監視しとかんとなにしだすかわからん。
というような背景がこのカメラにはある。
セキュリティという意味あいでは必要なことなんだろうけれども。
それが悪意で使用される危うさは論外として、善意で使用する場合にも、「裏をとる」という行為に変わりはないのが監視というものであろう。
居心地のいいものでないことは確かだ。
肉眼では見えない奥で光る鏡に、なんとはなくも、いやらしさは払拭できない。
私は助兵衛だけれどもいやらしくはなりたくないなぁ。
どれくらいの抑止力になるのかしらん。
こういうものも世の鏡なのだ。
壁に耳あり。障子に目あり。
善意の自己監視を教育された時代は夢であろうか。
立小便で捕まったらなさけないなぁ。気ぃつけとこ。