その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

クレイトン・クリステンセンほか著、櫻井 祐子 翻訳『イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ』(翔泳社、2012)

2024-07-24 07:17:59 | 

代表作『イノベーションのジレンマ』で著名な筆者は、職場のハーバードビジネススクール(HBS)の講義では、「幸せで充実した人生の送り方」について学生と議論するという。本書はその講義の内容を書籍化したもの。

彼自身が出席する卒業後5年ごとに開催されるHBSの同窓会において、卒業して10年も経つと、満たされない生活、家庭の崩壊、仕事上の葛藤、そして犯罪行為に苦しんでいた同級生が少なからずいるという。そんな状況から、本書では1)どうすれば幸せで成功するキャリアを歩めるだろうか、2)どうすれば伴侶や家族、親族、親しい友人たちとの関係を、ゆるぎない幸せの拠り所にできるだろうか、3)どうすれば誠実な人生を送り、罪人にならずにいられるだろうか、について経営理論を個人の人生にも援用しつつ説く。

読む人により腹に落ちるところは様々と思うが、個人的に強く刺さったのは、以下の点。3月で終了したTVドラマ「不適切にもほどがある」の主人公役(阿部サダヲ)の名言「あなたのやってほしいことが僕ができること」にも通じるものがある。まあ、今更、こんなことを「その通り!」と納得しているようでは、自分の未熟さが露呈しているに過ぎないのだが。

「愛する人に幸せになってほしいと思うのは、自然な気持ちだ。難しいのは、自分がその中で担うべき役割を理解することだ。自分の1番大切な人たちが何を大切に思っているのかを理解するには、彼らとの関係を、片付けるべき用事の観点から捉えるのが1番だ。そうすれば、心からの共感を養うことができる。『伴侶が私に1番求めているのは、どんな用事を片付けることだろう?』と自問することで、適切な視点を持って、物事を考えられるようになる。関係をこの観点から捉えれば、ただ漠然と自分のなすべきことを憶測するより、ずっと明確な答えが得られるはずだ。
 ただし伴侶があなたに片付けてほしいと思っている用事を理解するだけではダメだ。その用事を実際に片付ける必要がある。時間と労力を費やし、自分の優先事項や望みを喜んで我慢し、相手を幸せにするために必要なことに集中するのだ。」(pp..106⁻107)

筆者の著作『ジョブ理論』を個人の人間関係に応用した教訓だろう。マーケティング理論と人間間の愛情を同列で扱うのも、短絡的すぎる気がしないまでもないが、この通りだと思う。

これ以外にも、私自身が参考になったいくつのアドバイスを抜粋しておく。

「友人や家族との関係への投資は、成果の兆しが上がる、見え始める、遥か以前から行わなくてはいけない・・・時間と労力の投資を、必要性に気づくまで後回しにしていたら、おそらくもう手遅れだろう。大切な人との関係に実りをもたらすには、それが必要になるずっと前から投資するしか方法は無いのだ。(家族や大切な人は注目を浴びるために声高に主張することはない。気が付かなくてはいけない)」(106ページ)

「人生において重要な道徳的判断を迫られるときは、警告標識は現れない。私たちは大きなリスクが伴うようには思えない、小さな決定を日々迫られる。だが、こうした決定が、やがて驚くほど大きな問題に発展することがあるのだ。」(202ページ)

「生の目的をはっきりすることが欠かせない。目的がなければ、自分にとって大切な物事をどうやって優先できるのだろう。・・・じっくり時間をかけて、人生の目的について考えれば、後で振り返った時、それが人生で発見した。1番大切なことだと必ず思うはずだ。・・・あなたが人生を評価する物差しは何だろうか。」(231ページ)

変なテクニック論やお説教とは異なる真正面からの真摯なアドバイスから、何らかの人生のヒントを得ることが出来ると思う。

 

(目次)

序講 01
第1講 羽があるからと言って

第1部 幸せなキャリアを歩む

第2講 わたしたちを動かすもの
第3講 計算と幸運のバランス
第4講 口で言っているだけでは戦略にならない

第2部 幸せな関係を築く

第5講 時を刻み続ける時計
第6講 そのミルクシェイクは何のために雇ったのか?
第7講 子どもたちをテセウスの船に乗せる
第8講 経験の学校
第9講 家庭内の見えざる手

第3部 罪人にならない

第10講 この一度だけ
終講
謝辞
訳者あとがき


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空海『三教指帰』 (角川ソフィア文庫 358 ビギナーズ日本の思想、2007)

2024-07-20 08:12:59 | 

5月に空海展を訪れた際に、事前に読んでみた。若き空海による代表作の一つと言われている。儒教、道教、仏教の三教の中で、仏教がいかに優れているかを、仮名乞児(若き日の空海)が論じる。

私の未熟な読解力のため、特段の感銘を受けるところはなかったというのが、正直な感想である。訳は非常に読みやすいし、平明に書いてある。儒者、道教宗、仏者それぞれの主張も「理解」するも、なぜ仏教が他を上回っているのか、仏教の教えとは何なのか、は分からなかった。

若き空海の仏教にかける強い思い、文章の修辞など感嘆したところももちろんある。思考や世界観の広がりの違いがポイントのようだが、夫々異なった思想・教えの中で良いとこ取りで良いのでは。優劣の問題ではないのでは、と感じたりするのだが、そういう緩い姿勢では駄目なようだ。

古典中の古典であるため、歴史的に大きな影響を残してきた書物なのだが、私には合わなかった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石山 恒貴『定年前と定年後の働き方~サードエイジを生きる思考』 (光文社新書、2023)

2024-07-12 07:30:51 | 

 

個人・所属組織の両面において、ドンピシャテーマなので、迷わず手に取った。

アカデミックな研究やケーススタディ、筆者の考察・提言のバランスが取れていて、様々な指摘が腹落ちした。筆者自身も40歳代後半に大きなキャリアチェンジ(会社員→研究者)を経験していて、シニア読者に寄り添う真摯な姿勢が垣間見れて、好印象な一冊である。

いくつか、私が参考になった知見。

・40歳代後半を底に人の幸福感は上がっていくU字カーブを描く(エイジング・パラドックス)

・STT (Socioemotional selectivity theory:社会情動的選択性理論→シニアが自分にとって意義ある目的と親密な人の交流を重視するという理論)とSOC理論(selection optimization with compensation theory:選択最適化補償理論→選択によって目的を特定し、その目的を最適化するための工夫を行い、その際に自分ができないことについては補償していく)の2つが、エイジングパラドックスを説明している

・幸福度が上がるかどうかは、仕事の意味付けの見直し(ジョブ・クラフティング)ができるかどうかが大切。

・筆者のアドバイス:フリーランスを含めたモザイク型就労、越境学習(有給ワーク/家庭ワーク/ギフトワーク/学習ワークの中でアウエイの場にチャレンジ)

・組織は無意識のエイジズムに注意し、対象層へのメッセージを大切する(シニア向けキャリア研修は「たそがれ」研修ではない)

・Pedal(Proactive(やってみる), explore(意味づける), diversity(年下とうまくやる),associate(居場所をつくる), learn (学びを活かす))のフレームワークで自走力を高める

 

本書にあるように、シニアの働き方は一般論は通用せず、個人の価値観や信念次第だ。なので、本書も自分の意思決定や行動にどう活かすかが肝である。さあ、自分はどうするのか?

 

◎目次

はじめに
【第1章】シニアへの見方を変える ── エイジズムの罠
【第2章】幸福感のU字型カーブとエイジング・パラドックス
【第3章】エイジング・パラドックスの理論をヒントに働き方思考法を考える
【第4章】主体的な職務開発のための考え方── ジョブ・クラフティング
【第5章】組織側のシニアへの取り組み
【第6章】シニア労働者の働き方の選択肢
【第7章】シニアへの越境学習のススメ
【第8章】サードエイジを幸福に生きる
おわりに


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮島未奈『成瀬は天下を取りに行く』(新潮社、2023)

2024-07-09 07:35:14 | 

とっても評判になっている本ということで 読んでみた。図書館で予約しようとしたら、なんと 700人の 待ち行列ができていたので諦めて購入。

なるほど、これは面白い。主人公の女子中学(高校)生 成瀬あかりの、(いささか発達障害的な面を持ち合わせている)型破りな発想と行動力が何とも個性的かつポジティブで微笑ましい。笑いとともに元気が貰える小説である。大津市膳所を舞台に、地元のネタが登場し描かれるのもリアリティが高く好印象である。

高い評判は「ここまで?」という意外感はあるが、手軽に読めて、元気になれる小説が読者に求められているということなのだろう。爽快感残った。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中原淳『働く大人のための「学び」の教科書』(かんき出版、2017)

2024-06-19 07:43:22 | 

経営学習論や人材開発について研究する東大の准教授の中原淳さんが、社会人向けの学び方について、平易に解説したノウハウ本。構造的でわかりやすく、具体例も記載されているので、1から系統的に学ぶこともできるし、自分にできてるところ/できてないところのチェックリストとしてもいいと思う。

既知のこともあるものの、おさらいも含めて私なりの学びポイントを以下、抜粋。( )内は個人的つぶやき。
・3つの行動原則〈OS〉×7つの行動〈アプリ〉
・3つの行動原則:1)背伸びの原理、2)振り返りの原理、3)つながりの原理(←使えるフレームワーク)
・「大人の学び」7つの行動:1)タフアサイメント=タフな仕事から学ぶ、2)本を1トン読む、3)教えられて学ぶ、4)越境する、5)フィードバックを求める、6)場をつくる、7)教えてみる(←使えるフレームワーク)

・ハードル:コンフォートゾーン→ストレッチゾーン→パニックゾーン。ハードルは低すぎても、高すぎてもダメ。
・何の背伸びから始めるか?①楽しみを感じること、②感謝されること(←なるほど)
・まずやってみることを大切にする。(←これ私の自論、めちゃ同意!)
・振り返りが経験学習の鍵。アクション無くしてリフレクションなし。リフレクション無くしてアクション無し。(←たしかに)
・人は一人ではなかなか変わることのできない「脆弱な存在」。人とのつながり、人を鏡として変わっていく。(←たしかに)
・大人の学びの基本は「自腹」。痛みを伴う。そうした学びこそが次のキャリアを切り開く。(←これ私の自論、めちゃ同意!)
・セミフォーマル/フォーマルな学びで大切なこと:「何を学ぶか」も重要だが「誰から学ぶか」も極めて重要(←これは目から鱗だわ)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木智彦『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館文庫、2021)

2024-06-16 09:02:10 | 

平成25年(2013)から平成30年の取材を中心に、アワビ、ナマコ、ウナギ(+シラス)を題材に密猟がどれだけ幅を利かせていて、密猟と暴力団の関係といった裏事情をレポートする。(2018年に単行本が出ているのだが、21年に2章が追加されて文庫化された)

読んでいて怖いのは、日々の食材が裏流通で成り立っているところもあること(平成15年7月の雑誌『養殖』における多屋勝雄の記事だと日本で流通しているあわびの45%は密猟の計算になるという(p15))。そして、我々もその価値連鎖の末端において消費者として加担しているということだ。

章によっては歴史的な背景の解説で、決して現在がそうであるわけではないこと(例えば、第4章の千葉県銚子市についての記事)、ジャーナリスティックな文体から来る事実と推測の区別がつきにくいことなどはある。また、この状況が日本の漁業の全体像を示しているわけではないだろう。なので、注意深く読むことは必要だが、こういう世界があって、我々も当事者であるということは、知っておいたほうがよい。

本書に記載とは別だが、歴史的に魚に多くの我々の栄養取得を頼ってきたにも関わらず、日本は世界的にも数少ない漁獲量が減り続けている国である(90年13万トン→19年5万トン)。先日、会社のSDGsの研修で知ったのだが、国連が定める目標持続可能な開発目標(SDGs)の目標14に「持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する」という目標があるが、日本はこの目標については赤信号との評価を受けている。日本の漁業には、漁業資源の乱獲など、多くの問題に目が向けられていない、乱獲しすぎで漁業の生産性が悪化しているといったことが背景にあるとのことだ。

自分たちが日々口にしているもの、お世話になっているものであるが故になおさら、それらの社会的背景は知っておいた方が良いと思う。

 

〈 目次 〉

第一章 宮城・岩手 三陸アワビ密漁団VS海保の頂上作戦
第二章 東京 築地市場に潜入労働4ヶ月
第三章 北海道 “黒いダイヤ”ナマコ密漁バブル
第四章 千葉 暴力の港・銚子の支配者、高寅
第五章 再び北海道 東西冷戦に翻弄されたカニの戦後史
第六章 九州・台湾・香港 追跡!ウナギ国際密輸シンジケート
新章一 再び東京 “魚河岸の守護神”佃政の数奇な人生
新章二 三たび北海道 密漁社会のマラドーナは生きていた


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

W.シェイクスピア/訳:安西徹雄『ハムレットQ1』(光文社古典新訳文庫、2010)

2024-05-16 07:30:14 | 

シェイクスピア劇にはQ版(四折本、クオート)、F版(二折本、フォリオ)があるのは知っていた。ただ、ブルックナーなどのクラシック音楽の交響曲の「版」同様、ゆるゆる読者・鑑賞者の私には違いを意識することなく、いつも漫然と接してきた。今回、人気女優の吉田羊さんが題名役を演じる『ハムレットQ1』を観劇するにあたり、事前に『Q1』を読んでみたら、その違いに驚いた。

本書には冒頭に訳者の解説で版について説明されている。『ハムレット』には二種類の四折本(Q1/Q2)とF1の三種類があってそれぞれが大きく違っている。Q1はQ2やF1に比べて極端に短い上に、現代の多くの翻訳はQ2とF1の混成版になっているという。Q1が海賊版、Q2は作者の生原稿、F1はシェイクスピア自身の劇団による上演原稿との推測が主流らしい。一方で、訳者は、Q1は当時の実際の上演を反映した本文であることや、「ハムレット」の変遷における初期の段階を示しているものとして評価している。

私自身、『ハムレット』は小田島雄志訳と松岡和子訳を持っているが、それらとこの「Q1」の厚さの違いに驚かされる。そして、確かに、Q1は薄いだけあって物語はサクサク進み、スピーディだ。物語の緊張感が途切れることなく、一気に読み切らせる力を持っている。数か月前に太宰治の「新ハムレット」を読んだ感覚に似ていた。

英文科の学生ではないので、具体的にどこが違うのかは比較していないが、長さ以外の印象としての違いは、ハムレットの悩める青年ぶりのシーンが少ないとは感じたが、だからと言って物語全体に大きな影響を与えているとは思えない。どこにこのページ数の違いがあるのか、ぱっと読みだけでは分からないほどだ。ちなみに、本書で解説を寄稿している河合祥一郎先生は、話の構成や王妃ガートルードの人物造形の違いを指摘されていた。

深みに入れば底なしのようなシェイクスピアの世界。とりあえず、私は井戸端から底を覗くぐらいにしておこう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫、1984)

2024-05-06 09:41:54 | 

日本史関連の本を読んでいると、いろいろなところで参照される民俗学者宮本常一さんの代表作を読んでみた。

いや~面白い。日本の民俗誌として、裏日本史として、「物語」として・・・。

改めて、表の「歴史」と言うのは文字になって、「権力」を持った人によって、記録されて、残されて、伝えられるということがよくわかる。でも、本書にあるような残されない歴史の方が、大多数であり、その時々の実情だということに気づかされる。

近代における日本の都市化されていない地域での日本人の生活、風俗、性への向き合い方などなど、逞しさや奔放さ(いい加減さ)、真面目さなどなど人間や社会の多様性、複雑性を本を通じて疑似体験できる。

30代の時にリーダーシップ研修か何かで、内村鑑三の『代表的日本人』(西郷隆盛や上杉鷹山などの伝記サマリー)を読んだが、その対極を行く本だ。研修の目的(きっと、立派な過去の日本人にリーダーシップの在り方を学ぶというようなものだったと思う)にはそぐわないだろうが、日本や日本人についての思考・理解を深めるには、本書の方がずっと深みのある読書ができて、思考が深まる(ただ、本書がリーダーシップ研修に取り上げられるとはありえないだろう)。

表題が示すように、本書に記述された日本人、生活、風習といったものは、どんどん忘れられていくのだろう。そうした無形文化を記録し、伝えて行く仕事の大切さに気付き、生涯を捧げた筆者の偉大さにも感服だ。

 

〈目次〉
対馬にて
村の寄りあい
名倉談義
子供をさがす
女の世間
土佐源氏
土佐寺川夜話
梶田富五郎翁
私の祖父
世間師(一)
世間師(二)
文字をもつ伝承者(一)
文字をもつ伝承者(二)
あとがき


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山田悠史『最高の老後「死ぬまで元気」を実現する5つのM 』(講談社、2023)

2024-04-12 07:30:18 | 

老齢の母の生活支援をしながら、そろそろ自分の老後についても真面目に考えねばと思っていた矢先に、図書館の新着図書のコーナーで見つけ思わず手に取った。

健康寿命と言われる72歳(男性)から平均寿命の81歳までの約10年間に何を考えなくてはいけないかを5つの切り口で整理して解説する。この枠組みは2017年にカナダと米国の老年医学会により提唱され、今では老年医学専門医の基本指針とされているとのことだ。

5つのMとは、
Mobility からだ(身体機能)
Mind こころ(認知機能、精神状態)
Medications くすり(ポリファーマシー:患者が数多くの薬を飲んでいる状態)
Multicomplexity よぼう(多様な疾患)
Matters Most to Me いきがい (人生の優先順位)
を指す。

考え方のフレームワークとして分かりやすい上に、1つのMごとに1章を割いて解説される考え方は説得力あり、「最高の老後」を迎えるためのアドバイスも納得感高い。エビデンスを重視し、巷の俗説については相関関係や因果関係まで見ようとする姿勢は米国での医師経験がある筆者ならではだ。本の構成や記述も読みやすい。とってもお勧めできる健康本である。

 

(以下、いくつか勉強になった知見やアドバイスをメモ)

・寿命を規定するもののうち、25%程度が遺伝子情報に左右される。75%は自分次第。(p.25)

・30~50代の経済状況が老後の健康状態に大きく関わる(p.79)

・運動は量よりも継続が第一(強度すぎる運動は寿命に逆効果)。適度な運動と適切な栄養の両輪がかみ合うことが大切(pp.88⁻91)

・認知症の原因疾患は多様。直る認知症もある。(p124ー)

・科学的根拠ある認知症予防法はない。運動の予防効果はよくわかっていない。7時間以上の睡眠は効果ありそう。地中海式ダイエットも期待できそう。(pp. 142⁻160)

・医者は薬の足し算はできるが、引き算が苦手。薬はかかりつけ薬局を持ち、相談。(p.198/p.211)

・サプリメントはほぼ不要。副作用も存在。(→今の、小林製薬の紅麴問題を予見しているかのよう)(p.221)

・コレステロールの薬は将来の自分を守るための投資(p.230)

・予防接種は体の防災訓練のようなもの(p.288)

・病気は突然やってくる。最期を迎える人の約7割が自分で意思決定できない→家族らと医療方針について話しておく、「事前指示書」(事前に自分の医療方針を書面で明示する)を書くなどの準備も必要。(pp.321⁻330)

・医師が重要と思うことと患者が重要と思うことはずれがある。自分にとっての生きがいを大切にする。(p340)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スコット・ギャロウェイ(著)、 渡会圭子(訳)『GAFA next stage  ガーファ ネクストステージ 四騎士+Xの次なる支配戦略』(東洋経済新報社、2021)

2024-04-03 07:30:30 | 

原題は"Post Corona: From Crisis to Opportunity"。邦題からは前作『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界 』の続編的な位置づけのようであるが、GAFAについての記述は前半だけ。むしろコロナ禍がGAFA+Xなどのテクノロジー業界や米国社会へ与えた影響を考察したエッセイ。全体を通じては、コロナ中・後のビッグテックの動きや米国社会情勢を知るには良いが、目を開かれるような新しい情報や分析は多くはなかったというのが正直なところである。

そんな中で、3点、個人的に興味を引いた点をメモしておく。

1つは、GAFA+Xに代表されるビッグテックのビジネスモデルを「赤」と「青」で2分していること。

「青」は商品を製造コストより高い値段で売るモデル。アップルのiOSに代表される「高品質でブランド力あり高価格だが、裏で(ユーザの)データ利用されることが少ない」。「赤」は商品を無料で配り(あるいは原価以下で売り)他の企業に利用者の行動データを有料で提供するモデル。グーグルのアンドロイドのように、「まずまずの品質で初期費用が安いが、ユーザのデータとプライバシーを広告主に差し出さねばいけない」モデルである。動画サイトで言えば、青はNetflix、赤はYoutubeである。ほとんどのSNSは赤だ。筆者は「青」のモデルに期待を寄せ、X(ツイッター)も青のモデルに移行すべきと主張する。(マスク氏のXの有料化構想は、筆者の主張に沿う)。

2点目は、コロナの影響の見立てだ。GAFA+Xの支配は加速し、「少数のアメリカ企業による支配の始まり」が進んでいる。筆者は、テック企業の支配力の高まりが社会に及ぼす悪影響について警鐘を鳴らす。ビッグテックは「何も悪いことは起きてない」と自分たちの悪影響に対して無視を決め込む一方で、対立と分断をあおっている。様々なメディアで、米国の貧富格差の拡大や中間層の没落(普通に頑張って普通に豊かな生活を送れる時代の終焉)が指摘されるが、本書も指摘もその流れに沿ったものだ。

3つ目は、こうしたビックテックの暴走への歯止め策だ。筆者は、政府の役割を見直し、強力な政府が必要と主張する。教育など公共サービスの充実、独禁法規制の強化などとともに、一般市民は選挙を通じて、「政府を信じ、特定の個人に権力が集中することの脅威を理解し、科学を尊重する人」を選ぶことが主張される。ビジネススクールの教授が、政府の役割強化を主張するのも珍しいのではないかと思うが、そのこと自体が、事態の深刻さを物語っている。

これからの数十年で世界はどう変わっていくのだろう。明るい未来は想像が難しい。そんな感想を持たざるを得ない米国の今がある。

 

目次

イントロダクション
 新型コロナは「時間の流れ」を変えた
 「GAFA+α」はパンデミックでより強大になった
 極小のウィルスが「特大の加速装置」になったわけ
 危機はチャンスをもたらすが、それが平等とはかぎらない
 痛みは「弱者にアウトソーシング」された

第1章 新型コロナとGAFA+X
 強者はもっと強くなり、弱者はもっと弱くなる。あるいは死ぬ
 危機を生き残れた企業がやったこと
 ポスト・コロナで勃興する新ビジネス
 「他人を搾取するビジネス」は危機にも最強
 パンデミックはすべてを「分散化」させる
 「ブランド時代」が終わり、「プロダクト時代」がやってくる
 プロダクト時代を支配する「赤」と「青」のビジネスモデル
 「赤」と「青」に分岐する世界

第2章 四騎士GAFA+X
 加速する「GAFA+X」の支配
 「GAFA+X」の3つの力の根源
 搾取:GAFA+Xだけが持つ最強の装置「フライホール」
 メディアはGAFA+Xの次なる主戦場
 テック企業が大きくなれば問題も大きくなる
 GAFA+Xに対抗する
 GAFAが自らにかけた「成長」という呪い
 最強の騎士アマゾン
 青の騎士アップル
 赤の2大巨頭、グーグルとフェイスブック

第3章 台頭するディスラプターズ
 ディスラプタビリティ・インデックス
 「加熱」の一途をたどるスタートアップ業界
 ユニコーンの誕生
 カリスマ創業者が語る「ヨガバブル」というたわごと
 カネ余りとGAFAがディスラプターに力を与える
 「最強のディスラプター」が持つ8つの特徴
 勃興するディスラプターズ

第4章 大学はディスラプターの餌食
 ディスラプションの機は熟している
 大学に大変革を起こす力
 パンデミックがディスラプションの引き金を引いた
 大学を襲うディスラプションの大波
 大学の改善に向けた提言

第5章 資本主義の暴走に対抗する
 あまりにも無力になった政府
 資本主義の功罪
 資本主義のブレーキを握る政府の役割
 資本主義(社会の階段を登る場合)+社会主義(社会の階段を降りる場合)=縁故主義
 縁故主義と不公平
 アメリカで生まれた「新たなカースト制」
 搾取経済
 政府のことを真剣に考えよ
 政府がパンデミックですべきだったこと
 ディスラプターズとの闘い
 いましなければならないこと


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アガサ・クリスティー (著), 中村 妙子 (翻訳)『春にして君を離れ』ハヤカワ文庫、2004(原作は1949年発表)

2024-03-29 07:26:11 | 

勉強会でお知り合いになった「まなとも(学び友達)」のご推薦図書。

「ミステリーの女王」アガサ・クリスティーのフィクションであるが、犯罪は一切出てこない。「自己変革」をテーマにした心理小説である。「さすがクリスティ!」と唸らせる、どきまきしながら読者にページをめくらせる吸引力は抜群。ハッピーエンドを予感させながらの結末は唸らされ、物語としての読後感は非常にザラザラしたものだ。

イギリス中流家庭の模範的な妻が、中東に住む娘夫婦を訪問後の帰路において、天候事情により、周囲には何もない砂漠の町で足止めを余儀なくされる。3日間の孤独が彼女の人生の振り返りの時間となり、内省が促される。大いに気づきを得、新たな自分の旅立ちの決意を持ったところで、帰国し日常生活に戻っていく。そのプロセスが、主人公の視点、心情をベースに描かれる。

「自己変革は可能なのか?」、「認知の枠組みはどう形成され、修正されうるのか?」、「自分とは何か?」といった問いが読者に突きつけられる。小説ではあるのだが、「心理学」、「自己啓発セミナー」などのケーススタディとしても活用されそうな物語である。

主人公に共感するのか、冷たく突き放すか、はたまたその中間か。読み手そのものの認知バイアスが、本書で試されるだろう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太宰治『新ハムレット』(新潮文庫、1974)

2024-03-23 07:40:11 | 

太宰治の作品を読むのは学生時代以来。本作の芝居を見に行くので、予習として原作に目を通した。(本文庫本には本作含め5作品が収録されているが、読んだのは本作だけ)

冒頭に筆者の「はしがき」があって、「『ハムレット』の注釈書でもない、または、新解釈の書でも決してない・・・作者の勝手な、創造の遊戯に過ぎない・・・。狭い、心理の実験である。」と説明がある。「狭い」かどうかは置いておいて、それ以外はその通り。シェイクスピアの『ハムレット』から登場人物と状況設定は借りつつも、中身は全く異なる、似て非なるものである。

前半は、元『ハムレット』との差分・違いが気になりながら読み進めたが、段々と太宰版の世界に嵌まっていく。登場人物夫々の人としての癖、どこまでが本心でどこが嘘なのか、真の動機は何なのか、そしてこの物語はどう収拾されるのか・・・。物語としての吸引力は元『ハムレット』同等に強いと思わせるぐらいだ。作者が書いた通り「心理の実験」であり、心理劇になっている。

発せられる言葉もシェイクスピアに負けてない。

「忍従か、脱走か、正々堂々の戦闘か、あるいはまた、いつわりの妥協か、欺瞞か、懐柔か、to be, or not to be, どっちがいいのか、僕にはわからん。わからないから、くるしいのだ。」(ハムレット、p.265)

「形而上の山師。心の内だけの冒険家。書斎の中の航海者。つまり、ぼくは取るに足らない夢想家だ。」(ハムレット、p.291)

「信じられない。僕の疑惑は、僕が死ぬまで持ち続ける。」(ハムレット、p.350)

・・・

否が応でも、太宰のほとばしる才能を感じる作品だ。さて、これが芝居ではどう表現されるのだろうか・・・。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うん十年振りに「プロ倫」を読んでみた:マックス・ウェーバー(訳 中山 元)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(日経BP,2010)/原著は1920年

2024-03-20 07:30:41 | 

まさかこの歳になって、「プロ倫」を再読するとは思ってもみなかったが、昨秋から参加していた勉強会の最終回の課題図書であったので、読まざるを得ず。大学2年の一般教養「社会思想」の授業で読まされて以来である。当時読んだ岩波文庫版(梶山力、大塚久雄 訳)よりも読みやすいとの評判を聞き、中山元の訳を読んだ(確かに読みやすかった)。

初読から数十年経っているので、記憶も経験も積み重なっていることもあるが、一体、学生の時は何を読み取っていたのだろうか。恥ずかしいほど、何も残っていなかったことが判明。仮説に対する検証方法や分析の内容など、改めて読んで、気づかされたことが多々あった。

内容について詳細は省くが、ベンジャミン・フランクリンが書き残した、時は金なり/信用は金なり/金が金を生む/よい会計係は他人の財布の落ち主/勤勉と節約/几帳面さと正直といった資本主義を発達させた精神の本質(エートス)は、プロテスタンティズム(特にカルヴァン派)の予定説から導かれる天職の思想や禁欲主義をバックボーンにしていることを検証している。

「世俗的な職業に従事しながらその義務を果たすことが、道徳的な実践活動そのものとして、最高のものと高く評価されたことは新しいこと。これにより世俗的な日常の労働に宗教的な意義があると考えられるようになり、その必然的な結果として、このような意味での天職の観念が始めて繰り出された。・・そして神に喜ばれる唯一の方法は、各人の生活における姿勢から生まれた背欲的な義務を遂行することにあると考える。こうした義務の遂行が、その人の「召命」であるとみなすようになった」(p142⁻143)

「プロテスタンティズムの世俗内的な禁欲は、自分が所有するものをこだわらずに享受することに全力を挙げて反対し、消費を、とくに贅沢な消費を抑圧した。この禁欲はその反面で、財産を獲得することに対する伝統主義的な倫理的な制約を、解き放つ心理的な効果を発揮したのである。利益の追求が、直接に神が望まれるものとみなしたために、利益の追求を禁じていた〈枷〉が破壊されたのである。」(p.462)

2つの点で興味をひかれた。

1つは日本人の資本主義の精神はどこからきているのかという点だ。現代日本において、中近世のプロテスタントのように召命として労働に励む人は殆どいないと思うが、日本人の労働観や勤勉性はどこから来ているのだろうか。金儲け・利益についての考えの由来はどこにあるのか。そんな疑問が頭をよぎった。近江商人の三方良しとか、「もったいない」という考え、石田梅岩の石田心学における「正直」「勤勉」「倹約」といった倫理。これらはプロテスタンティズムの精神にも共通するところがある。日本人らしい、なんでも統合させてしまう特質から「武士道/商人道」「仏教/神道」などなどのミックスによるものなのだろうか。

2つめは、マックス・ウェーバーの先見性。今回、特に、目を開かれたのは、マックス・ウェーバーが、資本主義の将来を鋭く見据えていたということだ。資本主義においてその精神性が薄れ消滅しつつある20世紀初頭の状況を見て、『プロ倫』の最後ではこう述べる(めちゃ長い引用だがとっても大事)。

「現在では、禁欲の精神は、この鋼鉄の「檻」から抜け出してしまった。勝利を手にした資本主義は、かつては禁欲のもたらした機械的な土台の上に安らいでいたものだったが、今ではこの禁欲という支柱を必要としていない。禁欲の後をついたのは、晴れやかな啓蒙だったが、啓蒙のバラ色の雰囲気すら、現在では薄れてしまったようである。そして、「職業の義務」と言う思想が、かつての宗教的な信仰の内容の名残を示す幽霊として、私たちの生活のあちこちをさまよっている。
(中略)「職業の遂行」が、もはや文化の最高の精神的な価値と結びつけて考えることができなくなっても、(中略)今日では誰もその意味を解釈する試みすら放棄してしまっている。(中略)営利活動は宗教的な意味も倫理的な意味も奪われて、今では純粋な競争の情熱と結びつく傾向がある。ときには、スポーツの性格を帯びていることも稀では無いのである。
将来、この鋼鉄の檻に住むのは、誰なのかを知る人はいない。そして、この巨大な発展が終わるときには、全く新しい預言者たちが登場するのか、それとも昔ながらの思想と理想が力強く復活するのかを知る人もいない。あるいは、そのどちらでもなく、不自然極まりない尊大さで飾った機械化された化石のようなものになってしまうのであろうか。最後の場合であれば、この文化の発展における「末人」たちにとっては、次の言葉が真理となるだろう。『精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無に等しい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう。』」(pp493⁻494)

噛みしめたい一文だ。まさに、今の世の中、精神のない専門家、魂のない享楽的な人間に溢れているとは言えないか。そうした中で資本主義の暴走が起こっている。私自身も含めて、「職業の遂行」の意味を考えるべき時代だと強く感じた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊藤亜聖『デジタル化する新興国  先進国を超えるか、監視社会の到来か』(中公新書、2020)

2024-03-16 07:47:42 | 

 「デジタル技術による社会変革は、新興国・途上国の可能性と脆弱性をそれぞれ増幅する」という仮説に基づき、様々な可能性と脆弱性の事例を紹介しながら、途上国・新興国におけるデジタル化の影響を検証・整理する一冊。

構成と文章が明快なので、網羅的かつ構造的に論点について理解しやすく、良い意味で「教科書的」である。

デジタル化による変化には以下のような特徴がある。
1)従来の「先進国」と「新興国」といった紋きり調の定義が変容していく。
2)経済発展戦略における「人材・技能」、「インフラ」、「金融」、「支援制度・政策」といった先進国からの支援パッケージも、工業化のための仕組みとデジタル化のための仕組みでは異なっている、
といったことだ。漠然とは感じてはいたものの、文字に落とされて、改めてその通りだと感じる。

日本もこうしたデジタル化による世界の構造変化の波を大きく受けている。工業化時代においては、新興国への「開発援助と協力」で国際的な役割を果たしてきたが、足元のデジタル化がおぼつかない今の日本では、国際的な役割は不明確だ。筆者は「共創パートナーとしての日本」(p.223)を構想として打ち出している。

「好奇心と問題意識のアンテナを広げ、日本の技術や取り組みを活かす。同時に新興国に大いに学び、日本国内に還流させる。加えてデジタル化をめぐるルールつくりには積極的に参画し、時に新興国のデジタル化の在り方に苦言を呈する。(中略)より対等な目線で、共により望ましいデジタル社会を創る、という姿勢だ。」(pp.223⁻224)

これだけでは如何にも学者さんの考察で抽象的すぎるが、具体例として、インドの生体認証PJへの日本企業によるシステム提供やコーポーレート・ヴェンチャー・キャピタル、日本企業の海外拠点によるデジタル化動向の調査、デジタル経済と技術開発をめぐるルールつくりへの参画などが例として挙げられている。明確で絶対の答えは無い問いであり、これから様々な関係者がもがかなくてはいけない分野だが、このデジタル時代における日本の国際的な役割について明確に語れないところに、日本の危うさがちらつき、昨今の株高も素直に喜べないところだ。

先だって読了した『幸福な監視国家・中国』のような現場視点でのレポート情報は無いので、迫力には欠けるが、新興国のデジタル化について概観を掴みたい人にお勧めできる1冊だ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シーラ・フレンケル, セシリア・カン (著), 長尾莉紗, 北川蒼 (翻訳)『フェイスブックの失墜』(早川書房、2022)

2024-03-12 07:43:36 | 

フェイスブックには随分、恩恵を受けてきた。20年連絡が取れなくなっていた海外の友人とコンタクトがとれた、普段なかなか会えない友人と近況を手軽に共有できる、知らない情報・行ったことのない場所に触れることができ、世界・知識が広がる・・・。ただ、こうした恩恵のためにどれだけの自分をリスクにさらしているか、危うい情報環境に身をさらしているか。それを教えてくれる1冊だ。

ユーザーの属性・行動情報を売り物にして利益を得る広告モデル、フェイク情報の流通の担い手、メディア企業としての社会的責任を回避する企業体質など、本書にはフェイスブックの影の部分が、関係者の取材を基にディテールに渡って描かれる。読み易いが、読んでいて気が重くなり、一気に読むというわけにはいかなかった。

「テクノロジーは、考え方や経験の似通った人々が構成するエコーチェンバーをあちことに生み出してしまった。ザッカーバーグはこのジレンマを解消できていないかった。フェイスブックは一つの国家ほどの力を手に入れ、抱える人口は世界中のどの国より多い。しかし、実際の国家は法律によって統治され、指導者は国民を守るために消防士や警察などの公共サービスに投資する。しかしザッカーバーグはユーザーを守る責任を取っていなかった。」(p.316)

「フェイスブックの心臓部であるアルゴリズムは強力であり、膨大な利益をもたらす。フェイスブックのビジネスは、人と人とをつなぐことで社会を発展させるという使命と、そうする過程で利益を得るという。両立することが難しい根本的に二律背反の上に成り立っている。」(p368)

フェイスブックに限らず、グーグル、Xなども構造は似たようなものだろう。かといって、こうした巨大テックカンパニー誕生前のマスコミに牛耳られて情報コントロールされた世界の方が良いかと問われれば、それはそれで疑問だ。こうしたプラットフォーム企業のサービスなしには生活すらままならくなってしまった私ら一般個人はどうすべきなのか?どうプライバシーを守り、何を基に物事を判断し、どうサービスを利用すればいいのか、が問われている。もちろんそれは個人個人が考え、行動するしかない。

「企業の社会的責任」、「企業ガバナンス」、「公的規制の在り方」、「表現の自由」、「メディア・リテラシー」等、現代社会における重要テーマのケーススタディとして最適だ。そして、ここまでの取材と記述を行う米国のジャーナリズムは流石と感嘆する。多くの人(特にフェイスブックユーザー)に勧めたい1冊である。

 

目次

どんな犠牲を払っても
大物を挑発するな
次世代の天才
私たちはどんなビジネスをしているのか?
ネズミ捕り係
炭鉱のカナリア
クレイジーな考え
企業は国を超える
フェイスブックを削除せよ
シェアする前に考えよう
戦時のリーダー
有志連合
存亡の危機
大統領との接近
世の中のためになるもの
エピローグ ロングゲーム


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする