その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

ノットによる素晴らしい1年の結び(ノット?):ジョナサン・ノット/東響/ベートーヴェン交響曲第9番 @サントリーホール

2019-12-30 07:30:00 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

昨年、ここ数年続けてきた「ぼったくり年末第九ボイコット運動」に挫折したばかりだが、今年もノット、東響の第九という誘惑に抗しきれず、ボイコット運動は休止を続けることとなった。ノット・東響のコンビは今年も日本のクラシック界を大いに盛り上げてくれたようだが、残念ながら私は日程が合わず、一度も足を運ぶことが出来なかったので、今回の第九が今年最初で最後のノット・東響となる。どんな第九を聴かせてくれるのか、期待感一杯で席に着いた。

第一楽章の冒頭からエンジン全開の演奏に驚かされる。準備運動無しでいきなり100m走を全速力で走りぬくような強い推進力を感じる演奏だ。第二楽章に進んでもスタイルは変わらず、12型のこじんまりとした編成だが、そこから紡がれる音は太く、厚い。7人制ラグビーのチームが、15人制ラグビーのような試合を展開している、そんな演奏なのだが、楽団員たちの方が1.5人分ぐらい力を出しているのだろう。「う~ん、こんな第九演奏は初めてだなあ」と唸りながら聴き続けた。私が大好きな第三楽章は、第一楽章、第二楽章から一転して、ペースは緩み、天上から舞い降りたてきたような美しい調べだった。

正直、前半「?」と思うようなところはあったし、アンサンブルの美しさは聴き慣れているN響の方が優れているかなと思うところもあるのだが、そんことは些細なことで、指揮者・楽団員が一団となって音楽を創造していく「気」に押される。西田氏のプログラムノートにある、当時のベートーヴェンの社会状況への「憤り」、「愛国的感情」がスピード感一杯に展開される。

第四楽章は東響コーラスの美しいハーモニーに心奪われた。好きなサイモン・オニールを始め独唱陣は外国勢で固めたが、私の席(2階席右側)のせいだろうが、正直、いかにも外国勢というような目立ち方はなく、コーラスと溶け合い、むしろコーラスの美しさの方を際立たせているように聞こえた。これまでも十分すぎるほど全力投球を続けてきたオケは、フィナーレが近づくにしたがって、さらにパワーアップしてドライブがかかる。オケ、合唱、独奏が一体となってベートーヴェンの「自由を勝ち取る意思表示」(プログラムノートより)が堂々と提示される。聴き手もどんどん前のめりになる。曲が終わった時には、拍手とともに、すーっと脱力していく自分がいた。

東響では恒例のようだが、そうとは知らなかった私はアンコールで「蛍の光」が始まり驚いた。演出が一瞬、紅白歌合戦のフィナーレと被ったが、私自身この1年、お世話になった人との別れ、家族メンバーの新しい門出など、本当にいろんなことがあったので、それらが自然に思い起こされ、自分なりの一つの締めとなった。ノットによる素晴らしい結び(Knot)に感謝一杯でホールを出た。


2019年12月28日(土)18:30
サントリーホール

出演
指揮:ジョナサン・ノット

ソプラノ:ルイーズ・オルダー
メゾソプラノ:ステファニー・イラーニ
テノール:サイモン・オニール
バスバリトン:シェンヤン
合唱:東響コーラス

曲目
ベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125 「合唱付」

Title
Tokyo Symphony Special Concert

Date
Sat. 28th December 2019, 18:30p.m.

Hall
Suntory Hall

Artist
Conductor = Jonathan Nott
Soprano = Louise Alder
Mezzo-soprano = Stefanie Irányi
Tenor = Simon O'Neill
Bass-baritone = Shenyang
Chorus = Tokyo Symphony Chorus

Program
L.v.Beethoven : Symphony No.9 in D minor, op.125 "Choral"


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とある出張の風景 @息をのむ朝 コロラド州デンバー(2)

2019-12-26 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

 仕事の方は、クリスマス前にもかかわらずデンバー、ベイエリア、NY、テキサスと全米から集まったメンバーと2日間缶詰になって、来年度の事業戦略、ビジネスプランについて、喧々諤々の議論が展開された。夜のビジネスディナーでは皆々の出身地を紹介する時間があったが、生粋の中西部出身の米国人もいれば、アメリカ人と言っても出身はインド、ポーランド、モロッコ、オーストラリア、中国、日本と実に多様だ。自国中心主義に傾斜するアメリカだが、アメリカってこういう多様性こそが活力のはずなのに・・・。

 海外出張の一番の鬼門は時差と運動不足である。通勤が無くスマフォ歩数計は1000歩未満、日中は会議室で座り切り、食事は朝のバイキングで食べすぎというパターンが多いので、夜中や朝の隙間時間を見つけては、必ずジムのトレッドミルかホテル周辺のジョギングで少しでも体を動かすようにしている。

 そんな中で、夜明け前の風景は仕事のストレスや疲れを吹き飛ばす素晴らしい体験だった。初日の夜は0時前にベッドに入ったが、4時ごろに不意に目が覚め、寝れなくなったまま朝を迎えた(典型的時差ボケパターン)。7時15分の日の出が近づき、「そろそろ外を走れる明るさになったかな」と思ってホテルの外に出たら、日が昇る方向が、夜の名残の藍色と焼けたような濃い紅色が混ぜ合わさった色に染まっていた。ホテルがやや土地の低いところに位置したので、見上げるような形で一部しか見えないのだが、それだけも自然が織りなす色の美しさに立ちすくんだ。


(もっと覆いかぶさるって来るような感じで、色合いもちょっと肉眼とは違うんですが・・・)


(あっという間に色は変わっていきます)

 ホテルの周りをジョギングする。すると、かなた北のワイオミング州の方向に見えるロッキー山脈の頂きが朝日に照らしだされ始め、神秘的な輝きを放っていた。都心から関東山地を見るより遠い距離感だったので100kぐらい離れているのだろうか。遠景ながらも、少しずつ上の方から明るさが下りてくる山々の美しさは、ジョギングの足を全く止め、寒い空気の中、見とれてしまう。20分もいると周囲がすっかり明るくなり、本格的に一日が始まる。心身清まる20分弱のコロラドの朝だった。

余りにも美しかったので、翌朝も0度以下の気温の中、ジョギング兼ねて外に出る。写真でみればきっと同じようなのだろうけど、見る者にとっては時々刻々と変わっていく山の色合いに見惚れるばかりだ。


(時間帯は前日と殆ど同じなのですが、雲とかの出具合で色合いが全然違います)

 帰国日は、クリスマス直前の土曜日と言うこともあり、往路の二の舞は踏むまいと出航時刻2時間以上前の朝5:30に空港に着いた(ここでもウーバーはお迎えの時間を指定できるので、本当に便利である)。この時間でもうセキュリティ・ポイントは人で一杯だったが、スムーズに通過し、サンフランシスコで乗り換え、帰国した。


(朝6:50のデンバー国際空港)

 今年がこんな展開になるとは昨年の今頃は全く想像もつかなかったが、今年は私としては海外出張の当たり年だった。さて、来年はどんな年になるのだろうか。このIT業界、ホントに1年先は闇である。


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とある出張の風景 @クリスマス時期のコロラド州デンバー(その1)

2019-12-24 07:30:00 | 日記 (2012.8~)

 今年最後の海外出張で米国コロラド州デンバーを訪れた。学生時代(うん十年前)にグレイハウンドバスのアメリパス(今もあるのかしら?)でのバックパック・アメリカ横断旅行で立ち寄って以来である。

 丁度クリスマスの前週に当ったため、空港は休暇で故郷に帰る学生や、旅行に出かけるアメリカ人家族らでごった返しで、まさに年末帰省ラッシュの東京駅のようであった。往路のサンフランシスコ国際空港での乗り継ぎでは、セキュリティポイントの通過に30分近くを要し、コンコースを猛ダッシュ。乗継便ゲートに到着したのは、ゲートが閉まる直前、危うく乗り遅れるところだった。(この時期の欧米への出張・旅行の計画は気を付けないといけない)

 久しぶりの米国の国内線の機内は国際線と雰囲気が全く違ってアメリカそのものだ。満員の機内はクリスマス帰省途中の人々の高揚した雰囲気にあふれていた。加えて、離陸前の通常1分程度で終わる機長からのフライト概要紹介は、このフライトが転職したユナイテッド航空での初フライトという饒舌な機長のワンマントークショーで、自らのパイロット歴、家族紹介(「家族はかみさんと4人の子供の6名家族だ。俺はHorrible Fatherだが、子供たちはもっとHorribleだ。この間はこんなことがあった。・・・」てな感じで笑いも取ってた)などを含め優に5分は要し、終わった後は機内乗客から大きな拍手。日本じゃあり得ないし、なんか陽気で自己主張の強いアメリカらしいなあと苦笑い。でも、この機長の漫談のような自己紹介・フライト案内を聞いて、この人が自分たちを運んでくれるんだなあと、単なる移動が、人が織りなすドラマのようなに色どりを持った気になったのも本当だった。

 デンバー国際空港に着くと早速Uberを呼ぶ。驚いたのは空港の到着ロビーの案内表示には、「App Rideこちら」とはあるが、タクシーの案内板は無かった(Public Transportationで一括されている可能性はあり)。ウーバーやLyfyなどの待機用に完全に空港の車線(Lane)が一つ割り当てられている。

 仕事はダウンタウンから20キロほど離れたテクノロジー企業が集まるエリアなので、車はダウンタウンは通らず郊外の高速を走る。車内から見える荒野や遠くのロッキー山脈に「オー、生アメリカ!」と呟く。昔の貧乏旅行のバスから見た車窓を思い出す。


(Uberの車窓から見るコロラドの荒野。遠くにロッキー山脈(?)が。)


(夕陽が地平線に沈んでいく)

 デンバーは流石に空気が冷たい。乾いているので、気持ちが良い。想像ほど寒くはなかったが、所々に雪の残りが見えるし、歩道は所々氷結しているので、滑らないように注意が必要だ。

 宿泊ホテルは、そのTechエリアにある中級ビジネスホテル。ここもクリスマスモード満載で、ロビーもツリー、靴下、オーナメントなどが綺麗に飾ってある。またクリスマスのためか、大きな吹き抜けのあるホテル内部には殆ど宿泊客は見えなかった。朝食を取ったホテル内のレストランも、8:00前の混みあう時間帯でさえ、私を入れても数名しか見当たらない。BGMにはクリスマスソングが流れ、ホテルの従業員も気持ちは休暇に入っている感じ。客が少ないこともあって、リラックスした雰囲気で、私にもやたら愛想よく「日本から来たの?クリスマスなのに仕事で出張なんて大変ね」などと話しかけてくれる。(つづく)


(ホテルロビーの暖炉と脇侍のくるみ割り人形)


(暖炉脇にある飾り)

(なかなか可愛い)


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「ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」 @国立西洋美術館

2019-12-18 07:30:00 | 美術展(2012.8~)

国立西洋美術館で開催中のハプスブルグ展に足を運んだ。日本・オーストリア友好150周年記念に相応しい充実の企画展であった。15世紀から19世紀に渡るハプスブルグ帝国の王家所蔵の絵画、武具、工芸品などのコレクションが惜しみなく展示されている。展示品の多くはウィーン美術史美術館からのもの。

 絵画で目立つのは王族たちの肖像画。壮麗な王家の肖像画の数々は眩いばかり。本展の目玉とも言えるのが、ポスターにもなっているベラスケスのマルガリータ・テレサの肖像画。青と緑のドレスでそれぞれ1枚ずつ計2枚が展示されているが、幼い王女の困惑したような表情とドレスの豪華さの対照性は不安定な気持ちにさせられる不思議な絵だ。マルガリータ以外にも、マリア・テレジア、マリー・アントワネット、エリザベトらの皇妃、王妃たちの威厳ある美しさは立ちすくむ。

 肖像画以外では、レンブラントの<使徒パウロ>、ハルス<男性の肖像画>などのオランダ絵画、ヴェロネーゼ<ホロフェルネスの首を持つユディット>などヴェネツィア派の絵が個人的には好みだった。

 絵画のほかで目を引いたのは、甲冑などの武具。個人的にはあまり興味がある分野ではないはずなのだが、その豪華さ、精巧さは思わず見とれる。実際、あんな重装備なものを着て戦えるのかは疑わしかったが、芸術品としての美しさは疑いの余地はない。一見の価値がある。

 平日昼間にもかかわらず会場はとっても盛況で、その8割が女性だった。女性の方がこうした煌びやかな世界を好むのかな。


<銀杏をバックにロダンの彫刻>

2019年12月6日


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晩秋の甲斐路 @慈眼寺(笛吹市・一宮町)

2019-12-13 07:30:00 | 旅行 日本

 11月最後の土曜日、山梨に所要があって出かけた。週末朝の中央高速道の下り渋滞を想定して早めに東京を発ったら思いのほか混雑は無かった。勝沼インターを降りて20号のバイパスを西に向かって走っていると、道路脇に「慈眼寺」なる標識が立っていた。標識になるような寺なら何か立派なものに違いないと誘われるように立ち寄った。

雲一つない青空の中、甲府盆地に佇む寺は静かで落ち着いた威厳を備えた寺だった。境内に入ると歴史を感じる本堂が目に入る。縁起が書かれた表札を読むと、真言宗智山派の寺で本堂・庫裏・鐘楼門は江戸時代前期の建物として、国指定重要文化財指定を受けているとのことだ。

境内には真っ赤に色づいた楓が朝日を浴びて輝いている。その反対側には、ユズと柿の実がなっている。青空に吸い込まれるような実の黄色と柿色が美しい。小説や映画に出てきそうな田舎の寺の風景である。

庫裏の中を覗くと、寺守のような老婦人(失礼なが老婆という表現がぴったり)が箒をかけていた。その老婦人から「どうぞ、中に入ってください」と言っていただいたので、庫裏から中に入れていただく。入口の土間は端が台所になっていて竈がある。裏から廊下伝えに本堂に入る。仏像を求めて廊下から障子をあけて本堂内の仏間を覗いたが、小さな仏像が何体か置いてあったが、暗くてどんなものかは良く分からなかった。廊下の天上には、昔の駕籠がかかっている。夏に訪れた恵林寺にもかかっていたが、これは山梨のお寺のお作法なのかな。

30分弱ほどの滞在だったが、鳥の鳴き声以外は箒の音ぐらいしか聞こえない静かな秋の寺の朝は、時間が止まった感覚になる貴重なひとときだった。

  
<寺の入口。周囲は桃畑である>


鐘楼門(重要文化財)> 


<本堂(重要文化財)>


庫裏(重要文化財)>


〈仏間〉


<廊下奥の天井に駕籠がかかっている〉

 
〈楓の色はなかなか綺麗には撮れませんね〉


〈ユズと柿(後方)〉

余談だが、すぐ近くに甲斐の国の国分尼寺跡もある。何もない跡地を見ながら1300年以上前の当時を想像するのも楽しい。


〈こちらも20号バイパス沿い。慈眼寺からすぐです〉

2019年11月30日


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N響C定期/指揮 ディエゴ・マテウス/ベルリオーズ 幻想交響曲 ほか

2019-12-10 07:30:00 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

私にとっては2019年最後のN響定期。今回の指揮は、ベネゼエラ出身の若手ディエゴ・マテウス。既にN響とも共演歴もあるし、サイトウ・キネン・オーケストラも振っているらしいが、私は初めて。同じ「エル・システマ」出身のドゥダメルのようなカリスマ性は感じなかったが、安定したプログラムと指揮ぶりで、確かな満足感が残る演奏会だった。

前半のグラズノフのヴァイオリン協奏曲は、これも若手演奏家ニキータ・ボリソグレブスキーのシュアな演奏が印象的だった。ことさらに抒情性を前面に出した演奏ではないが、ロシア人がロシアの曲をやると、とってもロシア的に聴こえてしまうのは私の先入観が強すぎるのだろうか。

後半のベルリオーズ「幻想」交響曲は、デュトアのような香り立ちこめる感じでもなく、また昨年のブロム翁の透明感のある演奏とも違うものだった。マテウスの指揮はオーケストラの鳴らし方に特徴があり、各楽器が際立ち、この場面ではこの楽器が後ろでこんな音を出していたのねと気づかされる場面がいくつかあった。もちろん、イングリッシュ・ホルンらのソロも見事。N響のアンサンブルは曲の進行とともに熱を帯び、最終楽章は劇的だった。

終演後は熱狂的な拍手。それに応えるように、マテウスは団員から送られた真っ赤なバラの花束から一輪抜き、観客席に投げ込んだ。ベテラン指揮者も良いのだが、こうした若手指揮者の登場機会はもっと増やしてもらっていいと思う。1年の最後の定演として、気持ち良く締まった演奏会だった。

第1928回
12/7 (土) 3:00pm
NHKホール

指揮│ディエゴ・マテウス
ヴァイオリン│ニキータ・ボリソグレブスキー
コンサートマスター(客演)│ヴェスコ・エシュケナージ 

メンデルスゾーン 「夏の夜の夢」序曲 作品21 [12′]
グラズノフ ヴァイオリン協奏曲 イ短調 作品82 [21′]
ベルリオーズ 幻想交響曲 作品14[50′] 

Concert No.1928  PROGRAM C

conductor│Diego Matheuz
violin│Nikita Boriso-Glebsky
concertmaster (guest)│Vesko Eschkenazy│ 

Felix Mendelssohn Bartholdy: “Ein Sommernachtstraum,” overture Op. 21[12´]
Aleksandr Glazunov: Violin Concerto A Minor Op. 82 [21´]
Hector Berlioz: Symphonie fantastique Op. 14 [ 50´] 


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「コートールド美術館展 魅惑の印象派」 @東京都美術館

2019-12-07 08:56:54 | 美術展(2012.8~)

ロンドン在住時にコートールド美術館には2回しか行けなかったが、好きな美術館の一つであった。中心部にあるにもかかわらず、邸宅の一室のような館内で、ナショナルギャラリーやポートレート美術館のように観光客で一杯ということもない。落ち着いて、好きな絵を好きなだけ鑑賞できる空間だった。

そのコート―ルド美術館が現在改修のためメイン処の印象派の作品が来日するということで、喜び勇んで出かけた。印象派・ポスト印象派の作品に絞ってはある(ロンドンのコレクションにはルネッサンス期以前からの作品も少なくなかったはず)ものの、マネ、セザンヌ、ルノアール、ドガなどのお宝の作品と再会し、歓びの時間を過ごすことができた。

とりわけ、マネの《フォリー=ベルジェールのバー》は相変わらず不思議な作品だ。正面から描かれたモデルとその後ろの鏡に映った像との不自然な構図や、モデルの美しさともの思いに耽るような表情のアンバランス。劇場のバーのざわめきが周囲からは聞こえるが、そのカウンターの内側は音が遮断され、見えない空気の壁があるような独自空間。飽きることのない絵である。

展示の仕方も工夫がされている。絵の「読み解き」をキーに「画家の言葉から読みよく」「時代背景から読み解く」「素材・技法から読み解く」と、様々な鑑賞手法をパネル等も用いながら、見せてくれる。

金曜日の夜間開館を狙って訪れたが、その時間帯としては経験のない混み方だった(とはいっても鑑賞に支障が出るような類の混み方ではない)。会期終了が近づいて居るからかもしれないが、12月15日までなのでまだの人には是非、お勧めしたい。

2019年11月29日訪問

 


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N響12月A定期/指揮 鈴木優人/メンデルスゾーン 交響曲 第5番 「宗教改革」ほか

2019-12-03 07:30:00 | 演奏会・オペラ・バレエ・演劇(2012.8~)

オルガン奏者としてのN響との共演はあるものの、指揮者として定期演奏会への登壇は初めての鈴木優人氏。調布音楽祭やBCJで、毎年接しているので個人的にもとっても親近感がある。是非、N響の指揮デビューを成功で飾ってほしいと応援の気持ちで席に着いた。 

結果は大成功だったと言える素晴らしい演奏会だった。特に後半の2曲は、2曲とも初めて聴く曲だが、出色の出来立ったと思った。コレッリの「クリスマス協奏曲」はN響のアンサンブルの美しさがお涙もの。この曲にはNHKホールは大きすぎる気はするが、3階席の私にもバロック調の暖かい音色がダイレクトに響いてきた。

ラストのメンデルスゾーン交響曲第5番「宗教改革」は初めて聴くはずだが、聴いたことのあるような気もするメロディも節々であって、不思議な気分だった。室内楽のような暖かさと教会的な崇高な響きの双方が楽しめる音楽である。優人氏の棒の元、N響の奏でる音色は重層的で、時として優しく、時に荘厳だ。「いい音楽を聴かせてもらっているなあ」としみじみ思う。

終演後の拍手も大きく、暖かいものだった。調布音楽祭の時よりは緊張感が感じられた優人氏も、終演後はやり遂げた満足感と安心感が入り混じった表情に見えた。

前半は、スペクタクル・オペラのようなブロッホのヘブライ狂詩曲「ソロモン」におけるチェロ独奏ニコラ・アルトシュテットの力強い演奏が印象的だった。

演奏家、指揮者、プロデューサー等様々な顔を持つ優人氏。是非、クラシック界の大谷翔平を目指してほしい。

 

12/1  (日) 3:00pm

指揮/チェンバロ│鈴木優人
チェロ│ニコラ・アルトシュテット
コンサートマスター(客演)│ヴェスコ・エシュケナージ

メシアン 忘れられたささげもの[11′]
ブロッホ ヘブライ狂詩曲「ソロモン」*20′]
コレッリ( 鈴木優人編) 合奏協奏曲 8 ト短調 「クリスマス協奏曲」 13′]
メンデルスゾーン 交響曲 5 ニ短調 作品107 「宗教改革」( 初稿/1830 28′]

December 1(Sun) 3:00pm
conductor/ harpsichordMasato Suzuki
celloNicolas Altstaedt
concertmaster (guest)Vesko Eschkenazy 

Olivier Messiaen Les offrandes oubliées [11´]
Ernest Bloch “Schelomo,” hebraic rhapsody* [ 20´]
Arcangelo Corelli/ Masato Suzuki Concerto grosso No. 8 G Minor Fatto per la notte di Natale [ 13´]
Felix Mendelssohn Bartholdy Symphony No. 5 D Minor Op. 107 “Reformation” (First Version/ 1830) [ 28´] 


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多民族国家シンガポール

2019-12-01 07:47:56 | 日記 (2012.8~)

〈マラバール・モスク〉

 先日、10月に続いて、今年2回目のシンガポール出張に行ってきました。今回は機中1泊、現地2泊という短い日程だったので、見仏ジョギングすらできませんでした、なので、今回は自分自身の記録のために、2回の出張での(ほぼ)初シンガポールの印象である、シンガポールの多民族性についてメモっておきます。

 街を歩いたり、走ったりする時、仕事で現地のパートナー企業と喧々諤々の議論をしている時、感じるのはシンガポールの多民族性です。例えば、前回の出張では1時間余りのジョギングでも、仏教寺院、道教寺院、ヒンズー教寺院、キリスト教の教会などで、夫々の信者さんたちを目にしました。今回も、ホテルから打ち合わせ場所への徒歩の通勤では、立派なイスラム教寺院がありました。普通に歩いていても、中国系、インスラム系、インドのターバン巻いた人、西洋人などなど、いろんな方を目にします。ロンドンでも感じた多様性の中に身を置く心地よさがありました。

 それは現地パートナー企業との打ち合わせでも同じです。社長さんはイギリス人、それ以外の幹部クラスには地元シンガポール人、ドイツからの出向者、中国系シンガポール人、タイ人、インド人、オーストラリア人、日本人と実に多彩。打ち合わせ後の食事会で知ったのですが、シンガポール人と言っても、もともとはオーストラリア・タイ・香港が出身で、タイミングは人それぞれですが、シンガポールに移住された方々で、一口にシンガポール人と括るのはかなり無理があるというのを実感しました。

 こういう環境ですと、英語も実に様々なアクセント、言い方で話されますから、私のジャパニッシュでも気にする必要がないのは嬉しいです。(それでも時々、変な顔をされるのは、よっぽどひどいのか?)もちろん、会議中は喧々諤々、オープンに自由に、そして激しい議論が飛び交います。頭の中で考えている時には論点は次に移ってますから、瞬発力も欠かせません。一般論で言うと、グローバルコミュニケーションはやっぱりロジックと熱意の双方が大切というありきたりのことになってしまうのですが、そうした綺麗な整理ではとても語れない厳しさがあります。

 毎回、海外出張に行くたびに、行けてなさに自己嫌悪に陥るのですが、シンガポールの多民族性・多様性は「よし、(チャンスがあれば)次回はこうしよう」とファイトを掻き立ててくれる活力を感じさせてくれます。


〈スルタン・モスク〉


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