
(source/Barry Schwartz: The paradox of choice)
いわゆる経済学でいう機会費用の算出とは、おおざっぱにいうと、「これをしなかったとしたら、こんなことができていたのに」というような計算を指す。
ただ、経済学と違い生身の人生学において、それを「したこと」は事実だが「しなかったこと」はしていないことなので、果たしてどちらが?などと考えることに、多分ほとんど意味はないのであり、かつ苦悩の元だからやめなさい、ということだ。
かのセネカもこう言っている、「どこにでもいるということは、どこにもいないということだ」。
いわゆる経済学でいう機会費用の算出とは、おおざっぱにいうと、「これをしなかったとしたら、こんなことができていたのに」というような計算を指す。
ただ、経済学と違い生身の人生学において、それを「したこと」は事実だが「しなかったこと」はしていないことなので、果たしてどちらが?などと考えることに、多分ほとんど意味はないのであり、かつ苦悩の元だからやめなさい、ということだ。
かのセネカもこう言っている、「どこにでもいるということは、どこにもいないということだ」。
もはやこれまでと思い切れません。