フィラデルフィア管弦楽団といえば、ユージン・オーマンディと「華麗なるフィラデルフィア・サウンド」というのが定番のようだが、私がフィラデルフィア近郊(とはいっても車で1時間近く離れているが)に滞在していた1987‐88のシーズンはムーティが音楽監督のポストについていた(当時の私は、空白だった音楽監督のポストにムーティが就任したシーズンと理解していたが、Wikiによると1980年から音楽監督となっているので私の勘違いだったよう)。ただこのシーズンは、スケジュールの都合か、秋口にシーズンが始まってもムーティは一向に現れず、年が明けての2月になってやっとの登場となった。
覚えているのは、2月の演奏会前に地元紙の週末版に随分長いインタビュー記事が掲載されており、「演奏会がいつも遅れて始まるが、しっかり時間厳守で始めたい」、「Academy of Music(フィラ管の本拠地)は歴史的構造物としては良いが音響が悪いので移りたい」、「プログラムが保守的、新しいものにチャレンジしたい」というようなことを言っていた。地元紙のコメントは、「やっとフィラデルフィアに現れたムーティが、保守的なフィラデルフィアの聴衆を今シーズンどう引きつけるかお手並み拝見」という微妙な雰囲気だったと記憶している(当時の私の英語力に基づく記憶なので、どこまで正確かは保証なしです)。
演奏会に出かけてみて驚いたのは、ムーティのオーラ。舞台に登場した瞬間にその場を支配するような力強さが滲み出ていて、それが5階席の私にもはっきりわかる。前半のバッハの「G線上のアリア」の美しさは天にも上るような心持ちだった。後半のベートーヴェンの交響曲第7番は生で聴くのは初めてで、第3,4楽章の畳みかける、揺るぎない、堂々たる演奏に、すっかり魅了された。クラシック音楽ってこんなにエキサイティングなんだと知った。
これ以来、ムーティの指揮に接する機会はそれほどなかった(来日公演は基本、高額過ぎて手が出ない)のだけど、このコンビのCDは随分買ったし、90年代にムーティがフィラ管を率いて来日した時は何が何でもと思いサントリーホールに聴きに行った。ロンドン駐在時にフィルハーモニア管を振ったときは、久しぶりの生ムーティで懐かしさに涙がこぼれそうだった。クラシック音楽の原体験の一つとして、常にムーティは私にとって特別な存在だ。
〈アナログ「バカチョン」カメラの最大望遠で5階席からのピンボケ一枚〉
この学生プログラム(前回投稿参照ください)のおかけで毎月、定期演奏会でいろんな音楽や音楽家に接することの楽しさ、面白さを覚えることができた。昭和親父の説教のようで気が引けるが、「自分の人生を豊かにしてくれることは、いつもどこかにいろいろ転がっている。(特に若いうちは、)できるだけ拾って、リアルな体験をつむことが大事」と学んだ大切な経験だ。
〈1987年10~12月のフィラ管、定演チケットの半券〉