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その後の『ロンドン テムズ川便り』

ことの起こりはロンドン滞在記。帰国後の今は音楽、美術、本、旅行などについての個人的覚書。Since 2008

中島岳志『思いがけず利他』ミシマ社、2021年

2025-03-02 08:27:05 | 

昨秋の読書会をきっかけに、興味を持った「利他」をテーマにした本をもう1冊読んでみた。この前の『利他とは何か』の共同執筆者でもあった中島岳志氏が、思考のウイングを更に広げた一冊。エッセイ的な文体なので読み易い。

個人的には、立川談志による落語「文七元結」を題材に利他について考察した第1章が最も興味深かった。私自身、長兵衛がなぜ娘を救うために借り受けたお金を丸ごと吾妻橋から身を投げようとした文七に渡してしまうのかは、あの落語の肚落ちしない最大ポイントだったので、利他を軸に読み解くことで、多少なりとも落語の理解や見方が深まった気がする。

「文七元結」以外にも、ヒンズー語における与格構文(自分の行為や感情が不可抗力によって作動する際に使われる構文)、親鸞の他力思想、(『世界は贈与でできている』でも指摘されていた)受取人の重要性、偶然と運命の関係といった「利他」について考えるヒントが散りばめられている。

ただ、「利他」というのは、読めば読むほど、捉えどころなく難しいこともわかってきた。常に意識して行動するのも窮屈だし無理がある。自然体で生きながらも、社会や人間関係のたるみのようなものとして意識し大切にしていくことを心がけよう。

 

(自分のための抜書)

・ポイントは、長兵衛が文七に五十両を渡すことが「業の力」だということだとおもいます。ここに「人間の業」と「仏の業」が同時に働いていると考えています。凡夫の「どうしようもなさ」という「業」が、「利他の本質」へと反転する構造こそ、「文七元結」の要だと思います。(p49)

・利他は事故を超えた力の働きによって動き出す。利他はオートマティカルなもの。利他はやってくるもの。利他は受け手によって起動する。そして、利他の根底には偶然性の問題がある。(p174)

・「他力本願」・・大切なのは自分の限りを尽くすこと。自力で頑張れるところまで頑張ると、能力の限界にぶつかり、自己の絶対的な無力に出会う。重要なのはそのことを認識した時に。「他力」が働く。これが偶然の瞬間。重要なのは、私たちが偶然を呼び込む器になること。偶然をコントロールすることはできないが、偶然が宿る器になることは可能。そして、この器にやってくるものが「利他」。器に盛られた不定形の「利他」は、いずれ誰かの手に取られる。受け手の潜在的な力が引き出されたとき、「利他」は姿をあわらし、起動し始める。(pp176-177)。


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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興味深いです (守屋)
2025-03-02 19:52:06
おはようございます。

他力本願の解釈がとても面白いです。何かが流れ込んできたときに、それに身を任せられる勇気を自分が持っているかどうか、ということでしょうか?
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Unknown (かんとく)
2025-03-09 17:06:50
>守屋 さんへ
>コメントありがとうございます。まだ私も十分に理解しているとは言えないのですが、ご指摘のことだと私も理解してます。受け手の器が問われるのでしょうね。
返信する

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