(original unknown)
耳元でささやくのは悪魔か天使か。
そもそもなぜささやくのでしょう。
なにかを聞くということで私たちはそれに対して「思う」よりも先に極めて個人的な想像や連想を「想い」やすい。いわゆる「想念」というものが生まれます。
しかし想念を流し続けることは思考を麻痺させてしまうかも知れません。「らしさ」を「それ」と特定してしまうようなおそれです。例えば「もっともらしさ」を「もっとも」としてみたり、「馬鹿らしさ」を「馬鹿」とするようなこと、つまり「ほとんどの馬鹿が共通に持っているものを指しているだけで、特定の馬鹿を指しているわけではない」といった分別思考は想念によって押し流されてしまうのです。
悪魔の正体は案外「そのような」ものではないかと思ったりします。
だとすれば、天使は「そこ」には導かないものということになります。
非人称的かつ無時制的。
特定された人物の観点でもなく、個別化された出来事でもないささやき、そのような思考を促すささやきです。
どちらにしても自分の内にないものは、空耳にもならないでしょう。
その言葉を全く知らない、若しくは見たことも聞いたこともない人間や全く信じない人間にとって、幽霊は存在しようがないのです。
耳元でささやくのは悪魔か天使か。
そもそもなぜささやくのでしょう。
なにかを聞くということで私たちはそれに対して「思う」よりも先に極めて個人的な想像や連想を「想い」やすい。いわゆる「想念」というものが生まれます。
しかし想念を流し続けることは思考を麻痺させてしまうかも知れません。「らしさ」を「それ」と特定してしまうようなおそれです。例えば「もっともらしさ」を「もっとも」としてみたり、「馬鹿らしさ」を「馬鹿」とするようなこと、つまり「ほとんどの馬鹿が共通に持っているものを指しているだけで、特定の馬鹿を指しているわけではない」といった分別思考は想念によって押し流されてしまうのです。
悪魔の正体は案外「そのような」ものではないかと思ったりします。
だとすれば、天使は「そこ」には導かないものということになります。
非人称的かつ無時制的。
特定された人物の観点でもなく、個別化された出来事でもないささやき、そのような思考を促すささやきです。
どちらにしても自分の内にないものは、空耳にもならないでしょう。
その言葉を全く知らない、若しくは見たことも聞いたこともない人間や全く信じない人間にとって、幽霊は存在しようがないのです。