その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

池上彰 『学び続ける力』 (講談社現代新書)

2013-07-28 07:19:53 | 


 昔のNHKのテレビ番組「週刊こどもニュース」のお父さん、池上彰さんによる新書。図書館の新刊コーナーに置いてあったので、手に取ってみました。

 本書は、学ぶことの楽しさや大切さを説くのに加えて、筆者なりの「一般教養」のすすめでもあります。正直、内容には目新しいものはなく、誰かがどこかで語ったことの焼き直しのような既読感がありましたが、池上さんが書くと、同じことが書いてあっても説得力が増すような気がします。いつもながら筆者の誠実な人柄を感じる文章です。私のようなオジサンよりも、大学生とか若い読者には良いと思います。筆者が東工大で一般教養の講座を持っているため、そこでの経験、工夫、感想なども書いてあります。

 これからの「教養」にはただ知っているだけでなく、行動へのコミットメントが求められるという主張はその通りだと思いました。先の読めない社会だからこそ、既存の枠組みから自由になる「教養」の重要性がますます高まっていうのも、首肯できます。

 この本に触発されて、何か新たな行動を起こそうとするインパクトまではありませんでしたが、気軽に読め、日々の自分の生活を「教養」という観点で顧みるきっかけになりました。
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没後80年 宮沢賢治・詩と絵の宇宙―雨ニモマケズの心 @世田谷文学館

2013-07-25 06:30:45 | 美術展(2012.8~)


 暑さを凌いでどこか良いところは無いかしら?と探して見つけたこの展覧会。始まったばかりの上野の東京都立美術館のルーヴル美術館展は人だらけだろうし、駅まで歩いて電車に乗るのも億劫。そんな人嫌いかつものぐさな私にドンピシャ企画でした。車で国道20号線から入って直ぐ、電車なら京王線芦花公園駅から歩いて5分ぐらいの落ち着いていて、閑静で、いかにも世田谷という感じのするところに世田谷文学館はあります。

 最近でこそご無沙汰ですが、宮沢賢治は子供のころから色んなところで触れているし、とても好きな作家でした。本展覧会は、賢治の直筆の手帳や絵を始め、童話の原画や挿絵が展示してあります。

 都心の企画展と比較すると規模は小さいですが、中身はとっても充実しています。黒い手帳に直筆で「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・・」と書かれた筆跡は、詩人の強い思い、決意が感じられるもので、グーッと引きつけられます。また、数々の童話の挿絵は、同じ作品を複数の童話画家が描えいたものもあり、画家の筆を通して多角的に宮沢賢治の世界を味わえます。ただ、どの挿絵も、賢治の自然に対する畏敬や愛情がしみじみと伝わってくるもので、それが数百点も並んでいる文学館の空間そのものが、賢治の世界を醸し出していました。

 館内は日曜日でありましたが、開幕間もないためか人もさほどは多くなく、ゆっくりと自分のペースで見て回ることができます。都心の美術館、博物館には無い、アットホームな落ち着いた雰囲気で、贅沢な気分を味わえました。

 あと、もう一つお勧めがあります。宮沢賢治展の展示室は2階ですが、1階の展示室に別企画でコレクション展「文学に描かれた世田谷―成城・多摩川界隈」というのをやっています。そこの入り口に「ムットーニのからくり劇場」というのがあったのですがこれが面白いです。文学作品の一場面を、「からくり」という小さな舞台と人形、音と光で表現するというものですが、小さいながら、からくりを前に文学作品の朗読を聞くと、その自分の想像力がグーっと大きくなり、作品の世界が広がっていくのです。宮沢賢治展のチケットで入室できますので、訪れた方は是非1階もお忘れなく。

宮沢賢治展の公式HPはこちら→
からくり人形のページはこちら→


《文学館入り口》


 2013年7月21日訪問
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エルンスト ヴァイス (著), 瀬野 文教 (翻訳) 『目撃者』 (草思社)

2013-07-21 07:29:00 | 


 数週間前に新聞の書評で紹介されていた小説ですが、非常に興味深い読み物でした。

 作者エルンスト・ヴァイスは第2次世界大戦中にドイツからフランスへ亡命したユダヤ人作家です。その作家が、若き日のヒトラーの精神医療を行った精神科医の話・記録をベースにして1938年に書いたのが本書。ヴァイスはヒトラーがパリに入場した1940年にパリで自殺し、この物語も長く埋もれていたのですが、1960年代にドイツで再評価され、今回、初めての日本語訳が発刊されたという経緯をたどっています。

 物語はあるドイツ人医師の少年から中年に至るまでの家族の盛衰、精神の彷徨、生き方を描いたものです。主人公は、第1次大戦中に失明した若きヒトラーと出会い、彼を治療した上に、睡眠療法で救世主思想を植え付けて社会復帰を手伝います。そして、以降は、台頭していくヒトラーとドイツ社会が変容、そして主人公の抵抗が描かれます。

 ヒトラーとの出会いと治療の場面は、実記録を基に描かれていると思われるだけに、迫力があります。また何よりも、ヒトラーが権力を握っていくとともに、ドイツ人やドイツ社会が先鋭的にファシズム化していく様は、当時の社会を肌感覚として追体験できるという点で、非常に興味深いものです。ヒトラー出現前からも存在した、普通の人たちが持つユダヤ人に対する偏見や憎悪の感情も、自然に描かれていて、当時の空気に触れることができます。歴史書で得た知識に肉がつくような感覚です。

 訳者あとがきに書いてあったのですが、本作品は米国の団体の懸賞論文に応募するために5週間ほどで書かれたということで、小説としては「話の筋にむらがあり、表現にも緻密さを欠いてしまっている」点はその通りで、私も読んでいて、こなれてないところがあるなあと思うところがありました。ただ、本作品には、そうした洗練さとは別次元での、作者の強い気持ちや当時の息詰まった空気が持つ迫力があります。テーマは人により好き嫌いが分かれるとは思いますが、テーマとして興味のある方には是非、一読を勧めます。

※ Ernst Weiss "Der Augenzeuqe"



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谷本真由美 『キャリアポルノは人生の無駄だ』 (朝日新書)

2013-07-18 23:47:37 | 


 タイトルが面白いので図書館で借りてみました。キャリアポルノとは、筆者の造語ですが、いわゆる「自己啓発本」です。本書は、日本で自己啓発本がもてはやされる背景、その問題点、そして自己啓発本依存症を脱し、人生を楽しむための方法論が書いてあります。

 前半に「本屋さんで自己啓発本の比率が高いのはアメリカと日本ぐらい」と、書いてありましたが、その観察は私も同感です。私が以前住んだアメリカ中西部の田舎町の本屋には、Self Developmentのコーナーには沢山の自己啓発本が積んでありましたし、日本の本屋さんでの自己啓発本の人気は言うまでもありません。ロンドンの本屋(以前の記事「ロンドン郊外の本屋」はこちら→)では、確かに置いてあってもアメリカや日本に比べると驚くほど少なかったですし、逆に日本の本屋には考えられないぐらいの歴史書や軍事もの、伝記本が多かったです。

 また、筆者が、日本に自己啓発本が多い理由を、日本人の競争的な労働観に求めているのも、まあそんなところだろうなという気がします。

 ただ、ブログ記事から書き上げた本の限界か、本書は全体的に定性的で散発的なコメントの文章が並ぶだけで、熟考した上での論理的に考察された本とは言えません。筆者がロンドン在住のためか、「欧州ではこう、それに較べて日本は・・・」的な指摘が多いです。ましてや、イギリスで頻繁するストライキでさえ、労働の対価として当然の権利と言っているようなところは、イギリスの地下鉄、飛行機、医者など様々なストに被害を被った私としては、全く賛同できません。イギリスのストは極めて政治闘争的な色彩も強く、殆どのストライキがイギリス国民からも総スカンを食らっていることは筆者も当然知っているはずです。また、第5章(人生を楽しむための具体的な方法)では、それまで散々自己啓発書を批判しているにもかかわらず、主張こそ正反対ですが、本書も自己啓発書的(「自分を受け入れる」など)なアドバイスが書かれているのは、殆どパロディです。

 自己啓発本の真贋の見極め方とかを、具体的な実例を数冊取り上げて、比較考量した方が、本書のようなうっぷん晴らしの表層的な批判よりも、よっぽど地に足が着いていると思います。正直、私にとっては本書を読んだことが人生の無駄であり、残念な本に直行分類される本となりました。

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大鹿 靖明 『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』 (講談社文庫)

2013-07-13 22:12:42 | 


 船橋洋一氏の『カウントダウン メルトダウン』が衝撃的だったので、もう少し、福島原発事故を扱った本を読んでみようと思い、手に取りました。

 原発事故の際の官邸、役所、東電の様子を詳しく描くところは、船橋氏の本と同様ですが、原発の再稼働に向けた官庁の動きやを詳しくレポートしているところなどは、船橋氏の著作ではカバーされていないところであり、興味深く読めました。

 前書きで、「メルトダウンしていたのは、原発の炉心だけではないのだ。原因企業である東電の経営者たち。責任官庁である経産省の官僚たち。原子力安全委員会や保安院の原発専門家たち。原発爆発企業の東電に自己責任で2兆円も貸しながら、東電の経営が危うくなると自分たちの債権保全にだけは必死な愚かな銀行家たち。未曾有の国難にもかかわらず、正気の沙汰とは思えない政争に明け暮れた政治家たち。いずれもメルトダウンしていた。エリートやエグゼクティブや選良と呼ばれる人たちの、能力の欠落と保身、責任転嫁、そして精神の荒廃を、可能な限り記録しよう。それが私の出発点だった」と筆者が書いてある通り、原発事故への関係者の対応に対する批判、糾弾が筆者の動機なので、淡々と事実の再生を中心を置いた船橋氏のレポートに比べると、やや思いが強く走り過ぎているところは感じます。

 ただ、それを差し引いても、戦後最大の日本の危機状況の中で日本を背負っていた多くの人々の行動には甚だ失望します。彼らの言い分も聞いてみないと、公平な判断はしにくいですが、多くのこうした人々は公の場でインタラクティブな形では話そうとしないのは残念です。

 最後になりましたが、7月9日にお亡くなりになった吉田昌郎・元東電原発所長のご冥福を心よりお祈りいたします。本書を読んでも、氏があの時の所長であったことは、本当に日本の奇跡の一つだったと思います。何か手記のようなものは残されなかったのでしょうか。事故の教訓を日本の財産として引き継ぐためにも、何か残しておいてくれれば良いのですが・・・。安らかにお眠りください。

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「貴婦人と一角獣」展 @国立新美術館

2013-07-06 08:06:08 | 美術展(2012.8~)


 昨年ロンドンから帰国した際、「行きたいとこリスト」に載せていたけども実現できなかったことがいくかあったのですが、パリの中世美術館への訪問もその一つでした。パリはユーロスターでロンドンから2時間半。東京から大阪に行くような感覚ですし、仕事でもプライベートでも何度か訪れたのですが、「行こう、行こう」と思っている間に、帰国となってしまい、心残りの一つでした。ですので、今回、その中世美術館から目玉展示作品である「貴婦人と一角獣」が来ると聞いた際は、「ホント!?」という驚きと喜びで、小躍りするほどでした。

 今回の国立新美術館での展示は分かり易く、入場すると最初に「貴婦人と一角獣」の六連作が一堂に展示された大部屋に入ります。照明を落とした大部屋に、畳4畳分ぐらいは優にあると思われる大きな6枚のタペストリーが掛る様は圧巻です(中世美術館では、一枚一枚を半円形に並べて展示してあるようなのですが、今回の展示は一枚一枚に空間を空けた半円にしてある分、展示スペースを大きくとって、多数の人が鑑賞できるようになっていました)。

 えんじ色を基調にした花柄文様に、中央に貴婦人とライオン、一角獣が浮かび上がるように配置されたデザインは安定感がありますし、周辺に描かれた木々や猿、猫、兎、鳥たちの様子は、現実離れした世界を感じさせます。同時に、貴婦人や召使の表情、仕草で、一枚一枚のタペストリーから高貴で格調高い雰囲気が伝わってきます。それぞれは、人間の五感(蝕覚、視覚、味覚、聴覚、嗅覚)と第六感を表しているそうですが、そうした含意にはこだわらず、ボーっと、ぼんやりと眺めているだけですが、贅沢な時間を味わえます。近くで見ると、これが織物というのが信じられないくらい、繊細で表現力豊かなイメージです。どうやって、こんな織物を織ったのか?16世紀の職人さんの姿を想像されます。

 展示は、この6枚のタペストリー以外にも、描かれた花や動物をパネルで比較展示するコーナーや、絵にも描かれたような、装身具や宝石類の展示、また当時のステンドガラス、他のタペストリーなども展示してあります。「貴婦人と一角獣」がいろんな側面で楽しめるように工夫が凝らされていて、楽しめます。

 過去にはNYにしか引越し展示されたことがないという本作品。中世美術というのは人によって好き・嫌いが分かれるかもしれませんが、お奨めいたします。 東京では7月15日までです。

 ※展覧会のHPはこちら→
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村上春樹 『色彩を持たない 多崎つくると、 彼の巡礼の年』

2013-07-04 06:43:05 | 


 久しぶりに村上作品を読みました。4月に販売されると同時に図書館に予約登録をしたところ結構早く廻ってきました。

 物語については、ネタばれになるので紹介しませんが、いつもながらの村上ワールドで読み始めたら止まりません。このストーリー作りの巧みさはさすがです。

 学生時代に読んだ鼠3部作に始まり、村上さんの物語とのおつきあいもかれこれ数十年になります。この作品は、自分としては苦手な『ノルウエイの森』と似通った雰囲気があり、個人的には共感できるところは多くはありません。でも、彼の新作が常に色あせず、広く読者を獲得するのは本当に感嘆します。

 村上さんの作品の何がそれほど読者を惹きつけるのか?数多く論じられている村上作品の評論で、きっと語り尽くされてはいると思うのですが、私なりに考えると3つほど思い当たります。

 一つは、軽重は人により違いこそあれ、誰もが持っている、若い時には純粋な、そして年を重ねてもそれなりの「自分探し」を追体験できる。どんなに主人公が自分とはかけ離れた性格、個性の人物であったとしても、彼の「自分探し」の思いには、どこかに共感できるところが一つはあるのが村上作品の特徴だと思います。二つは、これは男性に限ったことかもしれませんが、男の子なら一度はやってみたい、やってみたかった「冒険」がある。私にはいつも村上さんの物語は一つのロードムービーに見えます。そして、三つ目は、いつもの当たり前の日常風景が、少し違って見えてくる、不思議な読後感。もちろん、それは錯覚に過ぎないのですが、作品を読むだけで、いつもの世界が違って見えるなんて何と不思議な体験をもたらしてくれるのでしょう。

 本書もいろんな隠喩、記号が隠されており、一回ストーリーを追っただけでは読み取れていないところが沢山あると思っています。本書の好き嫌いはともかく、これだけの読み易い文章で、人、人生、社会について考えを巡らせてくれる物語を紡いでくれる村上さんは、やはり当世随一の物語作家に相応しいと納得します。

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