以前、風が吹いても痛いような足の状態になったとき、ゆっくり歩くということを否応なく体験しました。
杖を片手にゆっくりゆっくりと歩くことで、なんというか、「ゆとり」のようなものが感じられました。
それは時間を「惜しまない」ということではないかと思うようになりました。
つまりそれは、いくら時間を惜しんでもゆとりは生まれないということでもありそうでした。
時間もお金さえもそうかもしれません。惜しまず利他的な使い方をすれば、ゆとりというとても豊かで利己的なものを手に入れられる、そういう体験でした。
道を譲る、先を譲る、話を譲る、人に何かを譲ることは、利他的な行為です。これらにはゆとりを造る力がありそうです。
先を争う、席を奪う、話に割り込む、そんなことは利己的な行為です。これらは何かを惜しんでいそうです。