが、最初のブル7体験が学生時代にアメリカで聴いたテンシュテット指揮のフィラデルフィア管弦楽団の演奏だったというのは、一生の宝物)。なので、イメージだけの話をしているのだが、今回のパーヴォさんの7番は、これまで持っていた岩のようにごつごつしたブルックナーの交響曲とは対極と言って良いような、透明感ある純粋に美しい音楽でびっくりだった。N響のアンサンブル力がフルに活かされ、かつ金管陣の音が私の3階席に向かってぐんぐん伸びてくるライナーのように飛び込んでくる。実に幸せな60分余りだった。

N響はこの曲を2月下旬からは始まるヨーロッパツアーでもご披露されるらしい。良い悪い抜きで音楽の精神性というよりも構造や機能性が浮き出た演奏だった気がしたのだが、欧州の聴衆にはどう聴こえるだろうか?彼らの反応も楽しみである。パーヴォさんのもとで、N響は決してそこいらの欧州オーケストラには負けない力をつけていると思う。是非、欧州ツアーを成功にさせてほしい。

第1935回 定期公演 Aプログラム
2020年2月16日(日)開場 2:00pm 開演 3:00pm
NHKホール

アブラハムセン/ホルン協奏曲(2019)[NHK交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、 NTR土曜マチネ、シアトル交響楽団、オークランド・フィルハーモニー管弦楽団共同委嘱/日本初演]
ブルックナー/交響曲 第7番 ホ長調

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
ホルン:シュテファン・ドール

No. 1935 Subscription (Program A)
Sunday, February 16, 2020 3:00p.m. (doors open at 2:00p.m.)
NHK Hall

Abrahamsen / Horn Concerto (2019) [NHK Symphony Orchestra, Berliner Philharmoniker, the Zaterdag Matinee, Seattle Symphony Orchestra and Auckland Philharmonia Orchestra cocommissioned/ Japan Première]
Bruckner / Symphony No. 7 E Major

Paavo Järvi, conductor
Stefan Dohr, horn

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劇団KEYBOARD「だめだこりゃの王国」 @下北沢 小劇場 楽園

2020-02-16 07:11:34 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

 数年前から私にとって2月は演劇月間である。演劇のメッカ下北沢で「下北沢演劇祭」なるものが毎年開催されており、そのいくつかに足を運ぶのが定例となっている。今年はまず手始めに、劇団KEYBOARDの「だめだこりゃの王国」という演劇を観に行った。劇団KEYBOARDなる劇団は初めて。

 どんな作品かは全くわからないのだが、タイトルに強烈に弾かれた。若い人には分からないだろうが、「だめだこりゃ」と言えばドリフ、ドリフと言えば大爆笑、なので思いっきり笑えそうという期待感たっぷりで小劇場楽園なるアングラ劇場に。

 そしたら全然違った。喜劇どころか、思いっきりシリアスである。確かにパーツパーツでちょっとした笑いはあるが、基本、最後の最後まで真面目、そして最後は悲劇ということで、期待を大いに「裏切られた」上演だった。(駆け出し演劇鑑賞入門者の私には未だ行く演目の選び方が分からない)

 ただ期待は裏切られたものの、それは私が勝手に描いた期待なので文句は言うまい。期待を差し置いて作品として見てみると、人の「幸せ」、人の行動の動機、(恋人だったり、家族だったりの)愛などについて考える機会を与えてくれた作品だった。ただ、私のような昭和残党には感情移入は難しいところはあるのも事実。世代によって受け止め方に差がでそうだ。

 役者さんたちはどなたも熱演。主演の冨士枝鈴花さんのがんばりがとりわけ印象的だった。

 それだけに、せめて結末はもう少しポジティブなメッセージで欲しかったかな。

2020年2月5日~16日

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オルダス・ハクスリー 著、大森望 訳『すばらしい新世界 新訳版』 (ハヤカワepi文庫、2017)

2020-02-13 07:30:00 | 

 お正月休みに読んだ『21 Lessons』の中で、著者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が「21世紀のもっとも予言的なSF書(the most prophetic science-fiction book of the twentieth century)」と紹介していた『すばらしい新世界』(原題"Brave New World")を読んでみた。恥ずかしながら私は存在すら知らなかったが、訳者も「オーウェル『1984年』と並ぶディストピアSFの歴史的名作としてつとに名高く」、「いやしくもSFファンなら基礎教養として読んでおかねばならない古典」(訳者あとがき)と紹介するほどの本である。

 読み始めてすぐ「これはおもろい」と引き込まれ、そのあとページをめくる手が止まらなかった。どきまきするストーリー展開、ブラックな諷刺、深い人間への考察、個人的な小説の好みを網羅してくれている。

 驚かせられるのは、本書が1932年に刊行されているということ。新訳のおかげもあるのかもしれないが、全く古さを感じさせない(唯一感じたのは、「睡眠学習」が一つの最先端の学びや条件付けの手法として使われていることぐらいか)。90年近く前のSF小説でありながら、このインターネット、AI、生命科学の時代にもそのまま当てはまる。

 イギリス的なブラックユーモア満載の物語の中に、人や世の「真理」が織り込められる。人間の感覚や認識は条件付け次第であること、幸せとは安定して、安全で、快適な状態にあること。笑いとばすにはあまりにも思い当たるところが多すぎる。ハラリ氏が本書を絶賛しているのも納得がいく。ハラリ氏の著作は、この物語を歴史的に理論化したものではないのかと思うぐらいだ。

 読めば誰でも感じるだろうが、本書の白眉は、16章、17章の世界統制官モンドと野人ジョンとの会話にある。人間にとっての幸福、文明、芸術、科学、宗教の意味合いが語られる。現代社会における自らの立ち位置を考えさせられる。

 ジョン:「僕は不幸になる権利を要求する」(p333)。考えさせられる一言である。

 興奮の物語だった。

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オペラ 〈セビリアの理髪師〉(指揮:アントネッロ・アッレマンディ)@新国立劇場オペラパレス

2020-02-10 07:30:00 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

昨年7月以来の新国立劇場でのオペラ観劇。10年近く観てない「セビリアの理髪師」でありワクワク感一杯で出かけたのだが、歌手・合唱・演奏・演出がしっかり噛み合った、期待を大いに上回る素晴らしい舞台だった。

とりわけ歌手陣が出色。主要男性役には4名の外国人歌手を揃えたが、さすが本場モンと思わせるに十分な歌唱と嵌った演技であった。フィガロ役のフローリアン・センペイは太くしっかりしたバリトンで、彼が1幕1場で「町のなんでも屋」を歌い始めると、劇場の雰囲気ががらっと変わって完全にセビリアの街になった。アルマヴィーヴァ伯爵のルネ・バルベラも柔らかく、綺麗で通るテノールでうっとり。海外陣は美声だけでなく、演技も板についた慣れたもので演劇としても十分に楽しめる。

さらに目を引いたのは、ヒロインロージナ役を演じた脇園さん。実力派男性陣に全く引けを取らず堂々と渡り当たっていて、個性でも全く引けをとっていない。溌溂とした演技、芯があって、美しいメゾのおかげで、舞台が生き生きと輝いて見えた。私自身はかなり釘つけだった。初めて拝見する方だったが、今後、要マークである。

指揮のアントネッロ・アッレマンディは以前フランクフルト歌劇場で「チェネレントラ」を振ったのを聴いている。ピットに入った東響との息もぴったりで、ロッシーニの軽快なオペラをそのままに、聴いていて楽しくなる音楽を引き出してくれた。

演出もいい。回転舞台を上手く使い、バルトロの邸宅内が内に外に見えるように、装置が配置され、観ていて面白い。色遣いの派手やかな舞台もこの物語にはマッチする。

イタリアオペラらしい、陽気で軽快な物語は、見ていて幸せになるし、やっぱりオペラって良いなあと思わせてくれた。

 

2020年2月8日(日)14:00

2019/2020シーズン
オペラ「セビリアの理髪師」/ジョアキーノ・ロッシーニ
Il Barbiere di Siviglia / Gioachino ROSSINI
全2幕〈イタリア語上演/日本語及び英語字幕付〉
オペラパレス
予定上演時間:約3時間10分(第Ⅰ幕100分 休憩30分 第Ⅱ幕60分)

スタッフ
指揮:アントネッロ・アッレマンディ
演出:ヨーゼフ・E.ケップリンガー
美術・衣裳:ハイドルン・シュメルツァー
照明:八木麻紀

キャスト
アルマヴィーヴァ伯爵:ルネ・バルベラ
ロジーナ:脇園 彩
バルトロ:パオロ・ボルドーニャ
フィガロ:フローリアン・センペイ
ドン・バジリオ:マルコ・スポッティ
ベルタ:加納悦子
フィオレッロ:吉川健一
隊長:木幡雅志
アンブロージオ:古川和彦

管弦楽:東京交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団

 

Gioachino Antonio ROSSINI
Opera in 2 Acts
Sung in Italian with English and Japanese surtitles
OPERA PALACE
6 Feb. - 16 Feb., 2020 ( 5 Performances )

CREATIVE TEAM
Conductor: Antonello ALLEMANDI
Production: Josef E. KÖPPLINGER
Set and Costume Design: Heidrun SCHMELZER
Lighting Design: YAGI Maki

CAST
Il Conte d’Almaviva: René BARBERA
Rosina: WAKIZONO Aya
Bartolo: Paolo BORDOGNA
Figaro: Florian SEMPEY
Don Basilio: Marco SPOTTI
Berta: KANOH Etsuko
Fiorello: YOSHIKAWA Kenichi

Orchestra: Tokyo Symphony Orchestra
Chorus: New National Theatre Tokyo Chorus

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映画: 「ラストレター」(岩井俊二 監督、2020)

2020-02-07 07:30:00 | 映画

昨年5月に偶然機内で視聴した、岩井俊二監督が中国で製作した「你好、之華」が、舞台を日本に置き換え、日本人キャストとで製作されたリメーク版が公開されたので、早速見に行った(原作の舞台は日本のようなので、リメークと言う言葉が適切かどうかは分からないが)(你好、之華の感想記事はこちら→

状況や役者が中国(人)から日本(人)に置き換わっているが、脚本は同じ(ほぼ?)である。岩井監督ならではの美しい映像、感情の機微の描写、心に染みる音楽、現実と非現実の境界線を綱渡りするストーリー展開は素晴らしく、心奪われた二時間だった。

同じ題材、物語なのでどうしても中国版との比較をしてしまうが、甲乙つけがたい。どちらが良い、悪いとは無関係に、舞台が中国から日本に移ったためか、前作では映像が乾いた大陸的な匂いを発していたのに対して、日本版の映像には瑞々しさを感じたのが印象的。

俳優陣は軸となる主演男優・女優を福山雅治、松たか子が演じ、自然で安定した演技に好感持てた。福山が良い味を出していて、中国版よりもしっくりきた。また、大人の二人以上に、高校生を演じる男女三名が大切な作品だが、広瀬すず、森七菜神木隆之介ともに思春期の少女・少年を好演。終盤の福山との会話や福山を見送るシーンは、涙がこぼれる。

チャットなどで非対面の対人コミュニケーションが同期性をもつこの現代で、手紙と言う非同期的なオールドメディアを道具立てにして物語を展開させる手腕は全くお見事としか言いようがない。我々が、便利さ・効率性と引き換えに失ってしまったものに気づかされる。

中国版も今年後半に日本で公開されるとのこと。未見の人は是非、見て欲しい。個人的には(他に似た事例があるのかどうかは知らないが)、同じ題材を中国と日本でそれぞれ2本撮影し、それを相互に公開する(日本版が中国で公開されるのかどうかは知らないが、きっとされるだろう)というビジネス戦略も非常に興味深い。

キャスト

松たか子:岸辺野裕里

広瀬すず:遠野鮎美/遠野未咲(回想)

庵野秀明:岸辺野宗二郎

森七菜:岸辺野颯香/遠野裕里(回想)

小室等:波戸場正三

水越けいこ:岸辺野昭子

木内みどり:遠野純子

鈴木慶一:遠野幸吉

豊川悦司:阿藤陽市

中山美穂:サカエ

神木隆之介:乙坂鏡史郎(回想)

福山雅治:乙坂鏡史郎

 

スタッフ

岩井俊二:監督・原作・脚本

小林武史:音楽

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木内登英『決定版 銀行デジタル革命 現金消滅で金融はどう変わるか』東洋経済新報社、2018

2020-02-05 07:30:30 | 

Fintechや仮想通貨が銀行界にどのような影響を与えるか、その行方について解説・考察した一冊。著者はシンクタンクのアナリストの経歴を歩んできた方。日銀の政策委員会の審議委員の経験もある。

図やグラフが数えるほどしかない編集で一見読みにくそうだが、叙述は平易で分かりやすい。テクノロジーよりも業界・ビジネス論中心なので、技術論にかたよりがたちなこの分野の書籍としては珍しいかもしれない。フィンテックについては様々なメディアで取り上げられていて、私自身、ごちゃまぜの情報過多になっていたが、本書を読んで一定の頭の整理ができた。

筆者は日本におけるデジタル通貨が、一般私企業由来のもの、民間金融機関発行のもの、中央銀行発行のものの3種類に分類し、前者の2つは信用通貨としての大きなコストを考えると主流になるのは難しいと考え、中央銀行デジタル通貨が、(総監視社会につながる可能性もあるものの、)主たるシナリオと考える。ただ、最終章で「(近未来の覇権争いの)勝者が現金であることはあきらかです。日本人の現金思考がそうやすやすと覆ることは無いでしょう」(p236)と言っているのは結構ずっこけた。全般的に、良く言えば議論が地に足がついているし、悪く言うと保守的に読めるところがある。

昨今の日本国内のキャッシュレスの動きを見ると、私は意外に早く現金消滅時代が到来するのではないかと思う。消滅は大げさにしても、キャッシュレスが主たる取引手段になる時代がそう遠くない未来に来ると思う。2018年の発刊から、世の中は既に大きく変わっているということなのだろう。

 

目次

序章 動き出したメガバンク
1章 悩める巨人――挑戦がもたらす矛盾
1 競争促進へと転換した法整備
2 銀行のフィンテック対応
3 揺れるメガバンク――やりたくないけどやらざるを得ない 

2章 仮想通貨は決済手段となれるか
1 日本は取引シェア世界トップに
2 仮想通貨決済は普及しない 

3章 スマートフォン決済は日本で広まるか?
1 銀行デジタル通貨が直面する三つの壁
2 中国で急成長するスマートフォン決済
Column1 小売業がキャッシュレス化を加速
3 日本では広がらない?
Column2 日本にも迫るアマゾン・エフェクト 

4章 現金の異様な存在感
1 日本人のお金の支払い方――根強い現金志向の謎を解く
2 現金流通のコスト 

5章 大リストラ時代を迎えた銀行
1 「銀行は特別」という思い込み
2 構造改革を迫られる銀行
Column3 キャッシュレス化を睨みATMを共通化 

6章 仮想通貨投資の行方
1 投資ブームの功罪
2 投資対象としての仮想通貨
3 仮想通貨の価値
4 ICOの行方 

7章 世界の中央銀行のフィンテック対応
1 最大の関心事はDLT
2 中央銀行のAI活用 

8章 中央銀行デジタル通貨の可能性
1 動き出す中央銀行デジタル通貨構想
2 スウェーデンにみる近未来通貨
3 中央銀行デジタル通貨は金融をどう変えるか
4 変容する金融政策 

終章 日本の金融にデジタル革命は起こるのか 

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N響2月C定期 パヤーレ指揮/N響/ショスタコーヴィチ・プログラム

2020-02-03 07:30:00 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

 ベネズエラの音楽教育システム「エル・システマ」出身、1980年生まれの若手指揮者ラファエル・パヤーレによるショスタコーヴィチ・プログラム。ベテラン指揮者の機会が多いN響定期演奏会の中で貴重な機会。

 舞台に登場したパヤーレさんはやっぱり若手ならではの勢いを感じる。最初のバレエ組曲 第1番は心地よい音楽であっという間にあっちの世界へ。ごめんなさい。

 チェロ協奏曲 第2番は、全くの初めての私にはちょっと難しかった。それでも、アリサ・ワイラースタインさんは以前のN響定演時のエルガーのチェロ協奏曲が印象的だったし、今回も繊細かつ深みのある音色にとっても引きつけられた。

 後半の交響曲第5番は久しぶりに聴いたが、熱量高く引き締まった演奏だった。パヤーレは若さを感じさせず、ぐいぐいN響をひっぱる。N響もしっかりと応えていたのが印象的。コンマスのキュヒルさんに加え、管楽器陣のソロもお見事。

 終演後は、満員とまでは行かないまでもかなり入りの良かった聴衆から熱烈な歓声と拍手が送られた。私個人としてもパヤーレが放つ独特のオーラ(決して・ドゥダメルのようなカリスマチックなものではなく、淡々としているが確信に満ちた雰囲気が漂っている)にはとっても魅かれた。是非、今後も定期的な登場を期待したい。

第1933回 定期公演 Cプログラム
2020年2月1日(土)開場 2:00pm 開演 3:00pm
NHKホール 

指揮:ラファエル・パヤーレ
チェロ:アリサ・ワイラースタイン

ショスタコーヴィチ/バレエ組曲 第1番
ショスタコーヴィチ/チェロ協奏曲 第2番 ト長調 作品126
ショスタコーヴィチ/交響曲 第5番 ニ短調 作品47

No. 1933 Subscription (Program C)
Saturday, February 1, 2020 3:00p.m. (doors open at 2:00p.m.)
NHK Hall 

Shostakovich / Ballet Suite No. 1
Shostakovich / Cello Concerto No. 2 G Major Op. 126
Shostakovich / Symphony No. 5 D Minor Op. 47

Rafael Payare, conductor
Alisa Weilerstein, cello

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那珂湊・大洗 ひとり半日観光 (2/2)

2020-02-01 07:30:00 | 旅行 日本

 続いて海岸へ出た。大洗海岸には幼いころ、夏休みの家族旅行で海水浴に来たことがあったはずだが、その時以来である。当時の記憶は殆ど無くなっていたが、海岸に出て岩にぶつかる波や波しぶきを見ていると、昔の思い出が少しずつ蘇ってきた。幼き頃の家族、亡き父を回想し、しばしセンチな気分に浸る。


〈この小さな灯台は記憶にあった>


〈もっと波しぶき豪快だったのだが、上手く撮れず〉

海岸沿いにそびえる様に立つ大洗磯前神社へ行く。階段を上ると分かるが、神社は鹿島灘の自然と一体である。「斉衡3年(856)12月29日に常陸国鹿島郡大洗磯前に御祭神大己貴命・少彦名命が御降臨」なさったのが由来と言うが、その通りに違いないと思わせる空気が境内に漂っている。その中で、ちょっとずっこけたのは、大洗町が舞台になっているアニメ「ガールズ&パンツァー」の大きな絵馬が堂々と拝殿前に配置してあったこと。これ、この神社のこの厳粛なる雰囲気を思いっきり崩してないかい?


〈大鳥居〉


〈神社境内から鹿島灘を見下ろす>


<結構、混んでます>、


〈ガルパン絵馬〉

ただ、本当に全くの偶然なのだが、その夜に「アド街」が「冬の大洗」特集をやっていて、それをホテルで見て合点がいった。大洗町は「ガールズ&パンツァー」とのコラボで町おこしをやっている。私は、漫画もアニメも知らないのでちんぷんかんぷんだったのだが、大洗町民と「ガル・パン」オタクの良き関係が紹介されていて、とっても微笑ましかった。そういうことだったのかと納得がいった。

観光で疲れてしまってはもともこもないので、海岸沿いの道を通って再び那珂湊エリアに戻る。エリアの見どころを廻りつつ、駅に向った。江戸時代以前の製作の梵鐘(県指定重要文化財)がある華蔵院、明治時代創業の和菓子屋さん(草餅を頂いた)、幕末時にあった反射炉跡(現在のものは復元)などに立ち寄って、駅に戻ってきた。


華蔵院。立派な門構えと本堂である〉


〈県指定重要文化財の梵鐘>


〈お菓子屋さん〉


<反射炉(復元)。大砲を製作していたとのこと>

 4時間ほどのぶらサイクルだったが、オフシーズンならではの、落ち着いて素朴な街の良さを感じることができて、とっても満足度の高い充実した時間となった。観光パンフやチラシを見ると、行ってみたいところがまだまだ残っている。機会を見つけてまた訪ねたい。


〈反射炉のある高台から少し見下ろす町並み>

2020年1月25日

コメント
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